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怨霊洛中(白峯・羅城門跡)10

2016年09月10日 | 歴史上の人物
崇徳上皇の怨霊と自峯神宮創建

崇徳上皇の遺体を自峰山に運ぶ際、雷鳴が轟き、棺からは血がしたたり落ちたとの逸話?
天変地異や社会不安が続いたため、都では崇徳上皇の怨霊が原因だとの噂が流れ始めた
鎌倉幕府が成立して崇徳院の呪いが的中
崇徳上皇の怨霊はその後も長い歴史を通じて人々の恐れを呼び起こしていった
明治天皇が崇徳上皇の霊を鎮めるために創建
知識・意欲の向上の目的で、本を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、「京都魔界(東雅夫)」詳細本で確認ください










洛中怨霊(ネットより画像)

崇徳上皇の生涯
鳥羽天皇と藤原環子の第一皇子として生まれ、5歳で天皇に即位
白河法皇と環子の間に生まれた不義の子で、鳥羽帝は崇徳天皇を毛嫌いした
鳥羽帝が院政を開始すると、崇徳天皇との確執はさらに深まっていく
鳥羽上皇は、23歳の崇徳天皇に譲位させ、崇徳院の弟である近衛天皇を即位させた
崇徳上皇が望みをかけ息子の即位も、鳥羽帝によってつぶされてしまう

崇徳院は後白河天皇と対立(鳥羽帝死後)
摂関家の内紛が絡み、朝廷は崇徳上皇方と後白河天皇方に二分される
保元の乱が勃発する
後白河側が勝利し、崇徳上皇は讃岐へと配流された

羅城門跡
平安京を造営した際、朱雀大路の南端に、都の表玄関として羅城門が建てられた
羅城門は、都の正門というだけあつてきわめて壮麗な楼門でした
羅生門倒壊後、荒れるに任せ、鬼と盗賊の住処となった都の正面玄関

芥川龍之介の『羅生門』
『今昔物語集』の話が下敷きになっている
盗賊が羅城門の楼上に登ると、老婆が一心不乱に遺骸の頭髪を抜いていた
理由聞くと、かつらにするのだという
盗賊はその髪の毛を奪い、さらに老婆と遺骸の着物を剥ぎ取って去った



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