
☆戦国最強と言われる上杉謙信49歳で死亡
☆死亡前年に、謙信は織田信長の家臣、柴田勝家と戦う
☆織田軍と上杉軍の唯一の戦い「手取川の合戦」織田軍が大敗
☆大将信長と直接戦ったてはいません

☆上杉謙信亡くなるまでに64勝7敗37分(負けない確率94%)
☆ライバル織田信長154勝48敗12分け(負けない確率78%)
☆上杉謙信は義に篤く、戦にも大義名分を重視していました
(己の利益を追求していません)
☆謙信の姿勢が、領土拡大の戦い、武田信玄や信長からは不気味に怖く見えた
☆自らを「毘沙門天の化身」と位置付け戦った

☆前提条件が無ければ、信長は謙信に完敗していた
☆謙信は織田軍の強さについて「大した事なかった」と述べています
☆信長の領国である尾張国は商業が盛んでした(政治経済の中心地)
☆経済力を背景に、信長は多くの兵士を雇う事が出来ました
☆謙信の兵士は農民から構成されており、農作業を行う時期は自宅に帰る
☆背景を考えると、謙信が長生きしていても、謙信が織田信長に勝つ事は難しかったのでは


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織田信長が恐れた武将「越後の龍」(BS-TBSにほん歴史鑑定番組より画像引用)
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