ケンのブログ

日々の雑感や日記

髪の毛一すじでさえ白くも黒くもできない

2020年03月03日 | 日記
新約聖書のマタイによる福音書に次のようなイエスの言葉が出てくる。

‘’私はあなたがたに言う。一切誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。そこは大王の都であるから。また、自分の頭をさして誓うな。あたなは髪の毛一すじでさえ白くも黒くもすることができない。あなたがたの言葉はただ、しかり、しかり、否(いな)、否(いな)であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から出るのである。‘’

誓ってみたところで、誓いが果たせるかどうかは、自分のはからいだけではどうにもならない。

絶対にコロナウイルスには感染しないと誓ってみたところで、感染する可能性を低くすることは努力でできるだろうけれど、実際に感染するしないは最後は運も含めて結果論になってしまう。
そういうものだと思う。

トイレットペーパーの品切れなどのニュースも流れているけれど、こういうときは紙に見放されたら、神におまかせして、自らの手でウンをつかむ。そして手は十分すぎるくらいに洗っておくという心がけで丁度いいように思う。

自分にできる限りの努力はしてみる。そしてその結果に対してしかりと思えるか、否と思うか。
しかりと思えればそれでよいし、否であればまたその時点で軌道修正をしていく。その繰り返し。人生は結局そういうものであると思う。

八王源先生は「この人生は絶対に俺が、俺が、では最後まで行けませんからね」とおっしゃっていた。自分がだんだん歳をとってくるにつれてそのとおりだなと思うことが多くなった。

誓うということは自分はこうである、という我執につながるということをイエスは言っていると思う。

僕の知り合いのおじさんで何を話しても基本的には「あ、そうかな。あ、そうかな」という返事を繰り返す方がいらっしゃる。とくに何か具体的に意見をされるというわけではないのだけれど「あ、そうかな」と言っていただけると「しかり」と言っていただいているようでとても話していて安心感があるなと思う。