鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

上鷹その昔の思い出

2010年09月01日 | Weblog
上鷹には○塚豆腐店があった。豆腐は、昔も今も、簡単に手に入る食品だが、コンビニもなく交通の発達していない当時の鷹泊で、豆腐の材料の調達、製造から販売まで完結していたといえる。豆腐の製造過程でおからが出来る。おからは古い時代の者には、豊かでなかった時代の食材というイメージがあるが、飽食の時代といわれる今、おからは健康食品という評価なのか、高級料理にもおからが添えられて出されることがあり、びっくりさせられる。
上鷹には、○沢米穀店もあった。米穀店というより、子供にとっては、テレビを見せてもらったことでお世話になったお店という記憶だ。テレビを見ることができるようになった昭和30年代前半、鷹泊ではまず商店でテレビが購入された。夕方の団欒時に、迷惑を顧みず、子供達がどっと押しかけ茶の間を占領した。6時から8時位まで見せてもらった。そのうち各家庭にもテレビが普及し、そのようなことはなくなった。


写真は1990年頃の上鷹、竜水方向へのT字分岐点付近(小学校記念誌より転載)
コメント (1)
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