鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

丸太を積んであるお家があった。

2013年03月04日 | Weblog

昔の中广にあたるところに、丸太を積んであるお家があった。おまけに薪もあり、感激した。
半世紀前から、暖房の主力は、薪であったが、短期間のうちに石炭そして灯油と変わっていった。学校の暖房は、30年代はずっと、石炭暖房だった。
珍しいものを見せてもらった気がしたが、昔は、どこのお家も薪暖房であった。薪ストーブは暖房としてのほかに、煮炊きにも使われていた。
今、薪を利用しているのは観光地などと、趣味で使用している人たちだけで、ほんの一部でないだろうか。薪ストーブ時代、煙突掃除が真っ黒になり大変だった。石炭ストーブではススが薪ストーブの時ほど真っ黒ではなかったが、煙突掃除が面倒であったのは変わりない。薪割りも、結構たいへんだったことを思い出す。

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丸太を積んであるお家があった。

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昔の中广にあたるところに、丸太を積んであるお家があった。おまけに薪もあり、感激した。
半世紀前から、暖房の主力は、薪であったが、短期間のうちに石炭そして灯油と変わっていった。学校の暖房は、30年代はずっと、石炭暖房だった。
珍しいものを見せてもらった気がしたが、昔は、どこのお家も薪暖房であった。薪ストーブは暖房としてのほかに、煮炊きにも使われていた。
今、薪を利用しているのは観光地などと、趣味で使用している人たちだけで、ほんの一部でないだろうか。薪ストーブ時代、煙突掃除が真っ黒になり大変だった。石炭ストーブではススが薪ストーブの時ほど真っ黒ではなかったが、煙突掃除が面倒であったのは変わりない。薪割りも、結構たいへんだったことを思い出す。
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