昨日に引き続き今日も暖かいと思う。こうして暖かい日が続いたり
寒さがぶり返したりしてだんだん本格的な春になっていくのだろうと思う。
キャンディーズの春一番という歌が僕が中学生の頃に流行ったけれど
春一番はいつ頃吹くのだろうそもそも春一番の定義とは
ちょっと調べてみないとわからない。
僕の中学の体育の先生で春一番のことを台湾坊主と呼んでいた先生がいた。
いろいろな呼び方があるのだろうなと思う。
僕の中学には市内から生徒同士で市外に遊びに行ってはいけないという
都会では考えられない田舎独特の校則があった。
僕と友達二人はその校則を破って岐阜県多治見市方面にある
鬼岩というところにサイクリングに行ったことがある。
途中でその先生の乗った車が僕たちの自転車を追い越して止まった。
先生は車から降りてきて「おまえらどこへ行くんや」と言った。
「鬼岩に行きます」と僕は行った。
「そうか、へこたれるなよ」と先生は行った。
そしてまた車にのってブンとエンジンをふかしてどこかへ行ってしまった。
僕たちは校則を破って市外に自転車で出掛けている。
しかも体育の先生に見つかった。
ビンタでもくらわされるかとおもったら先生は見逃してくれた。
今の時代ああいう形で生徒のことを見逃してもし事故でもあったら
教師の責任問題になりかねない。
でも、見逃してくれて本当にいい先生だなと思った。
あのとき先生が見逃してくれたこと僕は忘れられない。
いつか、僕は寝違いでその先生の体育の授業で見学に回ったことがある。
僕が寝違いですというと
「おまえ相撲のやりすぎで首の筋ちがえたんやろ。寝違いはうそやろ」と先生は言った。
「そうです、相撲のやりすぎで寝違いと同じことになりました」と僕は言った。
「そうや、おまえは相撲のやりすぎや」と先生は言って
「そんなら今日は見学しとけ」と言った。
僕の寝違いが直ったころ先生は「ナカシマ寝違い直ったか」と言った。
僕が「なおりました」と言うと先生は「そんなら僕と一番相撲やろか」と言った。
それで先生と一番体育館で相撲をとった
どちらが勝ったかは忘れたけれど僕はその相撲で
左でひねりながら右で内無双を放った。
先生は「ナカシマなかなかええひねりしとるなあ」と誉めてくださった。
勝ち負けは忘れたけれどそのことは覚えている。
当時僕の中学には今、確か市会議員をしておられる先生とその先生の二人の
先生がいらして人気を二分していた。
僕の友達の野球部のエースはその鬼岩を見逃してくれた先生の事を
あの先生は性格があっさりしとってええぞと言っていた。
言われれてみればその通りだなと思った。
生徒ってけっこう先生の事をみているもんだなと思う。
中学生や高校生だからと言ってなめてかかるとえらいことになると思う。
もちろん、もう一人の体育の先生ともいい思いではいっぱいあるけれど、、、。
ここ数日ブラームスの室内楽を聴いてその勢いでショスタコーヴチ弦楽カルテットを
聴きたくなるという流れになっていて今日もそんな感じになっている。
ショスタコーヴィチを聴きたくなるという気持ちがわいてくるのは
かれこれ二年ぶりであるような気がする。こういう感覚が
どこまで続くかわからないけれど僕にとってある程度の年齢になってから
ショスタコーヴィチはベートーベンについで聴く頻度の高い作曲家に
なっていたのでそれをまた聴きたくなるというのはきっといいことのような気がする。
しかし、それにはこだわらず何事も流れにまかせるようにしたいと思う。
自宅マンションの床のフローリングがめくれているところが以前からあって
気になっていた。それに加えて畳の部屋の畳がすり減って中の糸が
見えているところがあってこれも気になり始めた。
養生テープか布製ガムテープで補修しようと思って100えんショップへいったら
リビングのコーナーにリメイクテープというそういう補修をしたり
するためのテープが売ったいた。ならばこれを使おうと思い
買ってきて該当箇所にはって補修した。何日持つかわからないけれど
剥離紙を剥がすのにかなり苦労したので接着力はかなり
強力であるようだ。業者の方に来ていただいて補修すると大事だし
畳なら全部換えるように勧められる可能性が高い。
ならばこれで様子を見て一日でも長く持ちこたえられればと思う。
寒さがぶり返したりしてだんだん本格的な春になっていくのだろうと思う。
キャンディーズの春一番という歌が僕が中学生の頃に流行ったけれど
春一番はいつ頃吹くのだろうそもそも春一番の定義とは
ちょっと調べてみないとわからない。
僕の中学の体育の先生で春一番のことを台湾坊主と呼んでいた先生がいた。
いろいろな呼び方があるのだろうなと思う。
僕の中学には市内から生徒同士で市外に遊びに行ってはいけないという
都会では考えられない田舎独特の校則があった。
僕と友達二人はその校則を破って岐阜県多治見市方面にある
鬼岩というところにサイクリングに行ったことがある。
途中でその先生の乗った車が僕たちの自転車を追い越して止まった。
先生は車から降りてきて「おまえらどこへ行くんや」と言った。
「鬼岩に行きます」と僕は行った。
「そうか、へこたれるなよ」と先生は行った。
そしてまた車にのってブンとエンジンをふかしてどこかへ行ってしまった。
僕たちは校則を破って市外に自転車で出掛けている。
しかも体育の先生に見つかった。
ビンタでもくらわされるかとおもったら先生は見逃してくれた。
今の時代ああいう形で生徒のことを見逃してもし事故でもあったら
教師の責任問題になりかねない。
でも、見逃してくれて本当にいい先生だなと思った。
あのとき先生が見逃してくれたこと僕は忘れられない。
いつか、僕は寝違いでその先生の体育の授業で見学に回ったことがある。
僕が寝違いですというと
「おまえ相撲のやりすぎで首の筋ちがえたんやろ。寝違いはうそやろ」と先生は言った。
「そうです、相撲のやりすぎで寝違いと同じことになりました」と僕は言った。
「そうや、おまえは相撲のやりすぎや」と先生は言って
「そんなら今日は見学しとけ」と言った。
僕の寝違いが直ったころ先生は「ナカシマ寝違い直ったか」と言った。
僕が「なおりました」と言うと先生は「そんなら僕と一番相撲やろか」と言った。
それで先生と一番体育館で相撲をとった
どちらが勝ったかは忘れたけれど僕はその相撲で
左でひねりながら右で内無双を放った。
先生は「ナカシマなかなかええひねりしとるなあ」と誉めてくださった。
勝ち負けは忘れたけれどそのことは覚えている。
当時僕の中学には今、確か市会議員をしておられる先生とその先生の二人の
先生がいらして人気を二分していた。
僕の友達の野球部のエースはその鬼岩を見逃してくれた先生の事を
あの先生は性格があっさりしとってええぞと言っていた。
言われれてみればその通りだなと思った。
生徒ってけっこう先生の事をみているもんだなと思う。
中学生や高校生だからと言ってなめてかかるとえらいことになると思う。
もちろん、もう一人の体育の先生ともいい思いではいっぱいあるけれど、、、。
ここ数日ブラームスの室内楽を聴いてその勢いでショスタコーヴチ弦楽カルテットを
聴きたくなるという流れになっていて今日もそんな感じになっている。
ショスタコーヴィチを聴きたくなるという気持ちがわいてくるのは
かれこれ二年ぶりであるような気がする。こういう感覚が
どこまで続くかわからないけれど僕にとってある程度の年齢になってから
ショスタコーヴィチはベートーベンについで聴く頻度の高い作曲家に
なっていたのでそれをまた聴きたくなるというのはきっといいことのような気がする。
しかし、それにはこだわらず何事も流れにまかせるようにしたいと思う。
自宅マンションの床のフローリングがめくれているところが以前からあって
気になっていた。それに加えて畳の部屋の畳がすり減って中の糸が
見えているところがあってこれも気になり始めた。
養生テープか布製ガムテープで補修しようと思って100えんショップへいったら
リビングのコーナーにリメイクテープというそういう補修をしたり
するためのテープが売ったいた。ならばこれを使おうと思い
買ってきて該当箇所にはって補修した。何日持つかわからないけれど
剥離紙を剥がすのにかなり苦労したので接着力はかなり
強力であるようだ。業者の方に来ていただいて補修すると大事だし
畳なら全部換えるように勧められる可能性が高い。
ならばこれで様子を見て一日でも長く持ちこたえられればと思う。