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慶喜

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『尊王攘夷の志士』『一橋家の家来』『幕臣としてフランスへ』

2025年06月30日 | 有名人
🌸渋沢栄一小伝1

渋沢栄一時代の寵児
 ☆渋沢栄一は自分の人生を振り返って、
 *脱皮と活動休止期を5度も繰り返している
 ☆具体的には、
 ①尊王攘夷の志士として活躍した時期
 ➁一橋家の家来となった時期
 ③幕臣としてフランスに渡った時期
 ④明治政府の官僚となった時期
 ⑤実業人となった時期

 ☆異なる5つのステージを駆け抜けていったのが、彼の人生だった
 *しかもいずれの時期の活動も当時の
 *「尊王攘夷」「文明開化」「明治維新」「殖産興業」時代の潮流だ
 ☆栄一は幕末維新の落し子にして
 *近代日本の産婆役に外ならなかった

⛳渋沢栄一の履歴
 ☆埼玉県深谷市に生まれ、実家は農業や養蚕手掛ける豪農だった
 ☆6歳から『蒙求』や『論語』などを教科書とした手習いを始める
 *学問を楽しみ、読書にのめり込んでいた栄一
 *神道無念流を学び、剣術も身につけていった
 *読書や剣術、習字などの稽古に明け暮れていた栄一だった
 ☆15歳のとき、父から農業や商売にも身を入れくれとの話があった
 *栄一はそこから畑仕事や藍業の仕入れに身を入れるようになる
 ☆彼が17歳の時、父の代理人として代官所に出向く
 *そこで5百両と言う金額を言いつけられた英一
 *自分は代理人としてきたので、今日は金額だけを聞いて帰り
 *御用金を受ける旨は後日また伝えに参りますと述べ
 *その場での即答を避けた
 *その代官、馬鹿にした口調で次のように述べたのだc
 *三百両や五百両なんてたいしたことないはずだ
 *きちんと御用を聞いておけば、覚えもよくなって
 *世間体も立つというもの
 *父に聞いてからなどと、何をわからないことをいっているのだ
 *お前の家の財産で、五百両などたいした金額ではあるまい
 *いったんまた帰ってから来るなどという、手ぬるいことは承知しない
 *すぐに承知しましたという挨拶をしろ
 *栄一は、「いったん帰ってからでないとお返事できません」
 *と繰り返し続け、何とかその場は逃れた
 *栄一はこの事件に対して、後々まで、
 *「本当に横っつらをハリたおしてやりたいほど腹が立ったよ」
 ☆よい血筋にさえ生まれれば
 *無能や無学な者でもそれなりの地位につける
 *栄一の幕府の古い体制に対する憤りに外ならなかった
 ☆明治維新の原動力の1つに
 *栄一のような豪農の子弟層の活動があったという説がある
 *栄一のような憤りの経験が、多かれ少なかれ
 *当時の日本各地の学問ある商人や農民たちに共有されていたのだ

⛳高崎城乗っ取り計画
 ☆栄一が大人へと成長する段階で
 *米ペリー艦隊の来航や日米和親条約締結、尊王攘夷論の勃興
 *桜田門外の変と、日本には大きな変化の波が押し寄せていた。
 ☆栄一の周囲でも、学問の師である尾高新五郎を中心に
 *その弟・長七郎や近隣の有志などが集まり
 *当時の政治情勢について激論を交わしていた
 ☆新五郎の学問は「尊王攘夷」を唱える水戸学の影響下にあった
 *そこに集まる人々も同じ思想傾向を見せていた
 *栄一も、江戸に遊学し、志士たちと交際を重ねた
 *彼らは、恐るべき計画高崎城の乗っ取りを計画する
 *彼らは槍や刀などを着々と買い集め、決行のために集結した
 *間際になって、計画の中止を唱える人物があらわれる
 *それが仲間のうちでも急進派と思われていた長七郎だった
 ☆彼は最新の国内情勢に詳しかった
 *高崎城の乗っ取りや、横浜焼き討ちを試みても成功の見込みはなく
 *百姓一揆に間違われて犬死にするだけだと熱心に説いたのだ
 ☆主戦派だった栄一は、長七郎と激論を交わすが
 *実際の状況を知る長七郎の説の方が優勢となり
 *計画は中止となった
 ☆天下の権力
 *一橋家にあるはずなのに平岡円四郎にあると評された実力者 
 *平岡は栄一や喜作のような見所のある志士とも
 *交流を持つような度量のある人物だった
 *栄一と喜作は、京都に逃れたたが同志だった長七郎が
 * 一時的に精神の変調をきたし、捕縛されてしまった
 *取り調べ中に、高崎城乗っ取り計画の件が漏洩する恐れもあり
 *栄一と喜作は、うかっに郷里へもどれなくなった
 ☆絶好のタイミングで
 *平岡円四郎が仕官の誘いをかけてくる
 *栄一は、大局的な観点から判断して
 *「尊王攘夷」にこだゎる喜作を説き伏せたうえで
 *円四郎の申し出を受け入れた
 ☆栄一は、武士の身分となった
 *以後、慶喜と栄一は
 *終世にわたる厚い信頼関係を結んでいった
 ☆一橋家の家巨となった栄一
 *兵備充実や産業奨励などに大きな実績をあげていく
 ☆慶喜は15代将軍に就任する
 *栄一は失望のあまり、辞職を考え始めた
 *そのとき、天恵のように彼にめぐってきたフランス渡航の話
                     (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『論語と算盤』





『尊王攘夷の志士』『一橋家の家来』『幕臣としてフランスへ』
(ネットより画像引用)

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