🌸上皇陛下と上皇后美智子さま
⛳上皇陛下、目の当たりにした焼け野原
☆上皇陛下は、皇太子時代日光に疎開されている
☆上皇陛下は、皇太子時代日光に疎開されている
*終戦後、東京に戻ってくると目にしたものは 一面焼け野原
*当時11歳の皇太子にとっての戦争体験だった
☆美智子さまの場合の幼少期も同じような状態
☆美智子さまの場合の幼少期も同じような状態
*疎開先の軽井沢から戻り、東京の惨状を目の当たりにしておられる
☆終戦の翌年から4年間、皇太子の家庭教師
☆終戦の翌年から4年間、皇太子の家庭教師
*アメリカ人女性のヴァイニング夫人
*昭和天皇がアメリカから来日した教育使節団の団長に要望した
*皇太子の家庭教師をアメリカから派遣してくれ
*ヴァイニング夫人は、GHQの押しつけではなかった
☆日本側は、家庭教師の人選について2つ注文を付けた
☆日本側は、家庭教師の人選について2つ注文を付けた
*狂信的なキリスト教徒でない女性
(ヴァイニング夫人は、クエーカー教徒)
*日本をよく知らない、日本語のできない人
⛳ヴァイニング夫人の教え
☆夫人は皇太子の英語の家庭教師として、アメリカの文化も教えた
☆夫人は皇太子の英語の家庭教師として、アメリカの文化も教えた
☆ヴァイニング夫人は、回想録に記している
*周りの人たちがすべてやるので、皇太子は受け身であった
*夫人が「どうしますか?」話しても
*「お好きなように」と言うばかり
*自分で何かをしようという発想が全くなかった
☆ヴァイニング夫人は事あるごとに
*「さあ、どうしますか?」「今度はどうしますか」と問いかける
☆自らの意思で行動することの大切さを伝えていった
⛳皇太子は大学中退?
☆宮内庁は日本人の手で帝王学を授けようと
⛳皇太子は大学中退?
☆宮内庁は日本人の手で帝王学を授けようと
*慶應義塾の塾長退任した小泉信三を教育係にする
*海外に行って見聞を広めていただこうと海外留学を計画する
*海外に行って見聞を広めていただこうと海外留学を計画する
☆明仁皇太子学習院大学在学中
*エリザベス女王の戴冠式に天皇の名代としてイギリスに赴く
* ヨーロッパ各地、アメリカ、カナダを6カ月間旅行された
*半年も日本を空けるとなると、大学の授業に出られなくなる
☆学習院大学は、6カ月も欠席した学生に単位はやれない
*皇族華族の子弟の大学も民主化により性格が変わっていた
*大学は、単位は与えられないが進級は認める措置を取る
☆平成の天皇は大学中退
*天皇陛下に果たして学歴が必須なのかどうか
⛳平民出身の「粉屋の娘」
☆美智子さまは、日清製粉の元会長の長女としてお生まれになった
☆皇太子とご結婚、海外では「粉屋の娘」と訳された
☆美智子さまは聖心女子大学の外国語外国文学科を首席で卒業
☆美智子さまは聖心女子大学の外国語外国文学科を首席で卒業
*卒業式では総代として答辞を読んでいます
*卒業した年、 軽井沢のテニスコートで運命の出会い
☆ご成婚の日を迎え、ミッチーブームは最高潮に達します
☆しかし、平民出身の美智子さまに何度もバッシングが襲いかかる
⛳1960年に徳仁親王誕生
☆皇太子さまご夫妻は日米修好百周年記念事業でアメリカに行く
*生後7カ月の親王はお留守番
*美智子さまは留守を預かるお付きの人に、注意事項のメモを渡します
*これが「ナルちゃん憲法」と呼ばれるもの
☆『ナルちゃん憲法』として皇室ジャーナリストが本にする
*60~70年代、この育児法・教育法が広まりました
☆皇室の伝統に反してお子様方を育てる美智子さまに
*陰口を叩いたり、おおっぴらに批判したりする人もいた
☆美智子さまが皇后となられてから
*週刊誌による皇室バッシング記事となって現われます
(敬称略)
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本の戦後を知るための12名』より
上皇陛下と上皇后美智子さま(9-2)
(ネットより画像引用)
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