山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

そこのけそこのけスミレが通る

2020-04-13 21:06:24 | 意見・所感

 わが畑の脇の道に一株だけいわゆる「スミレ」が咲いていた。いつもの位置より7~8mほど路上のコンクリートに近づいていた。なかなか群落にはならないのでわが家の環境は気に入っていないようなのだ。それなのに、近所の家の坂道にはスミレの二列縦隊が誇らしげに楽隊を形成していた。

  

 そう言えば、知の巨人と言われた故加藤周一氏は、戦後まもなく戦時中の文学青年を批判して「新しき星菫派(セイキンハ)」と呼んで論争になったことがあった。つまり、星やスミレに託して恋愛や感傷を詩歌にしたロマン主義文学者を痛烈に酷評したのだ。言い換えれば、新しき星菫派は、その戦時体制に対しては黙して現実逃避したのに、戦後は平和主義の旗手のような平然とした態度に加藤氏は容赦ない怒りをあらわにしたのだった。

  

  星菫派は与謝野夫妻の雑誌『明星』に結集する若き文学者群だが、加藤氏はその後の戦時体制から戦後にかけて無節操に転向する文学者を、「新しき星菫派」と揶揄したのだった。
 つまり、「相当洗練された感覚と論理を持ちながら、およそ重大な歴史的社会的現象に対し新聞記事を繰り返す以外一片の批判をなし得ない青年」たちと烙印を押す。

 加藤氏の投げかけた問いはそのまま現代の平和ボケした世相にも当てはまる気がしてならない。戦前・戦中・戦後の文壇の無力・無責任はいまだ変わってはいない。

          

 それはテレビによく出演する評論家たちの受けねらいや迎合の風潮に、加藤氏の鋭さはいまだに錆びてはいない。スミレを愛好するオイラの立場も星菫派に近いのかもしれない。

 そんなことを考えつつスミレを見ているわけではないが、宝塚ファンの娘からは「時代をえぐる歌劇も上演していることもあるのよ」と釘を刺された。また、加藤氏も晩年は柔軟になったらしい。

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