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徳川家康は二度死んだ(影武者説)

2022年11月29日 | 歴史
🌸徳川家康は二度死んだ(影武者説)

 ☆徳川家康の生涯には、影武者の存在がつきまとう
 *世良田二郎三郎元信、小笠原秀政、家康の双子の恵最
 ☆75歳という当時としては長命だった
 ☆影武者どころか、数人で「徳川家康」を演じていた説もある

徳川幕府を開いたのは”家康の替え玉”だった
 ☆徳川家康は駿府の今川氏の人質となる
 *今川義元の下で武将として働いたのち
 ☆桶狭間の戦いで今川義元が戦死し家康は独立した
 *このとき、家康は暗殺され
 *世良田二郎三郎元信なる私生児の男と家康が入れ替わった
 (身代わに元信が選ばれ徳川家康として生きていった)

もし、大坂夏の陣で家康が死んでいたら
 ☆家康影武者説をテーマにした時代小説がいくつか発表されている
 ☆「家康影武者説」小笠原秀政と恵最説で落ち着いている
 *小笠原秀政は家康の家臣で、家康の孫娘・登久姫と結婚した武将
 *秀政は、大坂夏の陣で重傷を負い、死去したといわれている
 *実はこの戦で負傷したのは秀政ではなく、家康だったのだ
 ☆豊臣軍の猛攻に敗退する事態に
 *家康も自決する覚悟を決めたほどだった
 *形勢を立て直し徳川軍は大坂城を落とし豊臣氏を減亡に追い込んだ
 ☆この戦いの最中で家康が死んでいたとしたら?
 *大将なくして戦の勝利はありえない
 *家康の死を隠して身代わりを立てるくらい常識だったのだ
 *秀政が家康になり変わった
 ☆恵最は、家康の異母兄弟にあたる人物
 *家康と同じ日、同じ時刻に生まれた人物だといわれている
 *家康と双子の兄弟だったのでは
 ☆大坂夏の陣で家康が死亡した際に
 *甥の秀忠から影武者を頼まれたという説もある
 *恵最ほど、影武者にふさわしい人物はいなかっただろう

健康オタクの家康「天婦羅を食べすぎる」はずがない
 ☆京都で鯛の天婦羅が流行していると聞きつけた家康、それを作らせた
 ☆あまりの美味しさに何個も食べてしまった
 *家康はその晩に、食中毒症状を訴える
 *回復しては悪化の日々を送る長く患い、最期の時を迎えた
 ☆死んだ家康は、本人だったのか影武者だったのか
 *いまだ謎は解明されていない
 *健康オタクの家康、食べ過ぎての死亡考えにくい
                     (敬称略)                                     
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史・意外な話』





徳川家康は二度死んだ(影武者説)
(ネットより画像引用)

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