🌸蔦重の巻き返し3
⛳世は歌舞伎の黄金時代、蔦重は目を付けた
☆和泉屋とタッグを組んだ歌川豊国の役者絵の大成功
⛳世は歌舞伎の黄金時代、蔦重は目を付けた
☆和泉屋とタッグを組んだ歌川豊国の役者絵の大成功
*それを目の当たりにして蔦重は焦っていた
☆蔦重の活躍した時代
*名跡市川団十郎の5代目の時期にあたる
*団十郎は歌舞伎で名人と呼ばれるだけでなく
*狂名「花道つらね」で「堺町連」の狂歌師のグループを率いて
*赤良や蔦重たちの連とも交流していた
☆歌舞伎の黄金時代を目の当たりにしていた蔦重
☆歌舞伎の黄金時代を目の当たりにしていた蔦重
*浮世絵の役者絵を出そうと考えた
*蔦重と交流のある絵師勝川春章は役者絵を得意としていた
*蔦重と交流のある絵師勝川春章は役者絵を得意としていた
*春章は勝川派を創始し、多くの弟子を育てた大物だった
☆蔦重が企画していたのは、豊国に対抗するため
*驚くような役者絵で、役者の顔貌をリアルに描き取る
*特徴ある顔だけでその役者を特定できる大首絵で豊国に勝つ
⛳東洲斎写楽という新進気鋭の浮世絵師
☆写楽の28枚もの役者絵を一気に発表した
*豊国の役者絵は、全身像かつ顔やしぐさの特徴を捉えたうえで
*美化されたものだったのに対して写楽のは違った
*年取った役者の顔に皺があればそれをリアルに描いた
*年取った役者の顔に皺があればそれをリアルに描いた
*特に、目立つようにデフォルメされていた
*顔に対して手は現実のものよりかなり小さく描かれていたが
*顔に対して手は現実のものよりかなり小さく描かれていたが
*それが逆に絶妙なバランス感を生み、大首絵の印象を強くしていた
☆「江戸のメディア王」たる自覚を持っていた蔦重
☆「江戸のメディア王」たる自覚を持っていた蔦重
*写楽作品にすべてを賭けたが
*当時ブロマイド的な扱いを受けていた
*役者絵としては、写楽の作品は大胆すぎた
*同年に発表された売れ線の豊国の役者絵に対して
*写楽の前衛的ともいえる芸術的な浮世絵はそれほど売れなかった
*蔦重と写楽のコンビ、百年早かった
*蔦重と写楽のコンビ、百年早かった
⛳10ヵ月でばったり消息を絶った「謎の絵師」
☆写楽の作品はすべて蔦重のもとで出版された
☆写楽の作品はすべて蔦重のもとで出版された
☆第一期の発表当時は理解されなかった
*若手や脇役の役者が多かった
☆第二期では、大首絵は一枚もなくなる
*第二期以降は人気役者を描く割合が増えている
*背景なしの全身像という方向に大きく転じた
*背景なしの全身像という方向に大きく転じた
*歌舞伎界のスポンサーの影がちらついている
☆第三期には再び大首絵が復活する
☆第三期には再び大首絵が復活する
*一期ほどの大胆なデフオルメはなくなっていた
☆第四期では「写楽画」の落款のもと武者絵など10数点が描かれた
*作品の質は激落ちし、迷走の果てに写楽は忽然と姿を消した
*デビューしてからわずか十ヵ月、何があったのか
*デビューしてからわずか十ヵ月、何があったのか
(敬称略)
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⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋』
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『豊国』『東洲斎写楽』『写楽姿消す』
(ネットより画像引用)
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