今まで27年間 生きてきて
こんな悲しいこと なかった
こんな悲しいことが この世にあるなんて
はじめて知った
親が子供を 亡くすほど
つらくて 悲しいことは ない
その悲しみの 極限を知り
絶望すら 感じたとき
それでも 生きていける術は
信心しかないと思った
泣きながら お題目をあげたら
少しは 未来に 希望がみえた
「転重軽受」と 知ることができた
れみの分まで生きよう!
悲しみをこえて きょうからは
れみの分まで 生きよう
れみが生きて できなかったこと・・・・・・
私がれみの分まで がんばろう
尊い生命と ひきかえにして
教えてくれた 数々のこと
感謝しても しきれないほど・・・・・・
あなたは 私の 小さな指導者
題目をあげさせてくれた りっぱな福子
今 心から言おう
’あなたを産んで よかった!’と
ありがとう・・・・・・私のれみちゃん
早く ここに 帰って来てね
いつか弟か妹ができたら・・・・・・
いつか弟か妹ができたら
怜美のこと 話してあげよう
こんなおねえさんが いたこと
3ヶ月しか 生きられなかったけど
短い生命を まっとうした
本当につよい子・・・・・・・怜美ちゃん!
病気には 勝てなかったけど
生きることに 負けなかったね
みんなに 生きる勇気を与えてくれた
そんな怜美ちゃんのこと
おかあさんは 誰にでも誇らしく言える
こんなおねえさんが いたこと
たとえ弟か妹ができても
怜美はいつまでも おかあさんの子
大切な長女だから・・・・・・
あなたが20歳になるときに
あとがき
私は、妊娠がわかったその日から、この詩集を書 き始めました。生まれてくる子の成長を記録し、そ の子が20歳になった時、この本を見せてやろう。そ うして母と子の絆がより深いものになればいいなー ーと軽い気持ちで書き始めたものでした。それが闘 病記録になり、そして追悼集になってしまうとは、 当初、予想だにしないことでした。 しかし、今、悲しみの中で1つだけ思うことは、 元気な子供を産んで、20歳までの成長を書き綴るよ り、わずか3ヶ月の凝縮された人生ではあったけれ ど、20年生きるよりもっと貴重で尊い何かを残すべ き記録になったのではないかと思います。あの子がこの世に生まれ、私たちに残してくれたもの、教え てくれたこと、そして闘病の苦悩と死の悲しみ・・・・・ 母親である私には、生涯、忘れように忘れられない ことです。でも、亡くしてしまったわが子のために も、私自身、このことを前向きにとらえ、宿命に流 されないで、勇気をもって、これからの人生に立ち 向かっていく以外にないと思っています。 そして、また、いつか次の子供ができた時、あの 子が身をもって教えてくれた生きることのすばらし さ、生命の尊さを語りついでいける母親になれたら、 せめてものあの子へのつぐないになるのではないか と思います。
限りある短い命を、最後まですごい生命力で生 ききったあの子をなんとしてもほめてやりたい。母親 である私の手であの子のことを文字にして残してや りたいと思い、この度、この詩集を完成させました。 ーーれみちゃん・・・・・おかあさん、あなたの分も がんばって生きるからね! そして、今度、生まれてくるときも、きっと おかあさんのもとに生まれてきてくれるよう、 せつに願って・・・・・・・・
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