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日本人のルーツ(縄文・弥生時代)3

2022年10月02日 | 歴史

🌸日本列島集団の起源(縄文・弥生時代)

縄文人の核ゲノム解析より
 ☆縄文人の核ゲノムデータが追加され

 *彼らが現代の東アジア集団と違った、遺伝的な特徴を持っていることが分かった

 ☆北海道礼文島の船泊遺跡から出土した縄文人女性のゲノム解析より

 *彼女が父方と母方から受け継いだ核のゲノムのSNPを比較で

 *婚姻のネットワークは小規模で、双方が3親等以内の血縁関係はないことが判明

 *南方産のペンダントや、新潟県の翡翠のアクセサリーなどが見つかっている

 *彼らが広い地域と交流を持っていたことが指摘されている

 *遺物から人びとの通婚圏も広がっていたように想像されるが

 *遺伝子解析からは婚姻圏が非常に狭かったことが分かった

 ☆現代のアイヌや沖縄などの人たちにも共通して見られる形質だ
 ☆船泊縄文人もこれらの集団との共通祖先からこの遺伝子を受け継いだ
 ☆遺跡から、海獣を捕獲するための漁労具やトドやアザラシの骨が多量に出土する

縄文人と東アジア現代人との関係
 ☆東アジアの集団と、縄文人、弥生人のSNPデータより

 *縄文人のゲノムは他の集団から大きく離れている

 ☆縄文人は、大陸集団から早くに分岐し

 *日本列島の中で長期間独立し独自の遺伝的な特徴を獲得していった
 ☆東南アジアから東アジアの集団

 *互いに周辺で婚姻関係を持ちながら、遺伝的に分化している

 ☆大陸でも古代と現代では異なる遺伝的を持った集団が暮らしていた

 ☆現代日本人は大陸集団から離れた部分に位置している

 *北京の中国人と現代日本人の中間には韓国人が位置している

 ☆現代日本人

 *大陸集団、北東アジアの集団が列島に進入し在来の縄文系集団と混合した

 ☆韓国の現代人

 *現代日本人と北京の中国人の中間に位置する

 *朝鮮半島集団の基層にも、縄文につながる人たちの遺伝子がある

 ☆アイヌ、琉球、本土日本の現代集団と台湾や韓国類似性を示す

 ☆東南アジアから初期拡散によって北上した集団の中で

 *沿岸地域に住んでいた集団が縄文人の母体になった

 *大陸沿岸部の広いエリアに分布する集団が列島に進入し

 *地域的に混ざりあうことで縄文人が形成され

 ☆古代ゲノム解析は、縄文人に関する従来説を検証すると

 *列島内部の均一な集団という姿を覆しつつある

弥生時代
 ☆弥生時代は、稲作の開始によって定義されているが

 *全国が同時期に縄文時代から弥生時代の生活こ移行したわけではない

 *北九州で稲作が始まったのは3000年ほど前

 ☆弥生時代の特徴づけるものとして

 *水田稲作農耕だけではなく金属器の使用がある
 *弥生時代は、弥生式土器、水田稲作、金属器の使用を持つ社会

 ☆稲作農耕は長江中流域で始まり、そこから拡散していく

 ☆日本に入る青銅器の源流は北東アジアにある

 ☆このふたつの要素はそれぞれ異なる集団に起源を持つ

 ☆現代日本人は多様なハプログループを持っている

 *ハプログループは弥生時代以降に入ってきた

 ☆現代日本人の形成に渡来した人びとが大きな影響を与 えた
 *現代日本人に占める縄文人由来の遺伝的な要素

 *本土日本人で10%、琉球列島30%、北海道のアイヌ集団で70%程度
 ☆本土の現代日本人は、渡来した人びとの影響が大きい

 *ルーツは、朝鮮半島に起源を持つ集団が渡来することによって

 *日本列島の在地の集団を飲み込んで成立した
 *主体はあくまで渡来した人びとにある

 ☆北部九州で稲作が始まっても、日本列島の各地では

 *縄文時代と同じ生活様式を保ったままの集団もいた

 ☆弥生時代

 *大陸から稲作を持って渡来した人びと

 *在来の縄文人の系統を引く人びと

 *両者の混血の集団がいた
 *混血の度合いは同じ弥生人でも地域や時間とともに変化した

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『人類の起源』

日本人のルーツ(縄文・弥生時代)3

(『人類の起源』記事、ネットより画像引用)


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