慶喜

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”墨俣一夜城”秀吉のための演出だった

2022年10月17日 | 歴史
🌸”墨俣一夜城”秀吉のための演出だった

 ☆織田信長は家臣である木下藤吉郎を呼びよせ命を下した
 *美濃攻略のために、墨俣に築城せよ
 *信長は、父・信秀時代から、美濃攻めに苦しんでいた
 ☆美濃を落とすためには、難攻不落の稲葉山城に近づく足場が必要
 ☆墨俣に城が必要だったのだ
 *墨俣築城は、佐久間が築城工事に着手したが断念
 *柴田勝家が着工したが、これも失敗に終わった

”プレハブ工法の元祖”といえる築城テクニック
 ☆藤吉郎墨俣城建築は、出世へのチャンスだと気づき
 *二つ返事で引き受けた
 ☆墨俣築城を大名たちが何度も失敗している
 *このあたりの川に詳しい蜂須賀小六と藤吉郎は作戦を練った
 *一晩で築城してしまおうという、大胆な作戦を考えていた
 ☆当日集まったのは二千人以上の兵士と大量の木材
 *すぐに組み立てられるように、切り込みなどの加工した材料
 *長良川の上流から、いかだに載せて流し現場で組んでいく
 ☆今でいうプレハブ工法の元祖といえるテクニック
 ☆翌日、敵方が築城の噂を聞きつけてやってきた
 *すでに砦ができあがっていた
 *信長は美濃を攻略し、手柄を立てた藤吉郎は、出世を手にした
 ☆世にいう、秀古の「墨俣一夜城物語」


墨俣城がなくても信長の”美濃攻め”は成功していた
 ☆一夜で城の砦部分を作り上げるという、ありえない話だ
 ☆現在ではフイクションとされている二つの理由
 ①墨俣城がなくとも信長の美濃攻めは成功していた
 *無理やり墨俣に拠点を作る必要はなかった
 ➁このエビツードが書かれた記録
 *『信長記』など、創作系の書物にしかない
 *改変に改変を重ねできあがった創作だったのだ

噂に″尾ひれ”がついて「一夜」といわれるようになった
 ☆実際には築城にかかつたのは一晩ではない
 *敵の攻撃を防ぎ4日間をかけて砦を作ったとされている
 *それでも当時としては神業ともいえるほどのスピードだった
 *それに、尾ひれがついて「1晩」と語られるようになった
 ☆墨俣一夜城は、実際「墨俣4日城」であった
 ☆当時の建築法を飛躍させるプレハブ工法の先駆けで作られた
                     (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史・意外な話』


”墨俣一夜城”秀吉のための演出だった
『日本史・意外な話』記事より画像引用)

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