慶喜

心意気
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「島津家」「佳子さまのお相手候補」

2024年06月06日 | 皇室
🌸実現すればパーフェクト婚以上

 ☆島津一門のスゴすぎる系譜と「懸念材料」
 ☆記載内容自信余りありません(念のため)

⛳源頼朝の子孫といわれる島津家
 ☆最後の薩摩藩主・島津忠義は、久光の実子
 *伯父の斉彬の養子となって家督を継いだ
 ☆明治天皇は維新後、久光を懐柔するために
 *別の公爵家を立てることを認め2つ目の島津公爵家とした
 (玉里は久光の隠居所の名前)
 ☆鎌倉市に源頼朝の墓所がある
 *21世紀に鎌倉市に寄付されるまでは、島津家の所有地だった
 ☆頼朝の祭祀は鶴岡八幡宮が行っているが
 *遺族代表のかたちで参加するのは、島津宗家のご当主だ
 ☆島津家の初代である忠久
 *秦氏の流れをくむ惟宗朝臣を名乗る、漢族帰化人系のお公家さん
 *忠久は源頼朝の乳母だった縁で鎌倉に下り
 *薩摩・大隅・日向三国の守護とされた
 *近衛家の島津荘を管理したことから島津姓を名乗った

島津一族は南九州各地に広く分散した
 ☆戦国時代の島津忠良が戦国大名としての地位を確立した
 *忠良は有能で薩南きっての有力者となり
 *宗家の後継者に子の貴久を送り込んだ
 ☆貴久は大友宗麟と戦い勝利した
 *豊臣秀吉に服属した島津義久・義弘などの島津四兄弟の父である

近世の島津家
 ☆「島津に暗君なし」といわれた
 *殿様が優秀で身体も壮健、子だくさんの系譜だった島津家
 *大名から娘を奥方に、男子を養子にと申し込みが殺到した
 ☆幕末の名君で西郷隆盛を育てた島津斉彬の子
 *早世した者が多く男系の子孫は残らなかった
 *久光の長男の忠義が斉彬の養子となって
 *島津宗家で最後の藩主となる(久光は国父と呼ばれていた)
 ☆久光は維新後に家臣の西郷と大久保に裏切られ
 *政府では意見が通らず、廃藩置県までされて鹿児島にこもった
 ☆明治天皇も自ら鹿児島に下向してご機嫌をとった
 *久光には、玉里島津家と呼ばれる別家を立てさせ
 *公爵とし七男の忠済に継がせた
 *公爵二家というのはほかに徳川家がある
 ☆旧華族には島津姓が13家あった

⛳佳子さまのお相手候補の祖母は、上皇さまのお妃候補
 ☆島津忠義の娘の俔子は久邇宮邦彦王と結婚
 *その娘が香淳皇后である
 ☆玉里家の忠承の夫人の泰子
 *かっての上皇さまのお妃候補の筆頭といわれた女性
 ☆佳子さまのご結婚相手のAさんは泰子さんの孫
 ☆実現すればパーフェクト婚以上と、世論も好意的だ

⛳懸念材料
 ☆佳子さまとAさんの2人明治天皇と島津久光という
 ☆共通の先祖を持つ近親者である
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳『ダイヤモンドオンライン』






佳子さまのお相手候補
(『ダイヤモンドオンライン』記事他より記事画像引用)

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