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「大化改新」を裏で操っていた”意外な人物”

2022年11月25日 | 歴史
🌸「大化改新」を裏で操っていた”意外な人物”

 ☆645年は、日本という国が正式に成り立つた年
 *「大化」は、日本最初の元号なのだ
 ☆孝徳天皇により発布された「改新の詔」により
 *天皇中心の政治となったことから日本は始まったのだ 
 ☆それまでの日本は、天皇制ではあったが
 *豪族たちに政権を掌握された形での政治となっていた
 ☆奈良時代、権力を持つていたのが蘇我氏
 *天皇家を押しのけて政治の実権を握っていた

”殺される前に討つ”蘇我入鹿暗殺の舞台裏
 ☆聖徳太子の息子山背大兄王、推古天皇の次の天皇候補として有力な人物
 *山背大兄王が次期天皇になるのは何の問題もなかった
 ☆彼を疎んじていた蘇我蝦夷が妨害工作をし舒明天皇を擁立した
 ☆蘇我入鹿は、次の天皇に蘇我氏に都合のいいよう
 *舒明天皇の子(古人大兄皇子)で画策していた
 *蘇我氏にとり邪魔になったのが、山背大兄王
 *入鹿は山背大兄王一族を急襲し、自殺へと追い込んだ
 *聖徳太子の家系・上宮王家一族は減亡してしまった
 ☆古人大兄皇子の弟中大兄皇子
 *「次は自分が殺される」と危機感を抱く
 *「入鹿を討つしか、自分が生き残る術はない」と悟った
 ☆中大兄皇子は、中臣鎌足を仲間に蘇我入鹿を暗殺する
 *世にいう「大化の改新」の幕開きだ
 *入鹿暗殺の直後、古人大兄皇子は粛清を恐れて出家した
 ☆強大な権力を持った豪族・蘇我氏は減亡した

中大兄皇子はすぐに即位できなかった
 ☆事件の後、女帝であった皇極天皇が退位した 
 *皇極天皇の弟で軽皇子(孝徳天皇)が即位した
 ☆中大兄皇子がこのときすぐに即位しなかった
 *軽皇子が美味しいところをすべて持っていった感が否めない
 *中大兄皇子よりも軽皇子が、もともと皇位に近かった
 *軽皇子こと孝徳天皇は史上初めて大化という元号をたて
 *大化元年とした。そして「改新の詔」を発布する
 ☆「改新の詔」は、土地所有のルールを整備し
 *税を取ることなどを決めた法律である.
 *権力をはびこらせていた豪族の財力と権力を天皇が奪い
 *それを民に貸し与え、税を取るという律令制が取り入れられた

『日本書紀』での大化の改新のクーデターの首謀者
 ☆中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足であると名指しで書いている
 ☆『日本書紀』を編纂したのは鎌足の息子・不比等
 *不比等は、日本における律令制度の基礎を築いた
 *天皇家と藤原家の密接な関係を強調しておきたかったのでは
 ☆「大化の改新」におけるクーデターの首謀者
 *軽皇子だったのか?
 *史実通り、中大兄皇子と鎌足によるものだったのか?

 ☆事件の関係者で一番得をした人物が疑われるのが
 *ミステリーの定番で軽皇子だったのでは
                     (敬称略)                                     
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史・意外な話』



「大化改新」を裏で操っていた”意外な人物”
(ネットより画像引用)

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