見島の周囲は五里に足らないが、時として海からの珍しい贈り物が届いたりする。
先ずは、波が起きて潮が運んだ例としての私の経験は2例あります。
ひとつは、積み荷のメリケン粉が大量に流れ着き、どこのお宅もかなり長い間うどんやすいとんが続いてました。
うどん嫌いになった子が多くなったことは言わずもがなです。。
もうひとつは、はっきり憶えています。横文字の缶ビールとひげ剃りクリームのスプレー缶が磯の至る所に流れ着いてました。
子供の私たちには無用の長物で、ただただ拾っては開けたり出したりの単純遊びに終わってました。
もっといい物が流れてこないかと願ったものです。
昭和50年代の初めから後半近くまでは、年末や大寒の頃に急激な寒波が押し寄せて来たことが間々ありました。
当時は、ややお天気情報も今ほど正確じゃなかったので人も魚も心の準備が出来なかった所為か、高級魚のアラや鯛、
カワハギの他、いろいろな近海魚種がプカプカ浮いたことがありました。
これこそ濡れ手に粟とか、「漁夫だけの利」とか言えるんじゃないかと思うが海の神様もそう甘くはなかった。そうはない。
それでも、知り合いの方は寒が入ると必ず朝イチ海岸チェックに行っては、「今日も鯛が寄ってた」とか聞きました。
やっぱり早起きしなくちゃいけないな。
島根の中海近隣で仕事していたことがあります。
同じような寒の入りで、1回目は背中に舟が入っている短足の甲イカが大量に岸に打ち上げられたことがありました。
ウミネコとの奪い合いでしたが、すぐにバケツいっぱい採れました。分厚くて干物にも適さない上に、当時は食い方も
ろくに知らないしもったいなかったなぁ。と、たらればの世界です。
これに味を占めて、一度あることは二度ある、地元では青手と呼ぶカニ(本来夏が旬)が、これまた大量に寄ってきました。
こちらはまだ生きていて、浅いところで泳いだりしてましたね。
あちらでは安くはないカニですが、甲羅も堅く身が少ないし、汁物に向きだから独身のわれわれにはたくさん要らなかった。
それからも次は何かとちょくちょく点検してましたが、さすガニ仏の三度はありませんでした。
見島も同様なので、たぶん温暖化が進んだのか、彼らが学習して耐力を付けたのか。
はたまた天気情報入手が上手くなって、保身本能がはたらいているのかも知れない。
魚も賢くなってきているのでしょう、同じ手は食わないし食われない。
そのうち、南国育ちの魚種が、一帯を占めてカラフルになるのも遠くはないかも知れない。
対馬海峡辺りを封鎖しなくては、日本海が「美ら海」とかになりそう!?
初日の出(出港)
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