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ケンのブログ

日々の雑感

守りに入ると強い

2025年07月17日 | 日記
交通事故の動画を見ていたら、ぼんやりとだけ写っている周囲の自動車のナンバープレートあるいは事故の瞬間に「なにしとん」という明らかな関西弁が聴こえるので、たぶん大阪 堺の事例だと思う。

横断歩道を自転車で走行中の女子高生にバイクが横から衝突してきた。

幸いというか バイクを運転していた人がありていに言えば太った男性だったので女子高生の身体は衝突のはずみで空中で、その男性の太った上半身の上に乗りあげ、そのままこけたので、男性の身体がクッションの役目をはたして、衝突の衝撃のわりに女の子は全然平気だった。

平気どころか、女の子は、こけて起き上がった瞬間に、横断歩道の前方の信号を指さしている。

前方の信号は動画の場面には写ってないけど 状況から判断して、女の子が「こっちの信号、青やないか」と指でアピールしていることはすぐにわかる。

男の身体がクッションになったとはいえ 空中で身体が男の上半身に乗り上げるほど舞い上がってこけた直後に 茫然自失にならずに さっと「こっちが青や」と指さす瞬発力はもう関西の子以外に考えられないと思う。

僕も 朝早くに あるアパートの下でしゃがんでたばこを吸っていたら そこのおばちゃんから、さっと窓を開けて「警察呼ぼか?」と言われたことがある。

名古屋で同じことをやっていると、サッとカーテンを引く人はいても 「警察呼ぼか」言ってくる人に出会う確率は大阪に比べると圧倒的に低いと思う。

今、僕が住んでいる尾張地方は、こういう瞬発力とはいわば真逆の地域のような気がする。

では 尾張の人が強くないかと言うと 瞬発力には劣るものの 守りに入った時の粘りは実に強い人が多いと思う。

守りに入ると強いというのは ここが徳川御三家の城下町という歴史ともあるいは関係しているかもしれない。

大阪の瞬発力もやはり、そこが商業都市として栄えたことと無関係とは言えないように。
守りに入ると強いと思った事例は 前回の僕のブログ記事で書いたのだけれど、客の言葉が聞き取れなかった時にとりあえず、適当に動いてみて相手の出方を見るというやりかた。

この地域には相手の出方をまず見るという人は多い。

あと 僕が経験した中ですごいと思ったことがある。

ある会社のコールセンターにクレームを入れた
すると高橋さん(仮名)という女性が対応してくれた。しかし、それは実に不愛想な対応だった。

「高橋さん 前回僕がクレーム入れたときは、うまいこと立ち回って、問題解決してくれたのに、今回は、なんでそんなに不愛想なの」僕が言うと、彼女は「私、問題解決なんかしてません」という。

それで、僕が「いや、あれはたしか高橋さんやったで、僕、そういう記憶力だけはいいんや」と言うと、彼女は
「それは 別の高橋です」という。
「ええ、コールセンターに二人も高橋さんいるの?」と僕が言うと
「コールセンターなのでその時の回線の状況で、別の場所にもつながるので、そこにも高橋がおります」と彼女は言った。

別のコールセンターの存在はともかくとして、別の高橋 というのは、ほぼ間違いなく嘘だと思った。

なぜなら声のトーンが開き直っていたから。

しかし、守りに入ると強い人がこの地域には多いなとは思う。



三十番ですか?

2025年07月16日 | 日記
コンビニへ行って買い物をした。

レジに行くと店員さんがいない。

「勘定お願いします」と僕が少し大きい声で店員さんを呼ぶために言った。

すると女性の店員さんが、なんとレジカンターの僕の目から見て斜め前方から水中にもぐっていた動物が水面に顔を出すような感じでヌッと現れた。

僕はちょっとびっくりしたけれど何も言わなかった。

以前、よく行っていたインドカレーや、ラウンジのマスターがカウンターの中にもぐるような感じでしゃがんでいてヌッと顔を出すという経験は何度かしたことがあるけど、コンビニでそれと似た状況に遭遇するのは初めてだ。

インドカレーやラウンジではある程度、その当時なじみになっていたのでマスターが僕を半分からかうためにカウンターの下にもぐっていたという感じだけれどコンビニのバイトの子にそれはあり得ない。

僕が自分が買いたい商品をカウンターに置くと店員の女性は
「三十番ですか?」と僕に言った。

「三十番とは言ってない。勘定お願いします、と言いました」と僕は言った。

店員さんはちょっともじもじしながら、勘定をしてくれた。

それ以上は言葉を交わさなかったので どういうことだったのかなと後から考えてみた。

まず、店員さんがカウンターの中にもぐるような姿勢でいたこと。

これに関しては 最近 名古屋の雑貨店などにも「店員が業務中に水分補給することがありますのでご了承ください」などの張り紙がしてある。

また、名古屋市がごみの回収について、回収の職員が水分補給などのために回収時刻が遅れる場合があります、という主旨のお知らせを出したことも先般ニュースになっていた。

要するに店員の女の子も水分補給など客に見られるとクレームにつながりかねない用事のためにカウンターの中にもぐっていたと想像する。

「三十番ですか?」と僕に言ったのは、僕がそこのコンビニでたばこを番号を言って購入することが多いからだと思う。

しかし、今度の場合、彼女は僕が「勘定お願いします?」と言ったのをカウンターにもぐっていたから聴きとれなくて 聞き返すのもまずいと思って、当てずっぽうに「三十番ですか?」と言ったのだと思う。

僕はたばこを買う時も「○○番お願いします」と言うから。

でも、きっと僕の想像は当たっている可能性が高いと思うのだけれど、
この店員さんは危機を脱する能力に長けているなと思う。

「何ですか?」と相手に聞き返して「ちゃんと話を聞いとけ」と怒られるよりも「三十番ですか?」と間違えたふりをして「そうは言ってない」と相手に内容を訂正させた方が地雷を踏む可能性は低いように思う。

たぶんこの店員さんはどこへ行ってもそれなりに生きて行けるような気がする。

こういう意味での生存能力ってとても大切なものであるような気がする。






暑さに便乗

2025年07月10日 | 日記
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名古屋の古い繁華街のある中華料理屋でチャーハンと餃子のセットを食べていた。

男性のお客さんが入ってきた。

「ラーメンセット、冷やし中華に出来る?」とお客さん
「冷やし中華は単品です。ラーメンセットのラーメンは台湾、みそ、しょうゆ、塩です」とおかみさん
「あ、そう、そんなら塩で」とお客さん

このお客さんは、自分の人生で、
「ラーメンと冷やし中華はちがうやろう
大体、暑さに便乗してラーメンセットで冷やし中華を食べようなんておまえ、せこいんや」
みたいな感じで周りの友達から突っ込み倒された経験ってそんなにないんだろうなと思う。

名古屋だなあとしみじみと思えるひとときだった。

冷やし中華という言葉を聞いたのも何年ぶりだろうと思う。

それはともかくいちにち、いちにち無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。



自分を納得させる

2025年05月15日 | 日記
先日ある先生とお会いしてその別れ際お盆休みの話になり 「今年のお盆休みはスタンダードな日程にしました」と先生がおっしゃった。

カレンダーを見ると今年は8月16日 京都五山の送り火の日が土曜日になっている。

送り火とはお盆に帰って来られた先祖の霊を送り出す日とすればこの日がお盆の終わりと言える。

なので、日曜日が週の初めと仮定すれば確かに一週間の終わりがお盆の終わりになっている。

「そうですね。16日が五山の送り火ですから、これがスタンダードなお盆の日程ですね」と僕は言った。

先生は 何も言わなかったけれど、うなずかれる様子でなんとなく話が通じたような気がした。

「だんだん暑くなってきますけどお元気でお過ごしください」と先生はおっしゃった。

「先生もお元気でお過ごしください」と僕は言った。

「そうですね。でも最近はいろいろきつくって」と先生はおっしゃった。

それで僕はどう言おうかと一瞬迷ったけれど

「お互いに元気で過ごせますように」と言った。

先生は 黙ってうなずかれる感じだった。

僕は「では 失礼します」と言ってその場を立ち去った。

立ち去った後 ちょっと考えてしまった。

年齢は僕の方が上だけれど 僕は先生にお世話になっている立場だ。

その意味で先生は僕の目上に当たる。
一般的な意味で考えた社会的ステイタスも先生の方が僕より上だ。

「お互いに元気ですごせますように」と言うのはお互いと言う言葉で先生と自分を同格に扱っていることになる。

立場が上の人に失礼ではなかっただろうか 先生に生意気な人と映らなかっただろうかと。

それで 電車の中でスマホで 「お互いに 目上に使う」というような検索語で調べるとやはり お互いには目上にはあまり好ましくないと書いてあるサイトが多い。

あえて目上に使うとすればウマの合う上司とか場合によるとか書いてあるサイトもあった。

僕が調べた範囲でのことだけれど 一般的にはやっぱり目上の人に「お互いに頑張りましょう」とかいうのは失礼と解釈している人がサイトで見る限り多いようだ。

ただ、僕の場合 「お互いに元気ですごせますように」という言葉の先には「過ごせますように祈ります」とか「過ごせますように願います」とか言う言葉が省略されてことになる。

そして祈ったり願ったりする対象は眼に見えないものだ。

目に見えない上位概念から見たら先生も僕も平等かもしれない。

その意味では お互いに でもよかったかな と無理に自分を納得させてしまった。

ちょっと苦しい屁理屈のような気もるすけれど。

それはともかく 一日 いちにち 無事過ごせますように それを第一に願っていきたい。




尾張地方の私鉄

2025年04月09日 | 日記
先日 尾張美濃地方で最大規模の私鉄の急行に乗っていた。
僕は進行方向に垂直方向に腰かける椅子、つまり窓を背にした椅子に腰かけていた。
途中駅から乗ってきた若い(20代と思う)男性が乗ってきた。

男性は僕の隣にどしんと座ると脚を自分の肩幅よりも左右握りこぶし一つ半分くらい開いて座ってスマホを見始めた。

肩幅より一つ半分くらい脚を広げるって実際にやってみるとわかると思うけれどかなり大股開きの座り方になる。

それで僕は足をすぼめて端に寄ったのだけれどそれでもスマホを見る腕を僕の方に向かって押し付けるようにしてきた。

僕はリュックサックを膝の上に抱きかかえる形で座っているので腕や足が肩幅の範囲より出ることは基本的にほとんどない。(ひじが少し肩幅を超えることはあると思うけど)

そのひじさえもすぼめているのにさらに腕を押し付けてくるってどうゆうことやと思った。

これ以上腕まで広げて自分が広げた分を当然のように領有されたら、電車が名古屋につくまで本当に体を左右にすぼめるようにして座っていかなければならない。

それは勘弁してくれよと思ったので 僕は腕に力を入れてそれ以上は押されないようにした。

それでも圧力をかけてくるので 圧力に屈しないように力を入れっぱなしにしていた。

すると1分くらい経過すると隣の人の呼吸が速くなってくるがわかった。

腕がお互いに力を入れた状態で接しているので腕を通して隣の人の呼吸がわかる。

ということはきっと僕の呼吸も速くなっていたということだと思う。

それは力を入れっぱなしにしていたら普段、いわゆる息があがるという状態になって心拍数と呼吸は早くなってくると思う。

よく相撲で相手が息を吐いた瞬間に寄れ と言うけれど あれもお互いに四つに組んで力を入れているから相手の呼吸がわかる。


そんな相撲で四つに組んでいるのに近いような状態でお互いに腕を押し付け合っていても何のために座っているのかわからない。

座っている方がかえってしんどいのではないかと思う。

僕はいっそのこと立とうかと思ったけれど 立ったところで 普段、正座したり、なるべく背筋を伸ばすように意識することが多いから、背中を伸ばしたいわゆる仁王立ちのような感じになってしまう。

脚を開いている男の人の前に仁王立ちしたら 喧嘩を売っていると勘違いされて危険かもしれない。

そうかといって隣の人に「なんでそんなに1.5人分も場所とってくるんや」言ったら喧嘩になってしまう可能性はさらに高いし。

喧嘩になってカーッとなって暴行罪で逮捕さらに有罪とかになったらやはり人生に大きなダメージになってしまう。

なので立つのも文句言うのもやめたけれど、ますます領有権を広げられるのもこらえてほしいと思ったので リュックを抱きかかえる手もパーからグーに握り替えて、ナヨっとした人だと思われるのだけはやめようと思った。

結局 名古屋までそのまま来てしまった。

ただ、にらみ合いになるのはいやだったからその間ずっと目は閉じていた。

もちろんずっと力を入れて押し合いをするなんて5分とは続かないので、数分するとお互いに妥協できる程度の領分で力比べは終わったけれど。

でもさすがに名古屋でその人は僕より先にさっさと降りて行った。

やはりホームに降りてまでトラブルになるのはその人も嫌だったのだと思う。

さて、このような、電車の中での無駄な領有権争いみたいなのに遭遇する可能性、あるいは蓋然性は 僕の場合、関西にいたころよりも尾張地方に来てからの方が多いように思う。

関西の場合、電車は常に乗る人降りる人がいるので 特に途中駅から乗ってきた人は 程度の差こそあれ 電車は不特定多数の人が乗り降りするし、目的地までの一過性の場所という意識が尾張地方に比べると相対的には高いからだと思う。

尾張地方の場合は、電車は人の乗り降りが常にあるというわけではなく名古屋に近づくにつれ乗ってくる人はいるけれど降りる人は少ない。


逆に名古屋から離れるにつれて乗ってくる人よりも降りる人の方が圧倒的に多く、終点につく頃には電車は空っぽにちかいということが関西に比べると相対的に多い。

つまり電車の中での人の流れが関西に比べると圧倒的に少ない。

こういう停滞した状況が電車の中での領有権争いを生むもとにもなるような気がする。

もう電車で乗り合わせた以上は名古屋まで あるいは名古屋から離れたある場所までここに乗り合わせたメンバーでいかなければならない。

メンバーがある程度、固定されている場所ではやはり人間はそのメンバーの中でも自分のポジションをどうしても意識してしまう。

そんなこともあると思う。

そして、スマホを見る人は ホームに降りても見続けるという中毒性のようなものがある。

もう電車に乗ると同時にスマホを見るという習慣になってしまうと、周りの人がどんな人かということよりもスマホの方に無意識に関心が行ってしまって隣に座っている人にも無関心ということもあると思う。

無関心でいる結果として、無駄に他人と力比べをしまったりとかそういうボタンの掛け違いのようなことも起きるのだと思う。

でも こういうことに遭遇するたびに 尾張地方は大いなる田舎(村上春樹さんは名古屋を舞台にした小説でうすらでかい田舎と書いておられたような気がする)なんだなあという思いがこみ上げてくる。

電車など公共の場での領有権争いということもそうなのだけれど 街でぶつかっても謝らない人の比率も関西に比べると圧倒的に多い。

僕は父が船乗りだったので子供のころから神戸など関西にはよく来ているし僕の家族は全員、関西をある程度は経験している。

名古屋は大阪に比べるとぶつかっても謝らない人がおおいわ と僕が言うと、家族の者は「そら関西は謝らないと なんやねん と言ってこられる可能性が高いからや」と言ってたけれど それも また事実と思う。


僕と電車で隣り合った人も無言で力比べをしているだけで お互いに 「なんやねん」と言ったりはしない。

コンビニなどでも誰も「はよせんかい」とは言わない代わりに 立つ距離を微妙に縮めてきて無言で「はよしろ」という圧力をかけてくる。

お互いに無言で睨み合う と言うことが多いから 他の地方出身者でこの地方のことを陰湿と思う人もいるのではないかと思う。

道路交通も決してマナーがよいわけではなく特に尾張小牧地方はかなりひどいと言ってもいいと思うけれど、路上での言い争いはめったに見ない。

大阪ではコインパーキングから自動車のテールが歩道にはみ出しただけで歩行者のおばちゃんに自動車のテールを小突かれたけれど名古屋ではそのように小突いてくるおばちゃんもほとんど見かけない。

無言のにらみ合いはあっても 喧嘩にまで発展することはほとんどない というのは 平和の裏返しかもしれないけれど、、、。

でも 今となっては 藤井寺球場近くの信号機で交通整理していた係員に「こら!はよ通さんかい!」言ってたおじさんがなつかしいなと思ったりもする。

それはともかく一日いちにち無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。