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ルイ14世1(フランス王・太陽王)

2020年12月14日 | 歴史上の人物
🌸ルイ14世1(フランス王・太陽王)

 ☆ブルボン朝第3代のフランス王国国王
 ☆ルイ14世は、ルイ13世の長子、妃はスペイン国王の娘
 ☆ブルボン王朝の最盛期を築き太陽王と呼ばれた

ルイ14世のプロファイル

 ☆4歳で国王に即位した
 ☆宰相マザランの補佐を得フロンドの乱を鎮圧
 ☆親政を開始するとコルベールを登用
 *中央集権と重商主義政策を推進した
 ☆ルイ14世対外戦争を積極的い、戦争で領土を拡張し権威を高める
 ☆王権神授説を掲げ、絶対君主制を確立した
 ☆ミディ運河とヴェルサイユ宮殿を建設した
 ☆晩年莫大な戦費調達と放漫財政でフランスは深刻な財政難に陥った
 ☆ルイ14世の74年もの在位期間はフランス史上最長
 ☆メヌエットを宮廷舞踊に取り入れた
 ☆ルイ14世は、メヌエットを最初に踊った人
 *その時、太陽神アポロンに変装して踊った
 *「太陽王」と言うあだ名がついた

マザラン宰相の執政

 ☆ルイ13世と宰相リシュリューの執政

 *大貴族とユグノー勢力を抑制して国王集権化

 *対外的には三十年戦争に介入

 *ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝、スペインと戦っていた

 ☆宰相マザランはリシュリューの腹心だった人物
 ☆宰相マザラン前任者の中央集権化政策を引き継ぐ
 *貴族を抑制して国王の権力を強化しようとした
 *対ハプスブルク家政策としての三十年戦争への介入
 ☆宰相マザランの外交手腕
 *フランスはアルザス地方を獲得
 *神聖ローマ帝国が分裂した
 *ハプスブルク家の勢力の弱体化に成功する
 ☆戦争での戦費も莫大なものとなる
 *重税が課され民衆の不満が高まる

フランス国内で、フロンドの乱が勃発
 ☆政府が新税の導入を図る
 *反対するパリ高等法院らが27カ条の要求書を出した
 ☆宰相マザランは、首謀者を逮捕
 *反発したパリの民衆がバリケードを築き蜂起した
 *パリは無政府状態に陥り、ルイ14世はパリを脱出する
 ☆海外での三十年戦争が終結する
 *コンデ公率いるフランス軍が国王を助けるために帰還
 ☆コンデ公はパリを包囲し乱は収まった
 ☆乱平定の功績者コンデ公と宰相マザランが対立
 ☆貴族のフロンドの乱だったが、フロンド派が相次いで脱落
 ☆ルイ14世はパリへ帰還して乱は終結した
 ☆ルイ14世、狩猟の帰りに乱の根源パリ高等法院に立ち寄る
 *法服貴族たちを恫喝した有名な「朕は国家なり」

⛳ルイ14世の婚礼
 ☆三十年戦争は終わった
 *フランスはスペインと戦争継続状態
 ☆ルイ14世はスペイン王フェリペ4世の王女と婚約した
 ☆一方、ルイ14世は、宰相マザランの姪と恋仲になっいた
 *ルイ14世は、スペイン王女との結婚を拒絶したが事は国益の問題
 ☆宰相マザランは、ルイ14世とマリーを無理やり別れさせている
 ☆ルイ14世とスペイン王女(マリー・テレーズ)結婚式が執り行われた
 *王女はスペイン王位継承権を放棄した
                   (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『WIKIPEDIA』NHK『プロファイラー』










ルイ14世1(フランス王・太陽王)
『プロファイラー』テレビ画面より画像引用)

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