
↑ 黒木知宏、23歳、ボク、18歳(笑)。
昨日の引退会見を見て、懐かしい映像もいっぱい出てきて、自分なりに黒木知宏の野球人生を振り返っていました。

知り合いを通じて、春日井の王子製紙に初めて社会人の試合を見たときに知った黒木さん。
その選手が、プロに入ると決まって、この人は絶対に応援しよう!
と思い立ったのが95年。

ロッテなんかより、イチロー見ていた方がいいし、セリーグも面白かった時分なのに、なぜか黒木知宏にこれだけ入れ込んでしまって、応援を始めてしまった。
これも、黒木知宏を応援しなさい!という野球の神様が仕向けたヘンな巡り合わせだと思っている。
でも、野球の神様は小心者のボクを変えるために黒木さんに会わせてくれたんだと思う。
マック鈴木もしかり、BWもそうだけど、この当時、野球を通じてボクは劇的に世界が広がった。
一線…
もう、応援団にも入っていたこともカミングアウトしてるんですが、、、

そう、応援団も入った。
こう見えても車酔いするので旅行は嫌いだった身体が、気づいたら夜行バスで博多にも仙台にも行った。
たくさんの友人ができ、いろんな考えを持った人間と交わり、社会の縮図も感じた。

これが当時応援に着ていたユニフォームです。
いわゆるファンクラブユニフォームですが、胸番号の下に注目。

「くそ~!プリアム!!」
そう、

1998年7月7日。
18連敗のときの名場面。
2点差を守り9回2アウトまで追い込んだ黒木さんがプリアムに投じた渾身のストレートが、まさかの同点ホームラン。
凍りついた。
涙より、衝撃ばかりだった記憶がある。
事故にあったような。

黒木知宏も、マウンドで崩れた。
でも、その後日、こうやってユニフォームにサインしてくれた。
衝撃はすごかったけど、それでも黒木さんは前向きでもあった。
持ち前のキャラクターを伺える、ボクだけの思い出だと思っている。
この年は、最多勝も取り、オールスターにも選ばれた。
そう、名古屋でのオールスター。
黒木さんはやっぱ輝いていた。嬉しかった。
また、黒木さんは2年目くらいの時分、一番ほしいタイトルは何?と聞かれて
「ピッチャーとしては、防御率がほしい」
と言っていたが、
この頃から
「最多勝で、チームをとにかく引っ張っていきたい」
と、目標が変わっていた。

チームのエースとして、リードしていきたいという使命をもって、全力で勝ちにこだわる黒木知宏の姿を感じた。
この頃は、7月7日同様、最後まで投げ抜いても、勝てない試合って多かった。
自分の奮闘で、チームが活気付いてほしい。
そんな願いもあったのかもしれない。

当時、グリーンスタジアムのレフとスタンドの6分の1もいなかったロッテファンだが、それでもたくさん集まっていた。
ヒッチハイクして遠征してきたヤツもいた。
ボクもこの当時は、名古屋のファン同士で乗り合い、下道で交通費片道(ガス代のみの)800円。
帰り道、あきらかに居眠り運転で中央分離帯に乗り上げて、死にそうにもなった。
なんて、無茶な遠征ばかりして、それでも黒木さんを追いかけた。

その後も、ボクは関西の試合はほぼ皆勤の勢いで、ロッテを応援した。
黒木さんの試合を、たくさん見たい!
そんな気持ちだけで、足を運んだ。

なかなか登板機会と合わずに、何ヶ月ぶりに生黒木知宏を見て、その日、ひさびさの完封勝利で勝った!
というだけで泣けた。
いや、感慨無量な試合だった。
負けて泣いた記憶より、勝って泣いた記憶の方が圧倒的である。

シドニーはさすがに行けなかったけど、オリンピックのユニフォームも手に入れ、応援した。
しかし、この頃から、自身の応援スタイルや、就職と言う人生の岐路に自分も悩み、応援団を辞め、外野応援を断つ選択をした。
外野応援を断つことで、ロッテファンも卒業した。
同時に、サーパスという自分にとって身近なチームを、ロッテにいたときのノウハウで盛り上げて、ファームの活性化に貢献したいという、新たな夢を持っていた。
本音は、、、
大好きな神戸で、じっくり野球を見たい。
という、一線をやりつくした感のある、新しい野球感のあらわれもあった。
ボク的には、成長だと思っている。
ロッテを応援し、パリーグの野球に触れ、黒木さんの熱い気持ちを受け止めたうえで選んだ道だった。
黒木知宏の活躍も、あえて見方を変えてみたかった。
でも、
もっともっと、本人の息遣いを感じて、投球を分析したり、新しい楽しみをもっと見つけて、近づきたい気持ちは変わらなかった・
けど、
ボクがロッテを去った時を同じくして、黒木さんの野球人生も一変した。
2002年シーズン。
肩、肘。もともと腰は悪かった。
座骨神経痛などは、若い頃から持っていたはずだった。

近くでは見られない。
投げてるところも見られない。
活字だけを見て心配ばかりしていたが、「黒木さんなら頑張っているんだろう」
と言う気持ちだけ持って、ひそかに回復を願っていた。
もうボクはロッテファンじゃない。
って遠慮もあったと思うし、ボク自身の新しい野球感のなかで、あまり表には出さずにいた。
実際、ファンを移籍しても、合併はあるわで、楽しいばかりの道でもなかった。
一ファンとして静かに祈る日々。
優勝をし、一躍人気球団に伸しあがったチームも、黒木さんはいない。
実際、投げたし、それがファンやチームの士気を盛り上げたのは間違いない。
でも、もうあの頃のチームとは違うチームですからね。
昔応援していたチームが優勝をするというのは正直嬉しかったけど、その栄光がまたボクから黒木さんとの距離を作ってしまった要因にもなっていった気がする。
そして、今回の引退だったわけだけど、、
最後まで、一野球人、黒木知宏として悪あがきしてくれたことに、黒木さんらしさを感じて感極まった。
ロッテファン(笑)?
だっせー。
誰がいるっけ?
ていうか、ロッテファンって、日本中に何人いるの?
黒木知宏が輝いていた頃のロッテは、同級生にまだこんなことを言われるような時代だった。
でもボクは胸を張って応援していた。
そしたら、時代は変わるもんだ。
でも、ボクは
18連敗、投げても勝てない、問題もある、、、
そんな中で投げ抜いてきた黒木さんが大好きだし、その時代を応援できたことを誇りに思っている。
その時代、黒木さんとともにロッテの野球で戦い、得たものは大きいと思っているから。
チームだってそうさ!
スパッと応援団を辞めたボクが言うのもなんだけど、(当時の)ボクらが盛り上げた礎が、いまの”マリサポ”文化を築き上げた。
応援団的にもいろいろ言われた。
ある年の東西では、衝突も受けた。
「おまえら、サッカーまがいの応援しやがって」
言われた。
タオルを振れば、あの球団に真似された。

団員と一般ファンあわせて10人くらいで応援した試合もあった。
岐阜でイースタンの巨人戦があったときは、4人だった。
立って応援していたら、後ろのオヤジに
「ロッテなんか応援するな!しょーもない。見えんから座れ」
言われたさ。
でも、それを乗り越えてきた。
好きだったから続けられたし、マイノリティな精神も鍛えられた(笑)。
いまの”マリサポ”と言われる若いロッテファンにも、この気持ちと、こんな時代があったことは受け止めてほしいと思っている。
野球は勝負の世界だし、ファンだって命かけてるヤツがいる。
バカかもしれないけど(いや、実際バカだけどさ)、こんなバカも人生には大切なことだと思う。
野球に限らず、いまこれだけ情熱を持って行動できるものがあるか?
ボク自身もいまだに分からない、安定しない一生の課題ではあるけど。

仕事、生活、サイドビジネス、そして野球、、、
いろんな場面で、黒木知宏を応援して得た
「負けない気持ち」
「あきらめない気持ち」
「明るく元気に、最高の自分を出す努力をする」
生かさなきゃいけないと思う、自分にとって大事な時間だったと言うことを、あらためて強調したい。
自分自身、意外とネガティブで、生まれつきは小さい人間でもあると自分でも思っているから。

なかなか難しいんよ。
なかなか追いつけるものでも、真似できることでもない。
それだけ、黒木さんも苦悩して、汗かいて、身体いっぱい戦ってきたんだから。
だから、尊敬できるんだけど。

長くなったし、しつこくなるから、この辺でやめておくけど、、、
黒木知宏の引退で、あらためて自分が自分に言い聞かせたいこと、みんなに言いたかったこと。。。
黒木知宏と、一時代は終わった。
でも、その気持ちはやっぱり生き続けている。
いや、生かすものだと思う。
そう思って、これからも活躍を応援したいし、黒木さんの教えてくれた気持ち、自分の直面するいろんなことに照らし合わせて、頑張っていきたいと思います。
見ていてください。

野球人、黒木知宏様
ありがとう。
お疲れさま。
人生の先輩、黒木知宏様
これからも、いろんなことを教えてください。
昨日の引退会見を見て、懐かしい映像もいっぱい出てきて、自分なりに黒木知宏の野球人生を振り返っていました。

知り合いを通じて、春日井の王子製紙に初めて社会人の試合を見たときに知った黒木さん。
その選手が、プロに入ると決まって、この人は絶対に応援しよう!
と思い立ったのが95年。

ロッテなんかより、イチロー見ていた方がいいし、セリーグも面白かった時分なのに、なぜか黒木知宏にこれだけ入れ込んでしまって、応援を始めてしまった。
これも、黒木知宏を応援しなさい!という野球の神様が仕向けたヘンな巡り合わせだと思っている。
でも、野球の神様は小心者のボクを変えるために黒木さんに会わせてくれたんだと思う。
マック鈴木もしかり、BWもそうだけど、この当時、野球を通じてボクは劇的に世界が広がった。
一線…
もう、応援団にも入っていたこともカミングアウトしてるんですが、、、

そう、応援団も入った。
こう見えても車酔いするので旅行は嫌いだった身体が、気づいたら夜行バスで博多にも仙台にも行った。
たくさんの友人ができ、いろんな考えを持った人間と交わり、社会の縮図も感じた。

これが当時応援に着ていたユニフォームです。
いわゆるファンクラブユニフォームですが、胸番号の下に注目。

「くそ~!プリアム!!」
そう、

1998年7月7日。
18連敗のときの名場面。
2点差を守り9回2アウトまで追い込んだ黒木さんがプリアムに投じた渾身のストレートが、まさかの同点ホームラン。
凍りついた。
涙より、衝撃ばかりだった記憶がある。
事故にあったような。

黒木知宏も、マウンドで崩れた。
でも、その後日、こうやってユニフォームにサインしてくれた。
衝撃はすごかったけど、それでも黒木さんは前向きでもあった。
持ち前のキャラクターを伺える、ボクだけの思い出だと思っている。
この年は、最多勝も取り、オールスターにも選ばれた。
そう、名古屋でのオールスター。
黒木さんはやっぱ輝いていた。嬉しかった。
また、黒木さんは2年目くらいの時分、一番ほしいタイトルは何?と聞かれて
「ピッチャーとしては、防御率がほしい」
と言っていたが、
この頃から
「最多勝で、チームをとにかく引っ張っていきたい」
と、目標が変わっていた。

チームのエースとして、リードしていきたいという使命をもって、全力で勝ちにこだわる黒木知宏の姿を感じた。
この頃は、7月7日同様、最後まで投げ抜いても、勝てない試合って多かった。
自分の奮闘で、チームが活気付いてほしい。
そんな願いもあったのかもしれない。

当時、グリーンスタジアムのレフとスタンドの6分の1もいなかったロッテファンだが、それでもたくさん集まっていた。
ヒッチハイクして遠征してきたヤツもいた。
ボクもこの当時は、名古屋のファン同士で乗り合い、下道で交通費片道(ガス代のみの)800円。
帰り道、あきらかに居眠り運転で中央分離帯に乗り上げて、死にそうにもなった。
なんて、無茶な遠征ばかりして、それでも黒木さんを追いかけた。

その後も、ボクは関西の試合はほぼ皆勤の勢いで、ロッテを応援した。
黒木さんの試合を、たくさん見たい!
そんな気持ちだけで、足を運んだ。

なかなか登板機会と合わずに、何ヶ月ぶりに生黒木知宏を見て、その日、ひさびさの完封勝利で勝った!
というだけで泣けた。
いや、感慨無量な試合だった。
負けて泣いた記憶より、勝って泣いた記憶の方が圧倒的である。

シドニーはさすがに行けなかったけど、オリンピックのユニフォームも手に入れ、応援した。
しかし、この頃から、自身の応援スタイルや、就職と言う人生の岐路に自分も悩み、応援団を辞め、外野応援を断つ選択をした。
外野応援を断つことで、ロッテファンも卒業した。
同時に、サーパスという自分にとって身近なチームを、ロッテにいたときのノウハウで盛り上げて、ファームの活性化に貢献したいという、新たな夢を持っていた。
本音は、、、
大好きな神戸で、じっくり野球を見たい。
という、一線をやりつくした感のある、新しい野球感のあらわれもあった。
ボク的には、成長だと思っている。
ロッテを応援し、パリーグの野球に触れ、黒木さんの熱い気持ちを受け止めたうえで選んだ道だった。
黒木知宏の活躍も、あえて見方を変えてみたかった。
でも、
もっともっと、本人の息遣いを感じて、投球を分析したり、新しい楽しみをもっと見つけて、近づきたい気持ちは変わらなかった・
けど、
ボクがロッテを去った時を同じくして、黒木さんの野球人生も一変した。
2002年シーズン。
肩、肘。もともと腰は悪かった。
座骨神経痛などは、若い頃から持っていたはずだった。

近くでは見られない。
投げてるところも見られない。
活字だけを見て心配ばかりしていたが、「黒木さんなら頑張っているんだろう」
と言う気持ちだけ持って、ひそかに回復を願っていた。
もうボクはロッテファンじゃない。
って遠慮もあったと思うし、ボク自身の新しい野球感のなかで、あまり表には出さずにいた。
実際、ファンを移籍しても、合併はあるわで、楽しいばかりの道でもなかった。
一ファンとして静かに祈る日々。
優勝をし、一躍人気球団に伸しあがったチームも、黒木さんはいない。
実際、投げたし、それがファンやチームの士気を盛り上げたのは間違いない。
でも、もうあの頃のチームとは違うチームですからね。
昔応援していたチームが優勝をするというのは正直嬉しかったけど、その栄光がまたボクから黒木さんとの距離を作ってしまった要因にもなっていった気がする。
そして、今回の引退だったわけだけど、、
最後まで、一野球人、黒木知宏として悪あがきしてくれたことに、黒木さんらしさを感じて感極まった。
ロッテファン(笑)?
だっせー。
誰がいるっけ?
ていうか、ロッテファンって、日本中に何人いるの?
黒木知宏が輝いていた頃のロッテは、同級生にまだこんなことを言われるような時代だった。
でもボクは胸を張って応援していた。
そしたら、時代は変わるもんだ。
でも、ボクは
18連敗、投げても勝てない、問題もある、、、
そんな中で投げ抜いてきた黒木さんが大好きだし、その時代を応援できたことを誇りに思っている。
その時代、黒木さんとともにロッテの野球で戦い、得たものは大きいと思っているから。
チームだってそうさ!
スパッと応援団を辞めたボクが言うのもなんだけど、(当時の)ボクらが盛り上げた礎が、いまの”マリサポ”文化を築き上げた。
応援団的にもいろいろ言われた。
ある年の東西では、衝突も受けた。
「おまえら、サッカーまがいの応援しやがって」
言われた。
タオルを振れば、あの球団に真似された。

団員と一般ファンあわせて10人くらいで応援した試合もあった。
岐阜でイースタンの巨人戦があったときは、4人だった。
立って応援していたら、後ろのオヤジに
「ロッテなんか応援するな!しょーもない。見えんから座れ」
言われたさ。
でも、それを乗り越えてきた。
好きだったから続けられたし、マイノリティな精神も鍛えられた(笑)。
いまの”マリサポ”と言われる若いロッテファンにも、この気持ちと、こんな時代があったことは受け止めてほしいと思っている。
野球は勝負の世界だし、ファンだって命かけてるヤツがいる。
バカかもしれないけど(いや、実際バカだけどさ)、こんなバカも人生には大切なことだと思う。
野球に限らず、いまこれだけ情熱を持って行動できるものがあるか?
ボク自身もいまだに分からない、安定しない一生の課題ではあるけど。

仕事、生活、サイドビジネス、そして野球、、、
いろんな場面で、黒木知宏を応援して得た
「負けない気持ち」
「あきらめない気持ち」
「明るく元気に、最高の自分を出す努力をする」
生かさなきゃいけないと思う、自分にとって大事な時間だったと言うことを、あらためて強調したい。
自分自身、意外とネガティブで、生まれつきは小さい人間でもあると自分でも思っているから。

なかなか難しいんよ。
なかなか追いつけるものでも、真似できることでもない。
それだけ、黒木さんも苦悩して、汗かいて、身体いっぱい戦ってきたんだから。
だから、尊敬できるんだけど。

長くなったし、しつこくなるから、この辺でやめておくけど、、、
黒木知宏の引退で、あらためて自分が自分に言い聞かせたいこと、みんなに言いたかったこと。。。
黒木知宏と、一時代は終わった。
でも、その気持ちはやっぱり生き続けている。
いや、生かすものだと思う。
そう思って、これからも活躍を応援したいし、黒木さんの教えてくれた気持ち、自分の直面するいろんなことに照らし合わせて、頑張っていきたいと思います。
見ていてください。

野球人、黒木知宏様
ありがとう。
お疲れさま。
人生の先輩、黒木知宏様
これからも、いろんなことを教えてください。
「ぷ~りちゃ~ん」コールもやってたなぁ......
「プラカ職人」やってたなぁ......
バカやってたなぁ......
そういうことが簡単にできてた時代が懐かしいなぁ......
いまでは、GSの外野スタンドに洗濯物のように応援プラカードが立てかけてあったことがなにより懐かしいですね。
世の中便利になって、今のファンは10年前と比べても恵まれた環境で野球を楽しめているとは思いますが、反面で、いろいろ縛られたことも生じていると思います。
おちおち目立ったことも出来やしねぇ・・・(爆)。
>お頭さま
ボクの中では(立って応援していた人を数えた)藤井寺29人が最高ですかね(笑)。
96年。
それを思うと、上記K氏のレス同様、世の中便利になってファンも増えました。
いいことだけど、、情緒はなくなりましたよね。。。
名古屋のBsファン的にはオープン戦あまりメリットないんで(開幕も飛び石関東だし)、引退試合見に行きたいですね。