福岡 筑後 今村の教会
筑後平野の田んぼの中に悠然と二つの塔を持つロマネスク風の赤煉瓦造りの美しい今村教会が建つ。
ここは不思議な土地だ。
この地にも200数十年間、長崎等のキリシタンとも一切の連絡を取ることなく、完全に独立したかくれキリシタンの里を維持してきた。
通常かくれキリシタンの里は、人里離れた山奥や交通不便な島が考えられるが、ここはのどかな田園地帯。
ここで親から子へ、密かに永々とキリストの信仰が伝えられてきたわけだが、それがどうしてうまく継承出来たのかは、今でもよく分かっていないらしい。
明治6(1873)年のキリシタン禁教の廃止の頃には土蔵の中で集会等が行われていたようだが、やがて1881年には木造の教会が建設されたそうだ。
現在の今村教会は、1908年に計画され、ドイツや諸外国の寄付を受けて完成したのが1913年(大正2年)
今から101年前。
ステンドグラスも美しい。
設計、施工を手掛けたのが日本の教会建築に大きな足跡を残した鉄川与助。
西洋建築を正規に学んではいないもののその建築物には圧倒的な重厚感、存在感を感じる。
ド•ロ神父とかに可愛いがられ、当人もそれらカトリックの神父さん方に多いになつきながらも最後までカトリックの洗礼は受けなかったようだ。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/鉄川与助
筑後平野の田んぼの中に悠然と二つの塔を持つロマネスク風の赤煉瓦造りの美しい今村教会が建つ。
ここは不思議な土地だ。
この地にも200数十年間、長崎等のキリシタンとも一切の連絡を取ることなく、完全に独立したかくれキリシタンの里を維持してきた。
通常かくれキリシタンの里は、人里離れた山奥や交通不便な島が考えられるが、ここはのどかな田園地帯。
ここで親から子へ、密かに永々とキリストの信仰が伝えられてきたわけだが、それがどうしてうまく継承出来たのかは、今でもよく分かっていないらしい。
明治6(1873)年のキリシタン禁教の廃止の頃には土蔵の中で集会等が行われていたようだが、やがて1881年には木造の教会が建設されたそうだ。
現在の今村教会は、1908年に計画され、ドイツや諸外国の寄付を受けて完成したのが1913年(大正2年)
今から101年前。
ステンドグラスも美しい。
設計、施工を手掛けたのが日本の教会建築に大きな足跡を残した鉄川与助。
西洋建築を正規に学んではいないもののその建築物には圧倒的な重厚感、存在感を感じる。
ド•ロ神父とかに可愛いがられ、当人もそれらカトリックの神父さん方に多いになつきながらも最後までカトリックの洗礼は受けなかったようだ。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/鉄川与助