2月28日に、行われた大阪多喜二祭は、講演・展示ともに出色の企画だった。
展示での目玉は、一つには、多喜二が麻布十番に残した書籍資料の一つである『産業労働時報』1932年10月号。
この冊には、戦前共産党の綱領である27テーゼが掲載されており、そこに多喜二の読後感が書き込みされている逸品。
もう一つが、表記の「上海反戦会議支持基金袋」。
この上海反戦会議は、後に極東平和友の会へと発展し、戦前の反戦のための幅広い人士の集う場となった。
この反戦運動のるつぼに多喜二が位置し、その指導に力を尽くしたことは間違いない。
しかし、手塚英孝の描く『小林多喜二』の評伝にはこの事項に関する情報は一言半句もない。
今日、小林多喜二の晩年の―日本共産党員としての活動を語る上で、このことが語られる必要があると私は思う。
今回、大阪多喜二祭の展示を担当された戦前の資料を保存する会の識見として、「上海反戦会議支持基金袋」を発掘し、展示されたことは大きな意味があることと受けとめている。
展示での目玉は、一つには、多喜二が麻布十番に残した書籍資料の一つである『産業労働時報』1932年10月号。
この冊には、戦前共産党の綱領である27テーゼが掲載されており、そこに多喜二の読後感が書き込みされている逸品。
もう一つが、表記の「上海反戦会議支持基金袋」。
この上海反戦会議は、後に極東平和友の会へと発展し、戦前の反戦のための幅広い人士の集う場となった。
この反戦運動のるつぼに多喜二が位置し、その指導に力を尽くしたことは間違いない。
しかし、手塚英孝の描く『小林多喜二』の評伝にはこの事項に関する情報は一言半句もない。
今日、小林多喜二の晩年の―日本共産党員としての活動を語る上で、このことが語られる必要があると私は思う。
今回、大阪多喜二祭の展示を担当された戦前の資料を保存する会の識見として、「上海反戦会議支持基金袋」を発掘し、展示されたことは大きな意味があることと受けとめている。
上海反戦の資料は実に貴重ですね。重ねて感謝を申し上げたいです。