古典落語の「芝浜」の名前はよく耳にするが、ちゃんと聴いたことがない気がした。そこで、「芝浜」を十八番にしていた志ん生・三木助・談志の落語をCDで聴いてみることにした。それぞれの演者の表現の違いはあるとしても、底流に流れる江戸人情話は共通に胸を打つものがあった。
飲んだくれで怠け者の魚屋の夫が拾った財布は夢だったと、しっかり者の女房の「ウソ」をきっかけに夫が更生していく。そして三年後の大晦日、それが嘘であることを夫に告白していく女房の演じ方がそれぞれ圧巻だった。
「芝浜」を今日の名作にしたのは、三代目桂三木助だった。拾った財布の中身は高額の82両だった。主人公の魚屋は「勝五郎」。三木助は明治35年(1902年)生まれ、昭和36年(1961年)病没。博打に明け暮れていた三木助は勝五郎に学んだのだろうか、落語に専念し、昭和25年(1950年)に三木助を襲名してから、昭和29年(1954年)「芝浜」で文化庁芸術祭奨励賞を受賞して脚光を浴びた。
芝浜の自然描写のリアルは見事であったとともに飄逸で芸術的センスは一流。現在の「芝浜」のルーツは三木助にありと言ってもいいほどの定型美でもある。
志ん生(五代目)が病後再起第一声の貴重な音源だった(昭和37年11月)。志ん生が敗戦後の大連から逃れて帰国したのが昭和22年1月、それから独演会をしばしば行う。江戸っ子言葉の勢いと飄々とした語り口に下町風情がじわーっと沁みてくる。
魚屋の「熊さん」が主人公。拾った財布には50両。熊さんは、店を持たず「棒手振り(ホテフリ)」と言って、天秤棒を担いで前後に魚を入れる「磐台(バンダイ)」を揺らしながら小売に出かける。こうした当時の道具の知識が必要とされるのも古典落語の魅力であり歴史的レガシーでもある。
談志が30歳のとき演じた、昭和41年(1966年)12月収録のCDだった。拾った財布には42両。始めは語りのテンポが速くてジイジにはついていけなかったが、何回か聞いているうちに談志の凄さが伝わってきた。とりわけ、女房の告白は迫真の空気感が心を打ってくる。この場面は他の演者の中ではかなう人はいないといってもいい。30歳にしてこれだけの迫力を出せるのはさすが立川流の総帥だ。
告白した女房は三年目の大晦日だったのが三者の共通したものだ。ここからか、「第九」のように晦日に上演される落語は「芝浜」ともなった。話の最後のオチはさすがに見逃せない。おあとがよろしいようで…。