鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊小学校のなつかしい思い出2 

2008年02月04日 | Weblog
 雪深い鷹泊で冬の通学は、特に遠いペンケ、ヌップ、竜水地区からは大変だった。除雪されていない道なき道を、ゴム長靴の上を雪が入らないように縄や紐で縛っての通学であった。大雪の日は学校へ着いた時は、先生が玄関で待ち構えていてくれて、ほうきで全身の雪はらい(雪をほろうと言っていたが、これは方言かな)をして、それから教室へ入った。
教室の中はだるまストーブで暖かく、ストーブの上にはブリキの蒸発皿が乗っていた。石炭を十能でくべて、 デレッキで中をかきまわす。小使いさん(今は用務員さん)が毎朝、各教室のストーブに火をつけてまわるのも大変だったろうなと思い出す。当時は鷹泊では学校給食はなく、弁当持参だった。新聞紙に包んだ弁当をストーブの周りに置いておき、お昼に暖かい弁当を食べたのも懐かしい記憶のひとこまだ。冷害で凶作の年には、義援給食という恩恵にあずかったこともある。コッペパンと脱脂粉乳とのセットである。今の時代ならまずい給食だと思うかもしれないが当時は有り難かった。
雪を教室に入れての大掃除 わら縄で作ったたわしでゴシゴシこすったりしたのもなつかしい思い出だ。