

図はペンケ浅羽山線
ペンケ浅羽山線とはどこへ行く道だろう。浅羽山まで続いている道なのだろうか?道の終点から簡単にふるさと鷹泊を代表する山である浅羽山に登れるのかと期待がふくらんだが、違うようだ。
図は国道275号線と旧道
平成22年に幌加内トンネルができて、国道275号線は幌加内峠を通らなくなった。(トンネルを通る新しい275号線は、幌加内峠よりも標高は50メートルほど低い所を通っている)それに伴い旧道部分が、平成27年に国から深川市に移管され、市道ペンケ浅羽山線という市道名が付けられたようだ。しかしその距離わずか0.8km区間だけ市道になっただけで、幌加内峠までのその先 2kmはありそうな部分は市道になっていない。おまけに旧275号線の幌加内側は通行不可能とのこと。ペンケ浅羽山線は誰がどこへ行くために通る道なのだろう。
失礼ながらペンケ浅羽山線の名称は、バス停の名前の鷹泊自然公園入口みたいに(バス停で降りて4km程先に鷹泊自然公園がある。)実態とはかけはなれているように思える。
小学生の時に、遠足で幌加内峠を越えたことがある。その時は舗装されていない曲がりくねった道を、沼牛の堰堤まで歩いて往復した。
また、2009年に旧275号線を通ったが、旧道の幌加内峠には浅羽山への登り口があったのを覚えている。
校歌にも歌われている浅羽山の名がついた道でもあり、敬意を表してその0.8km部分を通ってみたい気はしたが、人通りのない道はクマの恐怖があるゆえ断念した。浅羽山は、眺めるだけの山にしておこう。
幌加内へ向かう国道275号線から分岐してペンケへ行く道が鷹泊ペンケ線である。今はこの道を通る人はいないと思うが、市道として名前は残っている。この道は、小学生の時に、ペンケ神社への遠足や、ペンケ神社のお祭りのためによく行き来した道である。遠足の時に見た境内の満開の桜が忘れられず、数年前にペンケ側からペンケ神社のあった所まで行こうとしたが、木の枝が張り出していたりで、車で行くのは断念した経緯がある。
ペンケ神社の桜をなんとかもう1回見れたらと思い続けている。でも無理なんだろうな。桜の樹にも寿命があるのだろうし、100段ほどの階段があった高い神社跡へ行くパワーは失せているのが現実である。
写真下は旧国道275号線からペンケへの分岐点。2012年撮影
写真下は、鷹泊ペンケ線のペンケ方向(舗装されていない道は、昔が思い出されて嬉しい)。今回はペンケには向かわず。2012年撮影
深川市発行の鷹泊地区の広域地図データを見ると、鷹泊小川線の近くに鷹泊墓地線が存在するとの表記があった。(でも他の道が実線なのに破線で示されているのは、幅が1.5メートル以下の道を表しているのかもしれないし、通行できない道なのかもしれない)
下図は鷹泊地区の広域地図の一部: 中ほどに緑色で5077鷹泊小川線と5076鷹泊墓地線の表記がある。
鷹泊には、ヌップ墓地と鷹泊墓地の2カ所の墓地があることになっている。ヌップ墓地の場所はわかっているが、鷹泊墓地はどこなのかわからなかった。
鷹泊墓地をネットで検索すると住所は鷹泊790番地とある。Google Mapで調べてみるとまさに二号沢の奥に合致した。二号沢の奥地に墓地があったなんて知らなかった。
図はグーグル地図
鷹泊墓地が墓地として実際に今使用されているかはわからない。昭和30年代には、二号沢の奥には誰も住んでいなかったと思う。鷹泊小学校記念誌によると、鷹泊小学校に二宮金次郎の像を寄贈された柴○氏はここが出身地とのこと。明治から昭和初期にここで暮している人達がいたので鷹泊墓地が存在したのであろう。今どうなっているのかを探りに行くのは遠慮した。
写真は鷹泊小川線から分岐していると思われる方向
鷹泊の多くの道は深川市の市道に属しており、それぞれ名前が付いていることがわかった。その市道の名前を思い起こしながら鷹泊を散策するのも乙な者だと考え、まずは二号沢方面に向かった。
写真は国道275号線、正面は幌加内峠方向。右は鷹泊神社、左手の山は浅羽山。
国道275号線を進むと知呂布橋に差し掛かるが、この橋の下は二号沢の流れが雨竜川に向かって流れている。
子供の頃、ヤマブドウを採りに線路の路肩を通って二号沢周辺へ行ったことが何回かある。線路の路肩を歩くなど、今振り返るととんでもない行動である。汽車が近づいてくると音がするのでわかるという言い伝えを信じて、時々レールに耳をつけ汽車が来ないのを確認したこともある。
秋の紅葉あるいは黄葉の始まる時期でもひときわ鮮やかな紅葉しているのがヤマブドウの葉であった。線路脇からヤマブドウらしき紅葉を見つけると、雑木、雑草をかき分けブドウめがけて突進した。同じ時期にコクワもよく採取した。昔はクマの恐怖などまったくなかった。
この時に二号沢に沿う道を通ったが、これが鷹泊小川線という道だと今初めて知った。
開拓当初に小川団体が入植していた関係での名称と思われる。
写真上は知呂布橋、右手前の旗の立っている脇道が鷹泊小川線。
写真下は二号沢の流れに沿った鷹泊小川線。
子供の頃、鷹泊神社参拝には行ったことはなかった。しかし年月を経て鷹泊に来るとつい立ち寄ってしまうのは、子供の時の忘れがたい思い出が残っている場所だからである。
遠くから眺める神社が、緑の樹木に囲まれているのは昔と変わらない。しかし参道の坂道は普通の階段に変わり、境内の雰囲気も昔とは様相がだいぶ異なっている。
昔は坂の中腹にある境内までは土と砂の道、そこから上は大きな石を階段状に並べた道だった。その坂道は、わずかな降雪でもすぐスキーができる絶好の遊び場だった。
神社境内は、楽しい遊びの場所だった。祭りには多くの人が集まり、いろんな店が出て、10円とか50円とかの景品付きの子供相撲も楽しかった。
土俵は土や砂ではなく、おがくずを敷き詰めていたので裸足でも足が汚れなかった。
中段の境内には大きなミズナラの木があり、ドングリを取って遊んだ。
ともかく、昔の雰囲気が多少変わってはいるが、鷹泊神社で子供時代のなつかしい気分を味わえた。
写真は神社の境内から上に登る階段。
写真は鷹泊神社正面。
鷹泊に1カ所だけある歩行者用の手押し信号機であるが、利用者が皆無ならさすがに無駄でないだろうか。小学生だけでなくそれより小さい幼児も通行しないというか、鷹泊にいないと思われるご時世である。高齢者はいても、この交通量なので国道を渡るのにボタンを押すのかと疑問に思っていた。
しかし、すぐに考えを改めた。神社横を通りがかったら、スピード違反で白バイに捕まっている車がいた。思い出した。数年前に幌加内峠まで行ったときのことであるが、この275号線はカーブが多いのにもかかわらずかなりのスピードで走行する車が何台もいて気になっていた。信号機はあるだけで多少なりともスピード抑制効果が期待できるのだろう。
写真は学校跡に向かう道路付近にある手押し信号機。
昭和30年代、駐在所と消防番屋までが中鷹で、その先は上鷹地域であった。
中森鉄工所、桜沢米穀店、表魚屋、宮部商店、大塚豆腐店、田中製材所などがあった。
今、国道沿いには住宅は見あたらない。
昭和36年のデータで上鷹だけで世帯数36戸、人口157人であった。信じられない変化である。
ほどなく学校跡への分岐点まで到着。小学校があった関係で、手押し式信号機が今も残っている。
上鷹地域は学校に近いし、近くの神社ですぐスキーができるし、子供にとってはいい所に住んでいるとうらやましく思っていた。(鷹泊駅には若干遠かったが)
今はバス停がこの地域にあり、便利にはなっている。
写真は、一般の住宅がほとんどない上鷹地域。正面北方向のはるか遠くに浅羽山が少し見える。
写真は昔の宮部商店のあたりにあるJR北海道バス 鷹泊自然公園入口バス停。もう1カ所ある鷹泊待合所と較べるとトイレもなく小さい造りである。
鷹泊は過疎化で、街全体が大きく変わってしまった。郵便局も昔とは別の場所である。
しかし駐在所の位置は、昔と位置は変わっていないようだ。ミニパトカーが駐在所前に止まっていた。昔は、駐在さんも自転車で鷹泊の街を巡回していたのだったかなどと思い出しつつ歩いていた。
その時、エゾシカが国道に飛び出してきた。「駐在所とエゾシカ」という構図はなかなかだと写真に納めようとしたが、シャッターチャンスを逃し、うまく撮れなかった。残念。
昔はエゾシカなど見たこともなかったが、昭和50年(1975年)頃から全道各地でエゾシカが急増しているとのこと。農作物を食い荒らし、樹木に損害を与え、車に衝突して交通傷害の原因にもなっている。困ったものだ。
写真はミニパトカーが止まっている鷹泊駐在所と、木の陰で存在がはっきりとわからないエゾシカ(円の中)。
人家は少ない。家はあっても、窓が目張りされているとかで明らかに住人がいなさそうな家もある。道を歩いていても誰にも遭遇しなかった。
店はなし。鷹泊で最後まで残っていた松澤商店も自動販売機は置いてあったが、店はやめた状態。
お寺跡はずっと空地であったが、重機が入った建物が出来ていた。看板はなかったが、富岡産業のものと思われた。
写真はお寺跡の空地にできていた施設。
中鷹地域には、松澤商店、三浦鮮魚店兼自転車屋、弘田商店兼精米所、萩浦鉄工所、農協、高岩商店と今思い出しただけでも多くの店があった。消防番屋の2階に広間があったが、子どもたちにも使わせてくれたので、そこで百人一首などをしたことが思い出された。
昭和36年のデータで中鷹だけで世帯数29戸、人口140人であった。
細○さんの家の横から、堤防へ行ける道があった。堤防の向こう側にゴミ捨て場があったが、フナ、ウグイの釣れる沼もあった。第三水泳場へ行く道でもあり、この道はよく通った。今は堤防の上が工事中のようで行けなかった。
写真は中鷹の堤防へ続く道