慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「戦国武将(真田幸村)」の意外な素顔

2022年10月13日 | 歴史
🌸真田幸村が、謀略の天才になった理由

 ☆真田幸村を忍びの軍団「真田十勇士」思う人多い
 ☆「真田十勇士」には、誇張が入つているかもしれない
 *しかし、幸村に仕えた忍者の活躍を無視できない
 ☆山奥の小大名真田家が歴史に名を刻んだ理由
 *真田家にの陰に忍者の存在があった

真田忍者は厳しい修行を積んだ「山伏」だった
 ☆幸村の背後で、忍者たちは暗躍していた
 *多くは超常的能力を秘めた山伏や、山伏化した地侍だった
 ☆真田家が代々崇拝してきた白山大権現
 *真田郷の北方にある霊山・四阿山にあった
 *近くには奇岩が連なる角間渓谷があり
 *中程には岩屋観音堂が安置されている
 *真田郷周辺は、山岳信仰に生きる山伏らの格好の修行の場だった
 ☆真田家は、山伏らと懇意になった
 ☆当時の山伏らの修行は非常に厳しいものだった
 *超人的な能力を獲得するための修行は過酷なものだった
 *山伏たちは山中で生き抜くために
 *天文学、気象学、薬学、占いや武器にも精通していた
 ☆彼らは、神仏の霊力をこの世に呼び寄せ
 *周囲をかく乱させる幻術も用いた
 ☆山伏は、″神通力=超能力″に長けていた

家康を恐れさせた真田忍者の”諜報活動”
 ☆山伏たち、「修行」と理由で、国境を越えて自由に往来できた
 ☆奥州・平泉に逃れた源義経も山伏に姿を変え逃亡した
 ☆山伏は、素性を疑われることなくスパイとして暗躍することができた
 ☆徳川家康は逆スパイを恐れ、山伏を諜報部隊を利用しなかった
 ☆家康は、天下を平定した後、山伏たちを定住させ
 *宗教活動を制限するなどの政策をとり、力を弱体化させた
 ☆四阿山で修行した山伏らは、真田家には欠かせない存在になっていた
 ☆甲賀忍者や伊賀忍者に比べ、真田忍者の記述は驚くほど少ない
 *真田忍者は、極度に秘密主義を貫き、寡黙に任務を貫き通した
 ☆幸村の大坂冬の陣での戦いぶり、幸村に影武者がいたからだ
 *影武者を真田忍者が務めた
 ☆「真田十勇士」の猿飛佐助や霧隠才蔵という名の忍者
 *実在しなかったかもしれない
 ☆だが″超人的な能力”を持った″忍びの勇士″たち真田家を支えていた
                     (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の意外な話』




真田幸村が、謀略の天才になった理由
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« The New York Times 13OCT ... | トップ | 宮内庁・皇室改革は早急に必... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事