大阪では歩いていたので、畑のすみなどに彼岸花を見つけることが多かった。
いまは、自動車で川を渡るときに川の土手に彼岸花を見つけることが多い。新聞にも揖斐川の土手に彼岸花がいっぱい咲いていると出ている。
土手の花っていいものだなあと思う。
松任谷由実さんの「守ってあげたい」という歌の歌詞に次のようなフレーズがある。
“”日暮れまで土手にすわり レンゲを編んだ
もう一度 あんな気持ちで 夢を形にして“”
土手にすわってレンゲを編むって、懐かしい心象風景だなと思う。(レンゲ編んだことないけど、、男やし)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
道路の脇にこんな標語があった。
「守ろうよ 心と車両の ディスタンス」
まあ、ソーシャルディスタンスという流行語と言うか、今の標語を使ってこのような交通標語ができたと思う。
ただ、僕はちょっとあることをきっかけに、突拍子もない記憶が蘇ることがある。
この標語を見た時、ふっと心に、ベット ミドラーの
from a distance という歌のフレーズが心に浮かんだ。
こんなフレーズだ。
“”From a distance
the world looks blue and green.
From a distance snow capped mountains (looks)white.
From a distance the ocean meets stream.
And the eagle takes to flight.
中略
God is watching us
God is watching us
God is watching us from a distance.“”
日本語にすると
“”遠くから見ると世界は青くそして緑に見える
遠くから見ると 雪に覆われた山は 白く見える
遠くから見ると海は川と出会い
鷲は飛び立とうとしている。
神は私達を見ている。
神は私達を見ている
神は私達を遠くから見ている“”
と こんな感じになると思う。
ソーシャルディタンスと言っているより、こんなふうにdistanceという言葉を使うと
それは大きな風景が広がるなと思う。(今はソーシャルディスタンスも大切やけど、、)
遠くから見ると世界は青くそして緑だといいなと思う。
そんな世界が保たれると、、、。
神は私達を遠くから見ているというのはきっと「いと高きところには神に栄光」というキリスト教の考え方から出てきたイメージだと思う。
そういう大きなイメージが壮大な西洋の音楽を創り出したのかもしれない。
チャップリンは「神は私達の心の中にある」というルカによる福音書の言葉を
映画「独裁者」の最後の演説の中で引用している。
心の中にあると考えたほうがいいようにも思う。
目に見えないものなので捉え方は人それぞれだけれど。
それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。