マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

なぜ?そこまでして認めたくない?

2006-09-28 17:05:59 | 聖書通読
ヨハネ19:17-22

■ ヨハネの福音書に記録されているイエスの十字架刑をめぐるエピソード。

「彼らはイエスを受け取った。
そして、イエスはご自分で十字架を負って、『どくろの地』という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。
彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。
ピラトは罪状書きも書いて、十字架に掲げた。それには『ユダヤ人の王ナザレ人イエス。』と書いてあった。
それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシャ語で書いてあった。
そこでユダヤ人の祭司長たちがピラトに、『ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。』と言った。
ピラトは答えた。『私の書いたことは私が書いたのです。』」

この場面で、イエス様が十字架に磔になった時の様子がいくらか分かる。
十字架上に罪状書きが掲げられたとのことだ。
そこには「ユダヤ人の王」と書かれていた。
イエス様の裁判を担当した総督ピラトが、自分の判断でそのように書いたようだ。

私が中学生の頃、初めて聖書を読んだ時、この話の筋が理解できなかった。
「ユダヤ人の王」が、なぜ罪として死刑の理由となるのかが分からなかった。
王 = 死刑
こんな理不尽な話は理解しがたいものだった。

さて、イエス様が王として来られるということは、この時より数百年まえに預言されていた。
「エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。」(ゼカリヤ9:9)
やがて来るべきメシヤは、ユダヤ人にとって王であるという知識は、ユダヤ人の間に広まっていた。
しかし、それにもかかわらず、メシヤであるイエス様が実際いらっしゃった時、ユダヤ人たちは拒絶した。
本来真っ先に歓迎するはずのユダヤ教の指導者たち(ここで言う祭司長たち)は、単に拒むだけではなく、自らの手で殺してしまうという失態をさらす。
指導者たちばかりでなく、エルサレム入城の際に歓迎ムードだった民衆たちまでなりを潜め、ある者たちは指導者たちに加担して「十字架につけろ!」と叫ぶ始末。
そこまでして認めたくないの?とも思う。

これらの様子が聖書に収められているのはどうしてだろう?
私たちの内には、「神様を認めたくないと」いう意識があるのでは?
近づこうとする神様を押しのけて、自分が中心、自分が王様、自分の思い通りにしたいという性質があるのだろう。
「あなたには用はないから、私の好きにさせて。」という心境だろうか。

イエス様の十字架の死は、私たちに対する神様の愛を示しているとともに、実は私たちのエゴも明らかにしている。
十字架の場面を読むたびに、自らの自己中心とそれに優る神様の深い愛を覚える。

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話題

2006-09-27 23:30:53 | 教会の風景
今晩は、いつもどおり祈祷会。
数名の教会員の方々がいっしょ集まった。
賛美や祈り、学びの時間を過ごした。

集会後、お茶を飲みながら雑談の時間。
今日は地域の運動会の話で盛り上がっていた。
教会員のFさん夫妻は、今年住んでいる地域の自治会の班長になっていて、どうしても出なくてはならなくなったそう。
いつものようにKさんのトークがまた冴えていた。
Kさんのお母さんは、昔このシーズンになると5つも運動会に出ていたそう。

帰りはいつもKさんの車で送っていただいている。
今日は帰り道で、タヌキ(?)が車の前を横切っていくのを見かけた。
自宅からそれほど離れていない所。
タヌキがいるんだー、さすが東村山!と驚き。

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やれやれ・・・残念

2006-09-27 23:20:55 | 神学校・講座
今日は学校なので、6時40分には家を出発。
先週末からずっと忙しかったので、疲れ気味。
おまけに小テストの準備がいつもより時間をかけられなかった。

教会史の小テストは今までで最低の10点中6点。
残念。
昨晩テキストを一通りサッと読んだだけで、きちんと頭の中で整理できていなかった。
「存在論、中庸存在論、唯名論・・・トマス・アクィナス・・・贖宥・・・うーん。」
不本意ながら、消化不良のままの小テストになってしまった。
結局、講義を聞くことで、ある程度理解できて整理ができた。

ある程度忙しくなることは分かっていたので、事前の時間の使い方に少々問題があったことを反省。
時間の有効利用を心がけたい。


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教職者祈祷会

2006-09-26 22:45:49 | 教会の風景
昨日今日の教職者祈祷会も無事終わった。
今回は、一つの集会で司会、自分の奉仕している教会とユース、神学校での学びの現状報告、また別の集会では発表の役が任されてしまったので緊張していた。
今回のテーマとしては、来年の宣教60周年記念の行事、高齢化への対応、信仰継承などが取り上げられた。
まずは各自が問題意識を持つことからスタートすることが必要だと思う。
そういう意味では、今回の集まりと話し合いは意味のあることだったと言える。
またいろんな先生方と話ができたことや励ましの言葉を頂いたことで元気付けられた。
それもこの集まりの良さの一つだろうと思う。

帰宅したら、緊張感が解けて、急に疲労感に変わり、少し休息。
先週末からの疲れが溜まっていたのかもしれない。
でも休んでばかりもいられない。
それから教会へ行き、明日の講義の小テストの準備をした。
教会史のテキストを読み、整理した。
いつもより時間を取れなかったので、ちょっと心配。
寝る前にもう一度見直しておこう。

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コクワガタを発見

2006-09-25 13:34:18 | 教会の風景
日曜の午後は、当初分級(兄弟会)の予定だったが、急きょ変更になった。
分級の準備は、時間を工面してしっかりしてあったので、正直ちょっと残念。

でも、それ以上に急を要する件だったので、優先した。
教会裏手の柿の木とびわの木を抜いて、駐車場を1台分造る作業をした。
男性たち数人で午後からは作業。
木をのこぎりで切り、根を掘り起こした。
そしてコンクリートのタイルを並べた。
みんなで協力して意外に早く作業は終わった。

あとは、ブロック塀を崩して撤去する作業が残っている。
最近、教会に来る人の車の台数が増えつつあって、飽和状態なので、来月には作業を終わらせる予定。

そんな作業の合間に、どこに隠れていたのか、コクワガタを発見。
東京と言えども、さすが東村山。
早速捕まえて、撮影。



撮影後は、近くの木に逃がしてあげた。

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