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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
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『平賀源内』『源内の獄中死』『源内男色家』

2025年03月24日 | 有名人
🌸蔦重が版元へと出世6

⛳源内「不遇」天才(鬱憤を創作で晴らす)
 ☆源内の天才ぶりは世間の耳目を集めていた
 *あり余る才能を持ちながら
 *山師扱いされて仕官はかなわず、不遇に甘んじていた
 *源内は仕官先も無く鬱憤が溜まっていた
 *戯作者としては「風来山人」と名乗った源内
 *その鬱憤を晴らすかのように
 *社会や世相を批判する本をいくつも書いた
 ☆源内、「謎の水死事件」を題材にして書いている
 *実際起きた事件の女形の歌舞伎役者、二代目荻野八重桐を題材に
 *一つ間違えば幕府に呪まれて「御用」ってところだ

⛳「平賀ぶり」ブラックな笑いがさく裂
 ☆「八重桐水死の真相やいかに」
 *話はフアンタジーを通り越して奇想天外
 *神話や昔話を下敷きに、鬼や河童はもちろん
 *天照大神や竜宮城の龍Iまで登場するオールスターの豪華メンバー
 *興味津々で読み進むと、話は出鱈目、全編ギャグの大嵐
 ☆源内の真の目的
 *封建的な幕藩体制に対する批判と
 *囚習に縛られた社会への風刺と罵倒
 *地獄の閣魔様や竜宮城の龍王はあくまでカモフラージュだった
 ☆本を読んだ江戸っ子や武士階級の一部
 *源内の本の意図を感じ取り
 *その痛快さに腹をよじって笑った
 ☆源内が幕府の権威や封建社会を
 *手当たり次第にコケにしていく様は
 *痛快極まりないものがあった
 *「平賀ぶり」がさく裂するのを
 *心待ちにしていた読者は多かった

「マルチな活躍」があだに(源内、獄中で死す)
 ☆源内と『解体新書』の関係
 *解剖図を描いた画家の直武と知り合ったのは
 *源内が鉱山開発の技術指導のために角館を訪れたとき
 *若き直武の画才を見込んだ源内
 *直武に西洋絵画の技法を教えた
 *それが『解体新書』の解剖図の表現に生かされた
 ☆マルチに活躍していた源内
 *大名屋敷の修理中に大工の棟梁2人を殺した
 *大切な修理計画書を盗まれたと思った源内
 *怒りに任せて2人の男を殺してしまった
 *実は源内が酔っぱらっていたために起きた勘違いだった
 ☆源内は殺人罪で投獄され
 *その一カ月後に獄中で破傷風にやられて死んだ
 *早すぎるその死を多くの人が惜しんだ

⛳源内先生は男色家
 ☆孤高の天才平賀源内の死は老中田沼意次の耳にも届いていた
 *意次は源内のことを高く評価していて
 *長崎の出鳥に遊学させたこともあった
 ☆源内は男色家で生涯妻帯せず、子供もいなかった
 *当時、男色(衆道)は武士のたしなみであり
 *それほど珍しいことではなかった
 *源内は数人の男性と同居していた
 ☆源内は男色関連の著作を著している
 *源内は「吉原細見」の男娼バージョンを書いたた
 *男色者には歌舞伎役者の卵も多かった
 *「役者買い」と呼ばれたが
 *彼らは若くて美男子なうえに
 *贔眉の客を作るためという切実な理由もあった
 ☆源内は「若侍百人と御殿女中百人同時に交わる」話の好色本等
 *書名から想像するだけでもヒワイな本も書き残している
 *源内は、天才は奇人・変人の見本のような人だった
                         (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』




『平賀源内』『源内の獄中死』『源内男色家』
(ネットより画像引用)

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