茶道具と和歌@湯木美術館
はじめて和歌が茶席に持ち込まれたのは、武野紹鷗の天文24年(1555)10月2日の茶会のことだとか。
以後、茶掛に和歌が使用されると共に江戸時代には茶道具にも和歌が書き付けられることが盛んになったとのこと。
和歌云々はよく分からないところがあるが、和歌を記す書を含めてこの国の文化の豊かさ、奥深さは実感した。

新古今和歌集写本 飛鳥井雅親筆
室町時代のものだが、こんな書を見ているとつくづく日本の文化は豊かであり、奥深いなと感じ入る。
唐物肩衝茶入 銘「富士山」
南宋時代のものらしいが、ほんとに小振りな茶入。愛着を感じる。
挽屋の蓋には大徳寺江月の「富士山」、胴には五言絶句が彫り込まれている。
赤茶碗 銘三井寺
道入作の赤茶碗で大きな割れ目を継いだ茶碗。弁慶が三井寺の梵鐘を比叡山から投げて割れた故事にならっての銘。割れ目の継ぎが茶碗を貧相にするどころか、むしろ迫力を増しているのが凄い。
鶴羽箒 歌銘増鏡
やや小振りな小堀遠州自作の羽箒。三枚重ねて結ったものだが、羽箒にまで銘があるのには驚く。
真塗手桶水指
利休好の写で江戸時代のもの。塗蓋の裏に妙心斉による「木の葉散る宿のききわくかたもなき時雨する夜も時雨せぬ夜も」と。いい歌だ。
柿の蔕茶碗 銘「藤波」 耳庵追名「茨木」
16世紀の高麗茶碗
小堀遠州が「藤波」と銘名し、後に松永耳庵が茨木童子を連想して「茨木」と追銘し、それを受けて湯木貞が「茨木をかよひて嵯峨に着ききりしぐれにぬれしあとの照映」と詠んだと。違いの分かる人達の世界。
朱盃 酒井抱一 下絵
酒井抱一が富士山、福禄寿など頭に「ふ」のつくものを書いた盃
野宮釜 西村道仁
室町時代の釜だが、見ただけで引き込まれた。完成品?
天下一との号を与えられた道仁の作とはこういうものか、と感嘆。
ただ改めて思うのは、お茶の世界で室町時代に和歌が盛んになり、江戸時代には俳諧連歌が持ち込まれたわけだが、やっぱり大事なのは本当に真髄をなしているものは何かってことじゃないか、と。

はじめて和歌が茶席に持ち込まれたのは、武野紹鷗の天文24年(1555)10月2日の茶会のことだとか。
以後、茶掛に和歌が使用されると共に江戸時代には茶道具にも和歌が書き付けられることが盛んになったとのこと。
和歌云々はよく分からないところがあるが、和歌を記す書を含めてこの国の文化の豊かさ、奥深さは実感した。

新古今和歌集写本 飛鳥井雅親筆
室町時代のものだが、こんな書を見ているとつくづく日本の文化は豊かであり、奥深いなと感じ入る。
唐物肩衝茶入 銘「富士山」
南宋時代のものらしいが、ほんとに小振りな茶入。愛着を感じる。
挽屋の蓋には大徳寺江月の「富士山」、胴には五言絶句が彫り込まれている。
赤茶碗 銘三井寺
道入作の赤茶碗で大きな割れ目を継いだ茶碗。弁慶が三井寺の梵鐘を比叡山から投げて割れた故事にならっての銘。割れ目の継ぎが茶碗を貧相にするどころか、むしろ迫力を増しているのが凄い。
鶴羽箒 歌銘増鏡
やや小振りな小堀遠州自作の羽箒。三枚重ねて結ったものだが、羽箒にまで銘があるのには驚く。
真塗手桶水指
利休好の写で江戸時代のもの。塗蓋の裏に妙心斉による「木の葉散る宿のききわくかたもなき時雨する夜も時雨せぬ夜も」と。いい歌だ。
柿の蔕茶碗 銘「藤波」 耳庵追名「茨木」
16世紀の高麗茶碗
小堀遠州が「藤波」と銘名し、後に松永耳庵が茨木童子を連想して「茨木」と追銘し、それを受けて湯木貞が「茨木をかよひて嵯峨に着ききりしぐれにぬれしあとの照映」と詠んだと。違いの分かる人達の世界。
朱盃 酒井抱一 下絵
酒井抱一が富士山、福禄寿など頭に「ふ」のつくものを書いた盃
野宮釜 西村道仁
室町時代の釜だが、見ただけで引き込まれた。完成品?
天下一との号を与えられた道仁の作とはこういうものか、と感嘆。
ただ改めて思うのは、お茶の世界で室町時代に和歌が盛んになり、江戸時代には俳諧連歌が持ち込まれたわけだが、やっぱり大事なのは本当に真髄をなしているものは何かってことじゃないか、と。
