
☆江戸時代最後の天皇、孝明天皇
☆平穏を願った天皇が直面したのは、黒船来航にはじまる激動の時代
☆開国をめぐる政争の渦中で、歴史の分岐点となった天皇の選択
*ペリー来航で国全体が動揺し、苦悩の連続を迫られた孝明天皇
☆「開国」か「攘夷」か、政争の中心にいたのが孝明天皇
*天皇を巻き込んだ急進派による「大和行幸」計画
*孝明天皇自身は、「攘夷」だが、「尊王」「大政奉還」を強く意識しなかったのでは?
*公武合体(和宮を家茂に嫁がせる)派だったのでは
☆天皇の選択が、長州藩や薩摩藩のその後の運命を決めた
☆孝明天皇は若くして急死し、暗殺説がささやかれている

☆「親征」すなわち、天皇が自ら軍を率いて「攘夷」を実行させる
*長州藩の久坂玄瑞らが画策した
☆孝明天皇が石清水八幡宮へ行幸し、大阪城にいた将軍・徳川家茂も同行させる
☆天皇から家持将軍に「節刀」させ軍議を開く
☆徳川幕府も攘夷を行うしかない状況に追い込む計画
☆孝明天皇は、大和行幸を行わなかった


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孝明天皇、維新への道を決めた選択
(『英雄たちの選択』テレビ画面より画像引用)
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