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靖国神社正面の銅像

2016年09月30日 | 歴史上の人物
大村益次郎(日本帝国陸軍創設の父)

明治政府樹立に貢献した幕末史上の偉人です
独学で兵学を学び、天才的な軍事的才能を発揮しました
彰義隊を、最新の銃で殲滅した大村益次郎
靖国神社に銅像を持つ唯一の人物
出典、「歴史トレビア」「NHK知恵泉」参考&引用








大村益次郎(ネットより画像引用)

大村益次郎宇和島藩へ
宇和島藩主 伊達宗城の引きで、宇和島に渡ります
西洋兵学や蘭学の講義を行う傍ら、宇和島城北に樺島砲台を築く
西洋軍艦の研究と製造に着手し才能を発揮しました
江戸に上り、麹町に鳩居堂という塾を開き、蘭学と兵学医学を教える
評判良く、宇和島藩お抱えのままで、幕府にも雇われ幕府の洋式大学の教授に就任

大村益次郎長州藩へ
長州の桂小五郎と知り合い、倒幕の大きなうねりの中に巻き込まれていく
長州では、旗本100石取に取り立てられ、奇兵隊の創設と訓練に関与
奇兵隊の創設者は、高杉晋作ですが、訓練し鍛え上げたのは大村益次郎です
幕府の第二次長州征伐に対して、大村は長州を勝利に導きます

大村益次郎が維新を救った
西郷と勝海舟の会談により江戸城は明け渡しと決まります
旧幕臣が彰義隊を結成して上野寛永寺に立て籠り、不穏な動きを見せていました
勝も西郷も、対策を打てず、奥州諸藩も新政府に続々と反旗を翻す事態
大村は、西郷・勝に代って官軍の責任者になります
上野寛永寺に立て籠る彰義隊を、最新の銃で攻撃し、彰義隊を撃破しました
江戸での内戦は回避され、官軍は北越戦争に充分な戦費で当たれる事になりました

大村益次郎は、靖国神社に銅像を持つ唯一の人物
国民皆兵の為の徴兵制の施行と兵士を動かす為の兵学校の創設、
帝国陸軍にとり、大村は大恩人です
靖国神社は、戦前は陸軍省の管轄で、靖国神社に大村益次郎の銅像を立てました

花神 (司馬遼太郎の長編歴史小説)
日本近代兵制の創始者・大村益次郎の生涯を描く
『朝日新聞』夕刊に連載された

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