

☆応神天皇(父仲哀天皇、母は仲哀天皇妻神功皇后)
☆神功皇后は、『日本書紀』では天皇の扱いの女帝
*神功皇后は、長くから天皇と考えられていた
(約100年前に天皇からはずされた)
☆新羅征伐の神託を聞いた仲哀天皇は、神託を無視した
*偽りを言う神だと判断した新羅征伐を中止にした
*結果、仲哀天皇は不可解な亡くなり方をする
☆仲哀天皇に代わって神功皇后が新羅征伐に乗り出す
*その時、神功皇后は妊娠しており、戦争中応神天皇が生まれる
☆仲哀天皇の死亡は、天照大神の意思に逆らったことが原因 "

☆現在の時代は、神は何らかの利益をもたらすと考えている
☆時代により、神の崇りを恐れ祈りをする人が多かった
*天神として祀られた菅原道真
☆日本人が神を祀るのは、神の祟りを畏れ、神を鎮めるため
☆近代は、偉業をなし遂げた人物を神として祀るようになる
☆古代では、神を祀る事情はそれとは大きく異なっていた

☆天照大神は、現在では伊勢神官に祀られている
☆天照大神が、当初から伊勢に祀られていたわけではない
☆『第十代の崇神天皇の時代(『日本書紀』より)
*国のなかで疫病が流行し、多くの人間が死亡した
*宮中に、天照大神と倭大国魂の二つの神を祀っていた
*禍の原因は、二柱の神を宮中で祀ることが原因とされた
(倭大国魂は、天理市にある大和神社に祀られた)
(天照大神の祀り手は、垂仁天皇の第四皇女倭姫命に代わる)
(倭姫命は、天照大神を祀る場所は伊勢国伊勢神宮とした)

☆伊勢で、天照大神を祀る役割を果たすのが「斎王」
☆代々の天皇は、伊勢神官に参拝することはなかった
*天皇では、明治天皇が初めて伊勢神宮参拝した
*それ以前、代々の天皇は伊勢神官に参拝しなかった
☆理由は明らかではないが
*代々の天皇は、天照大神のことを畏れ、直接接触することを避けた?

☆天照大神は、自らの下した神託に逆らつた仲哀天皇を死に至らしめた
☆夫の死を目の当たりにした神功皇后
*身重であるにもかかわらず、新羅征伐の戦場に赴いた
☆新羅征伐を是非とも実現させようとする天照大神
☆「軍神」としての性格があることは間違いない

☆天照大神と弟須佐之男命による「誓約」の場面にすでに示されていた
*伊邪那美命(姉弟の母)は、すでに黄泉の国にいた
*須佐之男命は、母に会おうと根之堅州国へ下ろうとした
*その前に姉のいる高天原にのぼってくる
*天照大神の方は、弟が高天原を奪いに来たのではないかと考えた
*荒々しく大地を踏んで弟を待ち受け軍神の姿である
☆天照大神が女神なのかどうかについて議論がある
☆『古事記』等で、天照大神の優しさを示すような話は出てこない
☆天照大神は、かなり恐ろしい存在
☆天照大神は、宮中からはるか遠く伊勢に祀り籠められていたとも言える
☆代々の天皇が近づかなかったのも、それゆえであったと考えられる
☆天照大神は皇祖神ではあるが、天皇の近くからは遠ざけられていた


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神々の相克2(天照大神「軍神」、伊勢神宮)
(ネットより画像引用)
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