🌸「大化改新」を裏で操っていた”意外な人物”
☆645年は、日本という国が正式に成り立つた年
*「大化」は、日本最初の元号なのだ
☆645年は、日本という国が正式に成り立つた年
*「大化」は、日本最初の元号なのだ
☆孝徳天皇により発布された「改新の詔」により
*天皇中心の政治となったことから日本は始まったのだ
☆それまでの日本は、天皇制ではあったが
☆それまでの日本は、天皇制ではあったが
*豪族たちに政権を掌握された形での政治となっていた
☆奈良時代、権力を持つていたのが蘇我氏
*天皇家を押しのけて政治の実権を握っていた
*天皇家を押しのけて政治の実権を握っていた
⛳”殺される前に討つ”蘇我入鹿暗殺の舞台裏
☆聖徳太子の息子山背大兄王、推古天皇の次の天皇候補として有力な人物
☆聖徳太子の息子山背大兄王、推古天皇の次の天皇候補として有力な人物
*山背大兄王が次期天皇になるのは何の問題もなかった
☆彼を疎んじていた蘇我蝦夷が妨害工作をし舒明天皇を擁立した
☆蘇我入鹿は、次の天皇に蘇我氏に都合のいいよう
☆蘇我入鹿は、次の天皇に蘇我氏に都合のいいよう
*舒明天皇の子(古人大兄皇子)で画策していた
*蘇我氏にとり邪魔になったのが、山背大兄王
*入鹿は山背大兄王一族を急襲し、自殺へと追い込んだ
*聖徳太子の家系・上宮王家一族は減亡してしまった
☆古人大兄皇子の弟中大兄皇子
*「次は自分が殺される」と危機感を抱く
*「入鹿を討つしか、自分が生き残る術はない」と悟った
☆中大兄皇子は、中臣鎌足を仲間に蘇我入鹿を暗殺する
☆中大兄皇子は、中臣鎌足を仲間に蘇我入鹿を暗殺する
*世にいう「大化の改新」の幕開きだ
*入鹿暗殺の直後、古人大兄皇子は粛清を恐れて出家した
*入鹿暗殺の直後、古人大兄皇子は粛清を恐れて出家した
☆強大な権力を持った豪族・蘇我氏は減亡した
⛳中大兄皇子はすぐに即位できなかった
☆事件の後、女帝であった皇極天皇が退位した
⛳中大兄皇子はすぐに即位できなかった
☆事件の後、女帝であった皇極天皇が退位した
*皇極天皇の弟で軽皇子(孝徳天皇)が即位した
☆中大兄皇子がこのときすぐに即位しなかった
☆中大兄皇子がこのときすぐに即位しなかった
*軽皇子が美味しいところをすべて持っていった感が否めない
*中大兄皇子よりも軽皇子が、もともと皇位に近かった
*中大兄皇子よりも軽皇子が、もともと皇位に近かった
*軽皇子こと孝徳天皇は史上初めて大化という元号をたて
*大化元年とした。そして「改新の詔」を発布する
☆「改新の詔」は、土地所有のルールを整備し
☆「改新の詔」は、土地所有のルールを整備し
*税を取ることなどを決めた法律である.
*権力をはびこらせていた豪族の財力と権力を天皇が奪い
*それを民に貸し与え、税を取るという律令制が取り入れられた
*権力をはびこらせていた豪族の財力と権力を天皇が奪い
*それを民に貸し与え、税を取るという律令制が取り入れられた
⛳『日本書紀』での大化の改新のクーデターの首謀者
☆中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足であると名指しで書いている
☆『日本書紀』を編纂したのは鎌足の息子・不比等
*不比等は、日本における律令制度の基礎を築いた
*不比等は、日本における律令制度の基礎を築いた
*天皇家と藤原家の密接な関係を強調しておきたかったのでは
☆「大化の改新」におけるクーデターの首謀者
☆「大化の改新」におけるクーデターの首謀者
*軽皇子だったのか?
*史実通り、中大兄皇子と鎌足によるものだったのか?
☆事件の関係者で一番得をした人物が疑われるのが
*史実通り、中大兄皇子と鎌足によるものだったのか?
☆事件の関係者で一番得をした人物が疑われるのが
*ミステリーの定番で軽皇子だったのでは
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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⛳出典、『日本史・意外な話』
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「大化改新」を裏で操っていた”意外な人物”
(ネットより画像引用)