せいかつ創庫

野球・音楽・アート・街の風景など、自分自身のネタ創庫。
野球の楽しみ方、考えてます。自作イラストの展示も。

アンチザクノイチ

2007年12月21日 | 音楽
ふふふ

まさかの展開でしたが、かわいい後輩のアニマルちゃんがなぜかお気に入りでアルバムを購入。

借りていマース。

そーいや買ったことないんだわ!姐さんゴメンね(Sデスカ(爆)?)
年下だけど。

いいですねぇ。
パンチ効いてて。

名古屋のアングラなHIPHOPシーンで異彩を放つ姐さんですわ。
SEAMOなど男塾とも仲はいいけど、SEAMOなんかに慣れているオーディエンスさまにはどう受け止められるか。


Kどのは苦手なんだそうで。

まぁ、生粋のブラックって感じですよねぇ。
かなり楽しんで聴いています。

そういえば、最近の呼び名は「姫」なんだそうで(超爆)。


んで、
頭の写っ

ジャケなんですが、これを見たアニマルちゃんの同級生ちゃんたちは、、、

「わぁ♪YUKIアルバム出したんですかぁー!?」


爆笑。


そう思って聴いたら「なんじゃこれぇ(汗)??」ですねぇ(笑)。

ここは…

2007年12月20日 | Weblog
ふぅ

いよいよ年末の挨拶廻り&カレンダー配りなんかも始まりまして。
今日は早朝から知多に三河に走り回り、、

挙げ句に所用で立ち寄ることになった某駅からの帰り道。

しまった。

国道1号の渋滞にハマってしまった。。。
午後6時。

このへんは一車線なんだよね。

上を見上げれば、ここは…

そうだ「桶狭間」

やっぱりこの辺は土地柄、道も細い。

バースディです♪

2007年12月19日 | Weblog
お~
ナントカ今日中の更新に間に合った。

今日から20代ラストイヤーに突入です。
いろんな方からメッセージいただきました。
ありがとうございます♪♪
たいへん嬉しいです。




記念すべきバースディは大阪出張。

かなり余裕のある出張で、夕方までに任務も終了!
夜はマイハニーと合流して食事。

自分から誕生日プレゼントと称した衝動買いも敢行し(笑)、先ほど帰ってまいりましたぁ。

遠距離の僕たちにとって、にわかの大阪出張が何よりのプレゼントとなりました(*^-^*)。
たそがれの御堂筋も、街灯がやさしく照らしてくれます。

昨日の日記にもたくさんのコメントありがとうございました!!
これもなによりのプレゼントです♪

れすはあらためてさせて頂きますね☆

新井良太まつり!感謝!!

2007年12月18日 | 新井良太まつり
またまた、自慢していいですか(爆)?

自画自賛?…いや、自慢ですね。
僭越ながら。。。

Yahoo!で、『新井良太』と検索すると5件め、6件めに登場するんですね!!

ビックリ(笑)。

その前にももうひとかた、「新井良太」がタイトルになったブログが出ていましたが、良太メインのブログではない模様。
あとはwikipedia等のプロフィールページ。

というわけで、、、
「新井良太といえばココ!」
というブログは、どうやらウチが一番に出てくるようです(自信過剰?)。

ファンサイトを立ち上げていらっしゃる方もいるようなんで大変恐縮なことですが、嬉しく思います。

まぁ、そもそも「新井良太」を検索される方が多いか少ないかは分かりませんが、、、。
まぁ、失礼のないよう、みなさんに楽しんでいただけるようネタを見つけてはこっそり公開していきたいと思います。


それで思うこと、、、

当ブログを通じてコミュニケーションが始まった方。
要するにリアルに知り合いじゃない方ということですが、ココにたどり着いたキッカケって、なんだったんでしょう??

やっぱり「新井良太」と、検索されてやってこられたのでしょうか?

ウチの場合、ほかにも「サーパス」、「オリックス・バファローズ」、「金子誠」などなど、キーワードになる語句は多いですが、ブログ上で常連になっていただいた方って、「新井良太」ファンばかりなんですよねー。

たしかに、このなかでは「新井良太」が一番シェアは低いでしょう。
知名度的には一番下だと思うので。
検索してもウチが引っかかる確立は高いとは思いますが、、、。

それでも根付いてくださっている方が良太に集中しているのは、ウチのブログも情報の一端として貢献しているということなんでしょうか??

気になります~(笑)。

ていうか、今日はホントに驕っていますね。
ごめんなさいね。。。


でも、「新井良太まつり」の常連の方はみなさんいい人ばかり。
「よしみ」さん以外で(よしみさんはリアルにお友達なので)リアルにお会いしたことがあるのは「あゃか♪」さんと「わこ」さんですが、どちらも一途に良太を応援してくださる、とてもステキな方です。

これも、良太の人柄だと思います。

いい選手だし、いい人間だと思う「新井良太」。
信じてるぞー!!

これからも、楽しく応援できればと思った今日この頃でした。

ステキな、愛すべき新井良太ファンの皆さんに感謝感謝です。

そして、いつもいじってしまってゴメンね☆
の、「新井良太」本人にも感謝です。

Wii Fitに挑戦

2007年12月17日 | Weblog
うひひ

自慢してもいいデスか?

これ、Wii fitを買ったということが自慢じゃありません。
別荘の主が買ったので、やらせてもらったんですが、、、

お試し版でも試用できるメニューで、身長と年齢を打ち込んでの体重測定と身体バランスの測定テスト。

ボクは1978年12月19日生まれ
あさってで29歳なんですが、、、


”23”!?


わーい。
23歳の身体だそうです☆

自慢!です(笑)。

ヨガや筋力メニューには興味ありましたね。
実際にジムなんかでもできるんでしょうが、わりと的確にアドバイスもくれるので、毎日やっていればたしかに効果あるかも。

あ!
ちなみにボク、ジムやスポーツクラブの入会経験はございません!!
毎日走ってるわけでもないし。。。

でも、持久力や体力は、本当に鍛えないと落ちちゃいますよね。
この体力年齢は、どちらかというと柔軟性とかバランスとか、素質的なものでしょうから。

というわけで、身体維持できるようストレッチはやっておきます。
野球もソフトもやらなきゃいけないし、なにより怪我をしない体力づくりが大事だと思いますね。

Wii fit
とても面白いと思います。
持ってる方はぜひがんばってください。


後述、、、
主どの、
またなにげに誕生日をアピールして~!
なんて言わないでね(笑)。

偶然ですから。

あ、
でも誕生日プレゼント、ありがとうございました(爆)。

風林火山!最終回!!

2007年12月16日 | Weblog
壮絶な勘助の死と、川中島の終決で物語が終わりました。

死が戦場での突発的なシーンなために、回想シーンやその後のエンディングのつなげ方に、いささかバタバタ感があったような気はしますが、、、

それは、風林火山の物語的には勘助の死で終えんなんですが、この川中島の戦いも、まだまだ信玄と武田家の歴史のなかでは通過点であって、ボクもそうやって見てしまっっているからかもしれません。


それでも最後に勘助の従者で、葛笠村からの仲間である伝兵衛と太吉がそれぞれ勘助の遺体と、上杉軍から取り返してきた首を担いで信玄のところに帰ってきた。
というシーンにはジーンときました。

信玄と家臣は、勘助の帰還を見届けて、勝どきを上げたんですよね。

ここには、信玄と家臣との信頼関係を裏付けるラストシーンになったと思います。


いつになく硬派な感じで、「THE 大河」っていう雰囲気を出してくれた風林火山。
市川亀治郎氏の信玄も、最初はやたら歌舞伎顔の演技でどうかなと思っていたのですが、年を重ねるごとに信玄が見せる喜怒哀楽の表現法と、その迫力はまさに歌舞伎役者のすごさを感じました。
Gacktの謙信もカッコよかったし、回を追うごとにハマってきていると思ったので、Gackt自身への興味も深まりました。

甲冑がカッコよかったのぉ(笑)。
勘助と謙信の甲冑がカッコいいの。。。

うん、着てみたい(爆)。

頭の写っ
は、おそらく放送開始時のころの宣材写真か、若い頃の設定のものの拾い物だと思うのですが、最終回の勘助は、この写真と思ってもかなり形相の違う、雰囲気たっぷりの物語になったと思います。


来年の「篤姫」はどうやろなぁ。
わが家にも幕末フリークがいるし、また違った角度から幕末史を楽しむことができるのではないかと期待しております。

勘助役の内野聖陽さん
隻眼のうえ、片足を引きずりながらの熱演!
いまは足のリハビリもやっているそうですね。

長い間、お疲れ様でした!!

ルミナリエ行ってきました。

2007年12月15日 | 
今回は、同行者の都合もあり、点灯直後に行ってきました。
元町駅前から元町商店街を周らされ、会場まで1時間強の行脚となりました。

一番人が集まる時間帯ですからね。

今年で最後?
なんて声が現実味を帯びている今回。
ルミナリエを通じて神戸復興を忘れてはいけない!
と、思う人がどれだけいるか分かりませんが、ボクは、他府県民として神戸を応援できる貴重なイベントです。

しっかり目に焼き付けておきたい、と行ってきました。

やっぱりキレイですねぇ。


ヴィトンのモデルもうっとりする(?)素敵な光です。


こちらがスパッリエーラ。




今年のスパッリエーラは、背が高い気がします。


右下のいつもの櫓なんですが


今年は特ににぎわっている、、、
というのも、ここが募金箱となっていて、募金を投げて、真ん中の鐘に当たれば鐘が鳴るというもの。。。

お正月の神社仏閣のお賽銭のごとく、銭が飛んでいました(苦笑)。


100円募金を呼びかけていますが、ボクは前述の通り、ルミナリエは賛成派。
ちゃんとボクなりに神戸の町には愛着と感謝の気持ちがあるので、来年のルミナリエの開催を願って、1000円入れときましたよ~。

予定の5分の1しか集まってない話があったので、他の人の分若干貢献しておきました。

また見に行きたいなぁ。





ところで、
別荘の主曰く、日帰りツアーのバスが、待機するためポーアイにあふれかえっているそうですね。
非常に迷惑だと感じたのだそうです。

事務局側の継続を望む動きと訴えはボクは前向きに賛同しますが、こういう運営面、警備面での規制の強化、地元の方への理解を促せられるような改善策。
こういう姿勢も見せないといけないと思います。

百歩譲ってイベントだとしても、ことが大きくなると本来の意義を損ねることもあります。
ルミナリエに来られるお客様、そしてツアーを運営している旅行業者様にも、このルミナリエがどのような意味で開催そして継続を訴えられているのか、どのように参加すべきかを考えて頂きたいとも思います。

オフも新井良太まつり!

2007年12月14日 | 新井良太まつり
オフのよもやま話 2
いやぁ、書きたいこといっぱいあって、ついつい順番が遅くなってしまいましたが、先週末の話です(笑)。


カージナルス田口、日本復帰「ない」


というニュースが先週末に飛び込んできましたが、セントルイス・カージナルスを退団することになった田口選手はこの日、なんとナゴヤ球場のドラゴンズ室内練習場で少年野球の野球教室に参加していたんですね。

メイン講師として、ドラゴンズの若手選手と一緒に指導を行ったということなんですが、
なんと、その参加した講師のなかに、、、


こやつも参加していました。

しかも!
少年相手に守備を指導!!
アンド、笑顔で。

証拠写真がなくて残念。
テレビで確認!!


良太ょ、

「ついでにまじって教えてもらったらどないや(爆)?」

と、ついつい思った瞬間でした。

だってぇ


とか、、、


とか、、、、

田口選手って、日本でも外野手としてのプレーが印象強いですが、もともとは大型遊撃手と言われて入団したバリバリの内野の選手。

内野での活躍は短命で、すぐに強肩を買われて外野手に転向したのですが、ハッスルで堅実な守備には昔から定評の選手。
(↑まぁ、短命にしたのは当時の○○監督が潰したという説もありますが…(毒))


いい先生じゃないか

内野から、外野という新しい世界に挑戦する良太。
きっと野球教室を通じて、田口からも何かを得たことであろう。。

そう信じよう(笑)。。。


そういえば、良太はV旅行にも行かず、オフはトレーニングなんでしょうかね?
二人のアニキに鍛えられることと思いますが、、、。

Dear 黒木知宏 2

2007年12月13日 | 大須ボールパーク(野球コラム)
    ↑ 黒木知宏、23歳、ボク、18歳(笑)。

昨日の引退会見を見て、懐かしい映像もいっぱい出てきて、自分なりに黒木知宏の野球人生を振り返っていました。



知り合いを通じて、春日井の王子製紙に初めて社会人の試合を見たときに知った黒木さん。
その選手が、プロに入ると決まって、この人は絶対に応援しよう!
と思い立ったのが95年。


ロッテなんかより、イチロー見ていた方がいいし、セリーグも面白かった時分なのに、なぜか黒木知宏にこれだけ入れ込んでしまって、応援を始めてしまった。
これも、黒木知宏を応援しなさい!という野球の神様が仕向けたヘンな巡り合わせだと思っている。

でも、野球の神様は小心者のボクを変えるために黒木さんに会わせてくれたんだと思う。
マック鈴木もしかり、BWもそうだけど、この当時、野球を通じてボクは劇的に世界が広がった。


一線…
もう、応援団にも入っていたこともカミングアウトしてるんですが、、、


そう、応援団も入った。
こう見えても車酔いするので旅行は嫌いだった身体が、気づいたら夜行バスで博多にも仙台にも行った。

たくさんの友人ができ、いろんな考えを持った人間と交わり、社会の縮図も感じた。



これが当時応援に着ていたユニフォームです。
いわゆるファンクラブユニフォームですが、胸番号の下に注目。


「くそ~!プリアム!!」


そう、


1998年7月7日。
18連敗のときの名場面。
2点差を守り9回2アウトまで追い込んだ黒木さんがプリアムに投じた渾身のストレートが、まさかの同点ホームラン。

凍りついた。
涙より、衝撃ばかりだった記憶がある。
事故にあったような。


黒木知宏も、マウンドで崩れた。

でも、その後日、こうやってユニフォームにサインしてくれた。
衝撃はすごかったけど、それでも黒木さんは前向きでもあった。
持ち前のキャラクターを伺える、ボクだけの思い出だと思っている。

この年は、最多勝も取り、オールスターにも選ばれた。
そう、名古屋でのオールスター。
黒木さんはやっぱ輝いていた。嬉しかった。


また、黒木さんは2年目くらいの時分、一番ほしいタイトルは何?と聞かれて

「ピッチャーとしては、防御率がほしい」

と言っていたが、

この頃から

「最多勝で、チームをとにかく引っ張っていきたい」

と、目標が変わっていた。


チームのエースとして、リードしていきたいという使命をもって、全力で勝ちにこだわる黒木知宏の姿を感じた。

この頃は、7月7日同様、最後まで投げ抜いても、勝てない試合って多かった。
自分の奮闘で、チームが活気付いてほしい。
そんな願いもあったのかもしれない。



当時、グリーンスタジアムのレフとスタンドの6分の1もいなかったロッテファンだが、それでもたくさん集まっていた。
ヒッチハイクして遠征してきたヤツもいた。
ボクもこの当時は、名古屋のファン同士で乗り合い、下道で交通費片道(ガス代のみの)800円。

帰り道、あきらかに居眠り運転で中央分離帯に乗り上げて、死にそうにもなった。

なんて、無茶な遠征ばかりして、それでも黒木さんを追いかけた。


その後も、ボクは関西の試合はほぼ皆勤の勢いで、ロッテを応援した。
黒木さんの試合を、たくさん見たい!
そんな気持ちだけで、足を運んだ。


なかなか登板機会と合わずに、何ヶ月ぶりに生黒木知宏を見て、その日、ひさびさの完封勝利で勝った!
というだけで泣けた。
いや、感慨無量な試合だった。

負けて泣いた記憶より、勝って泣いた記憶の方が圧倒的である。



シドニーはさすがに行けなかったけど、オリンピックのユニフォームも手に入れ、応援した。
しかし、この頃から、自身の応援スタイルや、就職と言う人生の岐路に自分も悩み、応援団を辞め、外野応援を断つ選択をした。

外野応援を断つことで、ロッテファンも卒業した。
同時に、サーパスという自分にとって身近なチームを、ロッテにいたときのノウハウで盛り上げて、ファームの活性化に貢献したいという、新たな夢を持っていた。
本音は、、、
大好きな神戸で、じっくり野球を見たい。
という、一線をやりつくした感のある、新しい野球感のあらわれもあった。

ボク的には、成長だと思っている。
ロッテを応援し、パリーグの野球に触れ、黒木さんの熱い気持ちを受け止めたうえで選んだ道だった。

黒木知宏の活躍も、あえて見方を変えてみたかった。
でも、
もっともっと、本人の息遣いを感じて、投球を分析したり、新しい楽しみをもっと見つけて、近づきたい気持ちは変わらなかった・

けど、
ボクがロッテを去った時を同じくして、黒木さんの野球人生も一変した。
2002年シーズン。
肩、肘。もともと腰は悪かった。
座骨神経痛などは、若い頃から持っていたはずだった。



近くでは見られない。
投げてるところも見られない。

活字だけを見て心配ばかりしていたが、「黒木さんなら頑張っているんだろう」
と言う気持ちだけ持って、ひそかに回復を願っていた。


もうボクはロッテファンじゃない。
って遠慮もあったと思うし、ボク自身の新しい野球感のなかで、あまり表には出さずにいた。
実際、ファンを移籍しても、合併はあるわで、楽しいばかりの道でもなかった。

一ファンとして静かに祈る日々。
優勝をし、一躍人気球団に伸しあがったチームも、黒木さんはいない。

実際、投げたし、それがファンやチームの士気を盛り上げたのは間違いない。

でも、もうあの頃のチームとは違うチームですからね。
昔応援していたチームが優勝をするというのは正直嬉しかったけど、その栄光がまたボクから黒木さんとの距離を作ってしまった要因にもなっていった気がする。

そして、今回の引退だったわけだけど、、

最後まで、一野球人、黒木知宏として悪あがきしてくれたことに、黒木さんらしさを感じて感極まった。



ロッテファン(笑)?
だっせー。

誰がいるっけ?
ていうか、ロッテファンって、日本中に何人いるの?

黒木知宏が輝いていた頃のロッテは、同級生にまだこんなことを言われるような時代だった。
でもボクは胸を張って応援していた。

そしたら、時代は変わるもんだ。

でも、ボクは
18連敗、投げても勝てない、問題もある、、、
そんな中で投げ抜いてきた黒木さんが大好きだし、その時代を応援できたことを誇りに思っている。

その時代、黒木さんとともにロッテの野球で戦い、得たものは大きいと思っているから。

チームだってそうさ!
スパッと応援団を辞めたボクが言うのもなんだけど、(当時の)ボクらが盛り上げた礎が、いまの”マリサポ”文化を築き上げた。

応援団的にもいろいろ言われた。
ある年の東西では、衝突も受けた。

「おまえら、サッカーまがいの応援しやがって」

言われた。

タオルを振れば、あの球団に真似された。



団員と一般ファンあわせて10人くらいで応援した試合もあった。

岐阜でイースタンの巨人戦があったときは、4人だった。

立って応援していたら、後ろのオヤジに
「ロッテなんか応援するな!しょーもない。見えんから座れ」

言われたさ。
でも、それを乗り越えてきた。
好きだったから続けられたし、マイノリティな精神も鍛えられた(笑)。


いまの”マリサポ”と言われる若いロッテファンにも、この気持ちと、こんな時代があったことは受け止めてほしいと思っている。
野球は勝負の世界だし、ファンだって命かけてるヤツがいる。

バカかもしれないけど(いや、実際バカだけどさ)、こんなバカも人生には大切なことだと思う。

野球に限らず、いまこれだけ情熱を持って行動できるものがあるか?
ボク自身もいまだに分からない、安定しない一生の課題ではあるけど。


仕事、生活、サイドビジネス、そして野球、、、
いろんな場面で、黒木知宏を応援して得た

「負けない気持ち」
「あきらめない気持ち」
「明るく元気に、最高の自分を出す努力をする」

生かさなきゃいけないと思う、自分にとって大事な時間だったと言うことを、あらためて強調したい。

自分自身、意外とネガティブで、生まれつきは小さい人間でもあると自分でも思っているから。


なかなか難しいんよ。
なかなか追いつけるものでも、真似できることでもない。
それだけ、黒木さんも苦悩して、汗かいて、身体いっぱい戦ってきたんだから。

だから、尊敬できるんだけど。



長くなったし、しつこくなるから、この辺でやめておくけど、、、
黒木知宏の引退で、あらためて自分が自分に言い聞かせたいこと、みんなに言いたかったこと。。。


黒木知宏と、一時代は終わった。
でも、その気持ちはやっぱり生き続けている。

いや、生かすものだと思う。


そう思って、これからも活躍を応援したいし、黒木さんの教えてくれた気持ち、自分の直面するいろんなことに照らし合わせて、頑張っていきたいと思います。

見ていてください。



野球人、黒木知宏様
ありがとう。
お疲れさま。

人生の先輩、黒木知宏様
これからも、いろんなことを教えてください。

Dear 黒木知宏

2007年12月12日 | 野球
戦力外のロッテ黒木、引退。

全力を注いで戦い続けた13年間だったと思う。
黒木さんの残した結果や活躍だけでなく、苦悩の日々、ぶつけた思い、歓喜、涙、走り続けて出来た道。。。

すべての黒木さんの軌跡と思いは、ファンの心に大きく残り、そのファンの心で行き続けていくと思う。

ボクは、一番いい時を最前線で応援できたけど、苦悩の日々は陰ながらの応援しか出来ませんでした。

でもそれも、自分が野球を楽しく見続けたくて選んだ道。

それでも、黒木さんの心はつねに感じて、つねに自分の中でも動力の源のひとつになっていたと思う。

いまも。
そして、これからも。

それは間違いない。
黒木さんを応援してきて出来た気持ち、出来た友達。
みんないまも生き続けている。

形は変われど、対象は変われど、
変わっていない。

間違ってなかった。
黒木さんに出会えたこと。


黒木さんも、最後まで自分にとって最高の道を選んで頑張ってきたと思う。
移籍しても現役を続けたいと言う気持ち。

それも、ロッテの黒木知宏ではなく、プロ野球選手、黒木知宏としての想い。
ボクはこのとき、一番心が泣いた。

そして、現役引退を決意。
これも黒木さんの選んだ道。

悲しいけど、仕方がない。
ファンはこういうときには謙虚になってしまう。
本当に好きな人が選んだ道。

文句言えても、やっぱり受け止めなければいけない。
受け止めちゃう。
だって、好きな人が選んだ道。


うわ、
何言ってんだろ。
自分でも何言ってるのかわけ分からんくなってきたけど。
まとまらない文章かもしれないけど、
黒木さんにたいして心から出てきた気持ち。

大好きだった黒木さんが野球選手をやめる。
それだけのこと。


これからは、笑顔の黒木さんをもっと見られるような気がするので、とても楽しみです。

黒木知宏のアツい気持ち。

生き続けよ。

もたらせよ。

たくさんの後輩、たくさんの人の心に。


JOHNNY be GOOD !!