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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『希望を持てない』『パンとサーカス』『心肺停止社会』

2025年03月26日 | 人生訓
🌸なぜ不安になるのか2
 
 ☆五木寛之氏の様に、種々のこと知っている事もある面で大変だ

⛳日本人、なぜ不安になるのか
 ☆地獄にリアリティを感じない現在の日本において
 *人びとがやはり″心のため息″とともに
 *暮らさなければならない理由さまざまあると思う
 *それらをひっくるめて、その理由をひとことで言えば
 *「今の日本には、たしかな希望が見出せない」という
 *現実に尽きるのではないでしょうか
 ☆太平洋戦争の敗戦をむかえた日本人は
 *敗戦の現実を受け入れる間もなく
 *たちまち「豊かな国づくり」という希望を見出してきた
 *世界に類のないほどの高度経済成長を達成し
 *バブル景気とその崩壊を経験した今
 *目の前に見えているのは明らかに「下り坂」
 *ある意味、目標を達したにもかかわらず
 *幸福感に包まれるどころか、平安末期の人びとと同じように
 *「後生わが身をいかにせん」の境地を余儀なくされている
 ☆かってのような好景気は二度と望めず、人口もどんどん減つていく
 *どこに希望があるというのか
 ☆人びとは「宴の後」に何が待っているのかに
 *薄々気づいてしまっているのではないでしょうか
 *「オリンピックを、日本経済復活の起爆剤に」などという
 *プロパガンダを、眉に唾をつけずに聞いている日本人が多い
 ☆「希望を持てない」大きな原因のひとつ
 *「何を信じればいいのか」が分からなくなっていること
 *為政者、指導者、専門家、そういった人たちの言葉も
 *ますます信用されなくなっている
 ☆東日本大震災による原発事故が発生した直後
 *「放射能が、ただちに健康被害をもたらすことはない」という
 *政府発表が繰り返されました
 *それを聞いて、よりいっそう不安を募らせた人は、少なくない

⛳日本人のパンとサーカス
 ☆現代に生きる日本人は、「いつ天が崩れ落ちてくるのか」と
 *憂えた古代中国の杞の人たちのように
 *心底、怯えながら日々を過ごしているのでしょうか
 *それも違うようです
 ☆巨大地震や津波、あるいは火山の噴火が想定外などではないことを
 *特にここ数年で、日本人はあらためて思い知らされました
 *すでに国の借金が1000兆円を超え
 *国民一人当たりに換算すれば800万円以上になる、などの話
 *「巨大な不安」でないわけがありませんが
 ☆しかし日本人「″地割れ”が来るぞ」と怯えたり
 *年金や皆保険制度が崩壊し、老いて「生き地獄」を味わうことになる
 *将来を思い悩んだり、といった雰囲気は
 *この国からは実感できないのです
 *今の日本です。そこに不安の影など
 *表面的にはほとんど見当たらない感じです
 ☆嫌老感の広がりがまだ「入ロレベル」にとどまっているのも
 *そうした風潮と無関係ではないのかもしれません
 ☆我々が置かれている厳しい現実と
 *浮世離れした「明るさ」との″落差”どこからくるのでしょうか
 ☆古代ローマの詩人、当時の世相を評して残した言葉
 *その答えの一端があるように思います
 ☆「パンとサーカス」権力者から与えられる
 *パン=食糧と、サーカス=娯楽に満足し
 *権力に対する政治的な批判精神を喪失したローマ市民を椰楡して
 *彼はそう表現したのでした

⛳「心肺停止」社会が出現した
 ☆日本人は、誰もが漠たる、「巨大な不安」を抱えて生きています
 *その不安と面と向かって対峙したのでは
 *身がもたないかもしれません
 *「年金も保険もない老後など、想像できない」というより
 *「したくない」のです
 ☆それらからは目をそらし、とりあえず″棚上げ”にして
 *「充実した毎日」を過ごせれば、それでいいじゃないかと
 *現実から逃避している
 ☆こうして人びとは日本全国、いや世界各地に
 *美味な「パン」を求めて出かけていき
 *日々「サーカス」に興じている
 ☆我々のまわりには、「サーカス」のネタに事欠きません
 *週替わりのように人びとの耳目を集める政治家の不祥事や失言
 *教師や警察官の犯罪、
 *芸能界のスキャンダルなど
 *興味の尽きない「サーカス」にほかなりません
 ☆お気楽に日々を送る日本の現実を、
 *筆者は「心配停止」社会と名付けた
 ☆現実を直視しようとしないのは
 *自分たちの足下で進行している事態が
 *あまりにも深刻なものであることの裏返しだとも言える
 *だから、「自分が考えたところで、仕方のないことだ」と諦めてしまう
 ☆心配が杞憂で終わればいいのですが
 *筆者には、到底そのようには思えません
 *この国が、本物の「心肺停止」になる前に
 *なにかやるべきことはないのでしょうか
                          (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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⛳出典、『孤独のすすめ』


『希望を持てない』『パンとサーカス』『心肺停止社会』
(ネットより画像引用)
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『庭野日敬』『霊友会』『西田無学』『大日本霊友会』『青経巻』

2025年03月26日 | 宗教
🌸立正佼成会と霊友会2

⛳立正佼成会への信仰の系譜
 ☆立正佼成会の創立者は、庭野日敬と長沼妙佼の二人
 *日敬は、中野の漬物屋で働くようになり、独立して店をかまえる
 *長女の病気で日敬は修験者を紹介され、不動信仰の修行を実践する
 ☆日敬は、霊友会の支部長新井助信の法華経の講義を聞いて感動した
 *熱心に布教活動を行い、新井支部の副支部長にも抜櫂される
 ☆日敬は、子どもを亡くし、自身子宮内膜炎に苦しんでいた妙佼と出会う
 *彼女は、日敬に出会ったときには、天理教を信仰していた
 *彼女は、霊友会に移り、日敬とコンビを組んで布教活動を展開する

⛳霊友会
 ☆久保角太郎と、兄嫁である小谷喜美のコンビで発足する
 *男女のペアが創立者である点で
 *霊友会と立正佼成会は似ている
 *しかも、二人が夫婦でない点でも共通していた
 ☆霊友会のもとを作ったのは、西田無学であった
 *無学の法華信仰の特徴は
 *法華経による先祖供養を強調した
 *その信仰が具体的にあらわれたのが
 *「総戒名」と呼ばれる独自の戒名である
 *無学は、布施の額に応じて戒名に院号や院殿号がつける現状を批判し
 *すべての戒名に院号をつけることを主張した
 ☆無学はまた、法華経が長く
 *在家の信者が読誦するのには向いていなかったため
 *開経と結経の主要な部分を抜き出して
 *法華経を崇めることを誓う祈願唱を加えた独自の経巻を作り上げた
 ☆簡略化された経典
 *霊友会において「青経巻」と呼ばれた
 *立正佼成会はじめ霊友会から分かれた教団にも受け継がれていく
 *その源を作ったのが、無学だった

⛳霊友会とその分派(『大日本霊友会』『立正佼成会』)
 ☆無学の教えは弟子の増子酉吉に受け継がれる
 ☆久保角太郎は、久保家に養子に出されるが
 *その前に一時酉吉のところに預けられていた
 *それが彼を宗教家としての道に進ませることにつながった
 ☆角太郎は、「霊の友会」を立ちあげるが
 *うまくいかず、 兄小谷安吉・喜美夫妻と、「大日本霊友会」を発足させる
 *角太郎は、喜美に宗教家としての能力があることを見出す
 *喜美は死者の霊のことばを聞くシャーマン的な能力を体得していく
 ☆大日本霊友会は、体制に順応し、戦争を積極的に支持したことから
 *弾圧を受けることもなかったが、喜美の性格がきつく
 *大日本霊友会の一つのベースになっている法華経に対する
 *理解がなかったため、会を離れる人間も出てきた
 ☆日敬は独立する
 *法華経の講義なんか時代おくれだ
 *そんなことをするのは悪魔だと言い放つ喜美に疑問を感じ
 *それが、独立のきっかけだった
                      (敬称略)
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⛳出典、『日本の10大新宗教』





『庭野日敬』『霊友会』『西田無学』『大日本霊友会』『青経巻』
(ネットより画像引用)
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『出版界の風雲児・蔦重』『恋川春町』

2025年03月26日 | 有名人
🌸「時代と寝る男」蔦重の大躍進2

出版界の風雲児・蔦重を取り囲む文人墨客ネツトワーク
 ☆当時の蔦重の周りを取り囲むメンパーは豪華絢爛
 ☆狂歌仲間
 *朋誠堂喜三二(手柄岡持)
 *宿屋飯盛(石川雅望)
 *四方赤良(大田南畝)
 ☆絵師
 *勝川春章(葛飾北斎の師匠)
 *北尾重政(北尾派の祖)
 *北尾政美(鍬形恵斎)重政の弟子
 *鳥居清長(鳥居派の絵師、八頭身の美人画を確立)
 *喜多川歌麿(美人大首絵の元祖)
 ☆二刀流
 *恋川春町(酒上不埒)
 *酒井抱一(尻焼猿人)
 *山東京伝(北尾政演)
 ☆次世代を担う若者
 *十返舎一九(蔦重の家に寄宿し東海道中膝栗毛の作者)
 *曲亭(滝沢)馬琴、読本の第一人者
 *葛飾北斎(世界的な浮世絵師として有名)

⛳蔦重の成功に欠かせなかった男―恋川春町
 ☆蔦重が出版界の風雲児となるために、欠かせない人物が何人かいた
 *その一人が恋川春町だった、喜三二とお神酒徳利の春町
 ☆春町は駿河の小島藩に仕える武士で、留守居役として江戸に住んでいた
 *春町は、狂名「酒上不埒」を名乗って狂歌もよくした

⛳一春町&喜三二の強カコンビで耕書堂は絶好調
 ☆江戸留守居役の春町は、吉原通いをしているうちに
 *吉原に日参している喜三二と知り合って兄弟の盃を交わす仲になった
 ☆蔦重が吉原大門前に書店を構えた3年後
 *春町はメガトン級の作品を世に問うた
 *それが自画自作の「金々先生栄花夢』だ
 ☆「金々先生」とは当時の流行り言葉で
 *身なりのいい当世風の伊達男を指すと同時に
 *自己満足の成金趣味を椰楡する意味も含まれていた
 ☆天明年間に入ると、鱗形屋が経営破綻しちまった
 *喜三二は仲良しだった蔦重のところに版元を代えた
 *お神酒徳利の春町も蔦重の耕書堂から黄表紙を出すようになる
 *蔦重が吉原でさんざん二人を「おもてなし」したのはトーゼン
 *この強カコンテンツコンビを手に入れたおかげで
 *耕書堂の経営は順風満帆となった
 ☆二人の作風は少し違っていた
 *年下の春町のほうが大胆で独創的
 *喜三二は年上の滑稽味温れるゆったりとした印象だった
 *喜三二の書いた約20の黄表紙の約半分に、春町は挿絵を描いている
 ☆本当に仲良しの2人
 *蔦重の耕書堂に移ってからも、ベストセラーを出し続けた
 ☆当時、狂歌や戯作は遊びとみなされていて
 *本を出すのは基本的に「自弁」自費出版が多かった
 *当然、印税なんてものはあるはずもない
 *2人にとり、蔦重におもてなししてもらえるだけでも儲けもの
                         (敬称略)
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⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』




『出版界の風雲児・蔦重』『恋川春町』
(ネットより画像引用)
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