鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊小学校のなつかしい思い出3

2008年02月06日 | Weblog
 鷹泊は降雪の多いだけでなく、厳寒地でもあった。今は地球温暖化で零下30度以下になるのは稀だと思うが、当時は年に何回かは零下30度以下になっていた。朝方に零下30度以下になれば 授業開始時間が1時間遅れになる有線放送があった。有線放送といっても今のユーセンとかカラオケとは違う農村有線放送のことだ。まだ電気がなく、当然電話もない時の通信手段として各家に真四角の有線ラジオがあった。 学校の職員室に放送設備の本機が置いてあった。 記憶にある有線ラジオは故障がちで、そのうち零下30度以下の通知はサイレンを鳴らす方法に変わった。30年代に入って間もなく全世帯が電化され、40年代には地域全体で電話使用可能となった。田舎でもあっというまの時代の流れだ。 
 写真は雪の中の初代鷹泊小中学校校舎