明日の風に吹かれて

日々の感じることを感じるままを綴っていきます。 明日が佳き日になりますように。

明治 内国勧業博覧会 京都と大阪の違い?

2015年10月31日 16時59分37秒 | つれづれ
内国勧業博覧会

第1回から第3回までは東京上野で開催.

明治28年第4回は京都、明治36年第5回は大阪で開催された。

京都では岡崎にて開催されその中心になったのが、丁度その年平安京遷都1100年を記念に建てらた平安神宮。

その後岡崎には、勧業会館、図書館、美術館、動物園が出来て、産業ならびに文化の中心地にしようとしていった。当初の狙いが100%達成出来ているとは思わないが、今もその風情は残る。



一方、大阪では天王寺、今宮で開催された。博覧会の跡地には通天閣、ルナパークなどが建てられた。

京都出身の住友春翠は天王寺茶臼山の2万坪の大邸宅を「跡地を美術館にすること」を条件に大阪市に寄贈したが、それは恐らく京都に負けない産業、文化の中心になることを期待したのかも知れない。

それが、まさか周辺が「二度漬け禁止」の串カツ店の本拠地他になるとは..



今、大阪市の管理する住友春翠の思い入れの慶沢園もかなり荒れたままだし...

京都と大阪の違い?



「数寄者 住友春翠」 シンポジウム@泉屋博古館

2015年10月31日 16時14分37秒 | お茶
「数寄者 住友春翠」シンポジウム@泉屋博古館



住友家15代当主 住友春翠。
大正8年、50代になった春翠は大阪天王寺の茶臼山に2万坪の広大なる本邸を建て、苑内の茶室で歴史に残る茶会を開いた。

その茶道具他の展示と熊倉巧夫さん他を招いたシンポジウム。

■矢ヶ崎善太郎(建築)
担当したのは大阪四天王寺の大工 八木甚兵衛。この人の関わった近代建築のうち現存する3棟が重要文化財に指定されるという名工。


■小川治兵衛(庭園)
現在の慶沢園。園内の池は大阪湾を模したものであり、屈曲して流れる流れは淀川を模したもの。
京都の公家出身の春翠が大阪の住友家に入ったわけだが、京都鴨川、淀川、そして大阪湾に注ぎ込む川のイメージに春翠自身の生涯を求めたものかも知れないと。

兼六園、後楽園、栗林公園のそれぞれの特徴を取り入れているとのこと。


■熊倉巧夫(茶会)
明治以降の東京の新興豪族の間にお茶が広まり、明治29年に大師会。

元々京都、関西にもお茶はあったものの一時期は煎茶ブームに圧倒されていたが、大正4年光悦会が。

住友春翠の茶臼山本邸、園内の茶室が出来たのが丁度大正8年。

大正8年、春翠は中興名物の銘六地蔵の小井戸茶碗、銘真如堂の瀬戸肩衝茶入、大名物の大講堂釜を用いて先代住友友親の30年忌の茶会を開いた。

そもそも先代が茶碗銘六地蔵を手に入れたもののこれに見合う茶入がなく茶碗を使った茶会を催すことなく亡くなった。春翠は、銘真如堂の茶入を求めて六地蔵茶碗と合わせて追善茶会とした。

しかも、その時に住友家には裏千家今日庵の謂れとなった清巌和尚「懈怠比丘不期明日」のお軸と宗旦による返礼のお軸「邂逅比丘不期明日」の2本があったそうだ。凄い! (その後裏千家にお返ししたとのこと)

通常お茶会ではお軸は1本しか使わない(使えないが)、春翠は「前茶」という形を取り入れ、この2本のお軸を使ったとのこと。


それにしても、これほどの本邸を建てた僅か2年後に「跡地には美術館を建てること」を条件に一切を大阪市に寄付するとはなんと豪胆な!
今の大阪市立美術館他の敷地。



佐藤B作さん 自分の殻を破るということ

2015年10月29日 21時25分06秒 | 役者
佐藤B作さん

誰でも参加していいというので。

意外?に福島の進学校で勉強漬けの毎日を送っていたそう。その甲斐あって、早稲田に現役合格。

入学後の五月病の時期を経て最終的には役者になろうと大学を中退。

でも受けた劇団は全部不合格。なんとか頼み込んで自由劇場に裏方として拾ってもらう。

大道具を作る毎日、同期の役者が客席で見ている中を舞台を一人で掃除している時には泣きながら掃除していた、と。

B作さんの舞台はコメディタッチだが、そういうことなんだね。


質問コーナーでは思い切って聞いてみたら、切り返えされた。

「あんた、素直な顔立ちだからいい役が多いやろうけど、悪い役が来たらどうする?」と。


自分を格好良く見せるとかではなく、この舞台を良くするには何が出来るかということ。
そのために出来ることを楽しんでやってみること。
これは? じゃ、これはどうだ? なら、これならどうだ? と。

結局自分の殻を破るということ。

行ってみて良かった。


京都 きつねそば たねきそば

2015年10月29日 12時43分50秒 | つれづれ
京都 きつねそば

分かっていても、どうしても合点がいかない京都のきつねそば、たねきそば。


大阪でたねきそばと言えば、甘く炊いた大きな油揚げの入ったお蕎麦。
きつねは、そのうどん版。


京都できつねそばと言えば、油揚げ、しかも乾いた油揚げを短冊に切りにして九条ネギと一緒にそばに乗せる。
たねきそばと言えばそのあんかけ。


大阪のたねきはどこに化けたのか?


柄杓の動線

2015年10月28日 21時23分47秒 | お茶
お茶のお稽古、終わり。

初炭をやってたら先生が「この間の伏見稲荷でのお茶会で炭が消えたのよ。しかも献茶式だったのよ」と、さらりとプレッシャーをかけられ、どきり!

本当に炭は生き物、難しい。


唐物点前
「柄杓、水指しには行く時には茶入れの右側を通るけれど、御釜に戻る時は一直線」と何度も注意される。





それより、今夜は二人だけのお稽古と聞いてたのに遅れて女性陣が次々と。で、いきなり平花月のお稽古に変更。

全員で花月点前のお稽古をやりながら、「12月のお茶会では、水屋でこんなベテラン女性陣と一緒か...」と思わず心の中でつぶやいた。

お軸は看脚下