元禄7年(1694年)3月2日、芭蕉は依水らと連れ立って上野に花見に行ったようだ。
明日の日をいかが暮らさん花の山
元禄2年から4年にかけて各地を巡った旅行記を自筆本「おくのほそみち」としてまとめたのが、どうやらこの年元禄7年の2月末ではないか?とのこと。
だとしたら、芭蕉は晴れ晴れとした気分だったろうが、どうしてこんな句を?
前年の夏には暑さで体調を崩すなどしていることから、50を迎えどこかで将来への不安、故郷伊賀への望郷の思いも強まっていたのかも知れない。
この年の秋、伊賀の兄を訪ね、10月に大阪 南御堂で亡くなっている。
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