🌸聖武天皇と橘諸兄 復興への葛藤
☆天平時代、日本は天然痘のパンデミックに襲われた
*国民の三分の一が失われた
☆復興に当たった聖武天皇と宰相の橘諸兄
☆復興に当たって聖武天皇が政権を任せた橘諸兄
*農民の負担を軽くするなど力を尽くす
☆天皇は「仏が守る国」を作るために次々と新たな事業を起こす
*その財源を確保するため
*諸兄は、律令国家の根幹制度を捨てる選択を選んだ
⛳橘諸兄(たちばな の もろえ)の経歴
☆奈良時代の皇族・公卿
☆敏達天皇の後裔で、母は橘三千代で、光明皇后は異父妹
☆聖武天皇の即位後従四位下に叙せられる
*天然痘の流行で、藤原四兄弟・中納言ら議政官が次々に死去
*出仕できる公卿は、参議の鈴鹿王と橘諸兄のみとなった
☆聖武天皇は、諸兄を次期大臣の資格を有する大納言に任命
*諸兄は正三位・右大臣に任ぜられ、太政官の中心的存在となる
*国政は橘諸兄が担当し、聖武天皇を補佐する
☆国政を掌っていた諸兄への批判、藤原氏の政権の回復の動き
*広嗣が九州で兵を動かして反乱を起こすと(藤原広嗣の乱)
☆聖武天皇は伊勢国に行幸
*乱平定後も天皇は平城京に戻らず遷都が行われた
☆孝謙天皇が即位すると、国母・光明皇后の威光を背景に
*藤原仲麻呂の発言力が増すようになる
☆結果、諸兄は辞職を申し出た
☆子息の奈良麻呂は橘奈良麻呂の乱を起こし獄死
⛳橘諸兄政権の政治
☆天然痘の影響で、大納言諸兄が太政官の主班となる
*天然痘の流行は非常に大規模で、人口の約40%失われた
☆聖武天皇と光明皇后の当面の政治的課題
*疫病で損なわれた国力の回復
*光明の異父兄であり、藤原不比等の娘を妻に迎える
*藤原氏とも親和的な皇族の諸兄を首班に据える
*皇族・貴族が一体となった挙国一致の政治体制をとった
☆聖武天皇と諸兄の関係は、難波宮で複数回宴を催すなど良好な関係
☆諸兄は、国力の回復のため実行した施策
*郡司定員の削減や郷里制の廃止など地方行政の簡素化を行う
*東国農民の負担軽減を目的として防人を廃止
*諸国の兵士・健児を停止し公民の負担を軽減した
*土地の再開発を促べく「墾田永年私財法」を発布
☆聖武天皇が次々に新都を建設して遷都を繰り返した
☆孝謙天皇が即位し光明皇后が皇太后になった
*紫微中台の長官に藤原仲麻呂が就任
*諸兄と並ぶ権力を手に入れた
*政治の実権が藤原仲麻呂に移行した
⛳橘諸兄の人物
☆大伴家持と親交があり、『万葉集』の撰者の1人
☆『万葉集』では8首の歌を残している
☆大伴家持が諸兄の長寿を寿ぐために作った歌が万葉集にある
☆大伴家持と親密な関係にあったことがわかる
(敬称略)
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⛳出典、BSNHK「英雄たちの選択」「WIKIPEDIA」
聖武天皇と橘諸兄 復興への葛藤
(「WIKIPEDIA」他より画像引用)