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心意気
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『奄美の歴史』『黒糖地獄』『祖国復帰』(再)

2025年06月25日 | 観光
🌸奄美大島の歴史 

⛳奄美大島(先史時代~大和朝廷時代)
 ☆日本本土と琉球の間で、様々な文化や支配の影響を受けた
 ☆非常に複雑で豊かな歴史をたどってきた
 ☆先史時代・古代
 *約6千年前九州の影響を受けて先史時代が始まる
 *その後、奄美大島独自の土器文化(宇宿下層式土器)が栄える
 ☆弥生時代
 *貝の文化が開花し、人々が貝を求めて南下してきた
 ☆大和朝廷時代(7世紀後半~8世紀頃)
 *日本の歴史書に「海見」「菴美」などとして奄美の名が登場する
 *大和朝廷に特産物を献上するなど。緩やかな政治的関係があった
 *奄美大島は、遣唐使の南島路の寄港地としても利用された

⛳奄美大島(琉球王国統治時代~薩摩藩統治時代)
 ☆中世~近世(琉球王国統治時代)
 *琉球王国が奄美群島を統治下に編入し
 *琉球の行政機構が導入された
 ☆17世紀~19世紀半ば(薩摩藩統治時代)
 *薩摩藩が琉球を征討し、奄美は薩摩藩の領土となる
 ☆黒糖地獄
 *薩摩藩は財政立て直しのため奄美大島を含む三島で
 *黒糖の総買い上げ制度を開始する
 *農民は過酷な増産を強いられ年貢を米ではなく
 *黒糖で納める「換糖上納制」も始まる
 *貧困と債務奴隷が広がる悲惨な時代
 *黒糖生産により、薩摩藩は莫大な富を得る
 ☆西郷隆盛の潜居
 *安政の大獄から逃れるため、西郷隆盛が奄美大島に3年間潜居した
 *彼は島民の黒糖搾取に心を痛め、待遇改善に努め
 *島の少年たちに勉学を教えるなど、島に多くの文化をもたらした

近代(明治時代~現代)
 ☆明治時代
 *廃藩置県で、鹿児島県の実効支配下に移管された
 *行政機構の整備で、行政の近代化が進められた
 ☆第二次世界大戦中
 *沖縄と同様に本土疎開が進められ、多くの島民が犠牲になる
 *奄美大島南部は要塞化され、特攻兵器「震洋」の基地も置かれた
 *奄美大島への大規模な上陸戦は避けられた
 ☆現代
 *戦後の米軍統治と本土復帰(アメリカ軍政府の統治下に置かれた)
 *祖国復帰運動が活発化する
 *島民は食料不足や自由の制限などから沖縄よりも一足早く
 *奄美群島は日本に復帰し鹿児島県の一部となる
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『ジェミニ』






 『奄美の歴史』『黒糖地獄』『祖国復帰』
(ネットより画像引用)

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