鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鉄道官舎のあったあたりの風景

2010年10月13日 | Weblog
豪雪の冬の深名線の列車運行を維持する国鉄保線員の苦労は大変だったと思う。昔は、駅広場の南側の小さな坂を下ったところに鉄道官舎があった。その跡は痕跡すらなく、平地になっていた。今は真っ平らに整地されており、昔の面影はない。畑地に利用されているわけでもなさそう。鉄道官舎の長屋は3棟あったので、国鉄職員家族は南鷹の一大勢力だった。
当時、鉄道官舎はカンシャ「官舎」と呼ばれており、これに対してコータク「公宅」と呼ばれていた、鷹泊ダム関連の道職員の住宅が竜水地区にあった。農山村の鷹泊では異質の職業だったかも。学校で親の職業を発表するときにコウムイン「公務員」というのは、かっこよく感じた。

写真は鉄道官舎があった付近の平地
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