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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『巨大な不安』『何を信じる?』『海山かせぐ』

2025年03月25日 | 人生訓
🌸なぜ不安になるのか1

 ☆五木寛之氏の様に、種々のこと知っている事もある面で大変だ

豊かな国に広がる不安
 ☆いつの時代にも、どこの国にも「不安」はつきもの
 ☆現代のニッポンの場合
 *GDPは、アメリカ、中国という超大国に次ぐ、世界第3位
 *バブル崩壊を経験したとはいえ国としての豊かさを
 *丸ごと喪失してしまったわけではない
 ☆日本は世界に冠たる「豊かな国」
 *「そんなことはない」といったら、他国の人は怒り出す
 ☆そんな国に日本にあっても
 *人びとはみな「漠たる不安」に苛まれている
 *会社でリストラに遭つたとか、病気になったとか
 *「切実で現実的な」不安に駆られている人も、少なくはないでしょう
 ☆それとはちょっと次元の違う、漠然とだけれど
 *巨大な不安に、国全体が覆われているように思える
 *今を生きる日本人の不安の深部には、何があるのか


⛳何を信じたらいいのか
 ☆古代中国で生まれた言葉に、「杞憂」がある
 *杞の国の人が、明日にも天が崩れ落ちてくるのではないかと思い煩い
 *夜も寝られない状態になったことに由来する
 *それは「巨大な不安」でしょう
 *昔は、天が落ちてきたり等、ある意味、単純な心配で良かった
 ☆現代の複雑系の社会に生きる日本人は、そうはいかない
 *地震、津波、噴火といった自然災害から
 *病気、老後、年金破綻、テロ、戦争、ハイパーインフレ
 *国家財政の破綻、地球温暖化と
 *いま一つ現実感を持って捉えられないけれども
 *「いずれ必ず来る」と脅されているものばかりです
 ☆「少子・高齢化」も、そうした不安のひとつである
 *日本の置かれた状況を「少子・高齢化」と表現するのは誤り
 *事態の深刻さを見誤らせる可能性がある、と指摘する人もいる
 *地方から押し寄せているのは、もはやそんな生易しいものではなく
 *”人口の逆ピラミッド″の上のほうから「消えて」いく現実
 *いわば「急速な高齢化と人口減の同時進行」だ
 *「見渡せば、老人の姿ばかりいやに目立つ」社会になっている
 ☆不安を「巨大化」させた東日本大震災は
 *日本人が忘れていた自然の脅威をまざまざと呼び覚ましただけでなく
 *大津波によって引き起こされた原発事故は
 *先端技術の信じがたい脆さ、危うさとともに
 *この国で最も「優秀」だと信じられていた人たちの無能ぶり、
 *いいかげんさをも、満天下に晒すことになった
 ☆「何を信じたらいいのか分からない」という
 *際限のない不安だらけの中で、我々は日々の生活を送っている

⛳現在の日本、平安末期に似ている
 ☆日本の歴史上、今の状況に似た時期をあえて探すとすれば
 *平安末期から鎌倉初期にかけての頃ではないか
 *というのが筆者の考えです
 ☆現代の日本では、「方丈記」に記載されたように
 *そこここに死体が転がっているようなことはありません
 *しかし、明日が見えず、老いも若きも、みんながある種
 *終末的な不安に苛まれているという点では、似ています
 ☆その時代に大流行したものに、「今様」がある
 * 一般庶民から貴族、知識人までが口ずさんだ、流行歌
  『はかなきこの世を過ぐすとて
   海山かせぐとせしほどに
.  よろずの仏にうとまれて
   後生わが身をいかにせん(梁塵秘抄)』
 ☆「海山かせぐ」
 *川や海に網を引き、魚を獲つて稼ぐ者もいれば
 *山野で兎や猪や鳥を捕らえて生きながらえる者もいた
 *木こりも炭焼きも、船頭、池守り、渡しの者も
 *馬借、車借、言葉巧みに商いを行うのも
 *田畑を耕すのもみな、「海山かせぐ」者たち
 *博打打ちや物乞い、盗人はもちろん
 *人を殺傷する技術を生かし、雇われて働く武士たちも
 *その例外ではありません
 *それらの男たちを相手に体を売る女も、芸を演ずる者たちも
 *全部が「海山かせぎ」
 ☆当時の仏教からは
 *善行を積み、戒を守って生きるのとは正反対の
 *罪深き者たちとみなされました
 *すなわち、「よろずの仏にうとまれ」るしかない存在
 ☆生きるのも困難な現実に疲れ果て
 *死後の世界で「よろずの仏」にすがるにも、突き放されてしまう
 *現世で苦しみ、死後にまた、あの地獄が待っている
 *頼みの綱の仏に見放されることが
 *人びとの心にどれほどの絶望感を醸成したかは、想像に難くない
 ☆「後生わが身をいかにせん」というのは
 *「死ねば必ず地獄行き」を覚悟せざるを得なかった
 *人びとが漏らした、深い嘆息にほかならない
                          (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『孤独のすすめ』






『巨大な不安』『何を信じる?』『海山かせぐ』
(ネットより画像引用)
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『立正佼成会』『大聖堂』『日蓮系、法華系』

2025年03月25日 | 宗教
🌸立正佼成会と霊友会1

ピンク色の大聖堂
 ☆杉並区和田に新宗教、立正佼成会の存在
 *奈良県の天理市が、天理教の宗教都市同様
 *和田もまた、一種の宗教都市である
 *現在も大きな宗教施設立ち並ぶ
 ☆宗教施設群のなかで最初に建設されたのが大聖堂
 *大聖堂は耐震性を高めるために改修が施され
 *もとは、ピンク色で、屋根の上にはインド風の塔が据えられていた
 *大聖堂が完成すると、立正佼成会の信者
 *大挙して押し寄せてくる
 *宿泊させるための団参会館も建設されていった
 ☆周辺の土地は次々立正佼成会に買い上げられた

日蓮系、法華系新宗教の台頭
 ☆大聖堂の建設、団参に参加した立正佼成会の信者たち
 *発するエネルギーは相当なものだった
 ☆立正佼成会が巨大教団へと発展した時期
 *高度経済成長の時代だった
 *立正佼成会の母体の霊友会の場合も、高度経済成長の時代成長した
 *創価学会が急成長したのも、高度経済成長の時代
 ☆立正佼成会・霊友会・創価学会も日蓮系、法華系の教団である
 *他に日蓮系、法華系の新宗教としては
 *仏所護念会や妙智会などがある
 *立正佼成会と同様に霊友会からの分派である
 ☆高度経済成長の時代に巨大教団に発展したのは
 *いずれも日蓮系、法華系の教団だった

⛳庶民の信仰から
 ☆都市の庶民、町人のあいだでは、法華信仰が盛んだった
 *京都には、鎌倉時代末期に法華宗、今の日蓮宗がもたらされた
 *それ以降信者を増やしていくが
 *その中心になったのが町衆であった
 *町衆は同じ法華の信仰をもつことで団結し
 *それは法華一揆にまで発展していった
 ☆江戸時代
 *江戸でも法華信仰が町人のあいだに流行した
 ☆京都の町衆や江戸の町人に法華信仰が受け入れられたのは
 *浄土信仰とは異なり、現世における救いを強調したからである
 *町衆や町人は、現実の世界で豊かで安定した生活が送れることを願った 
 ☆「南無妙法蓮華経」の題目さえ唱えればいいという
 *単純さも、庶民にはわかりやすかった
 ☆立正佼成会が和田に本部を作ったことは
 *地域が日蓮の信仰を受け入れやすい土地であったからだ
 *創価学会の場合にも、中野と深い関係がある
 (和田昭倫寺は、創価学会が長く外護してきた日蓮正宗の寺院)
                      (敬称略)
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⛳出典、『日本の10大新宗教』


                        (立正佼成会)


『立正佼成会』『大聖堂』『日蓮系、法華系』
(ネットより画像引用)
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『万載狂歌集』『日本橋耕書堂』『大田南畝』

2025年03月25日 | 有名人
🌸「時代と寝る男」蔦重の大躍進1

⛳狂歌界の二大巨頭が激突
 ☆世の中はバブルに踊り、享楽的なムードが漂っていた
 *世の中は、狂歌ブームが頂点を迎えた
 *唐衣橘洲撰『狂歌若葉集』と、四方赤良撰『万載狂歌集』が刊行された

 *狂歌界の2大巨頭が激しくぶつかったこの2冊の本によって
 *狂歌は爆発的流行を見た
 ☆狂歌三大家が、二つに分かれての大喧嘩
 *狂歌界の主導権争いが勃発し、この戦いに江戸っ子は大注目
 ☆江戸っ子も2つに分かれて大喧暉だ
 *勝負は、本の売れ行きではっきりとついた
 *赤良側が完全勝利、橘洲側は落ちぶれていった
 ☆橘洲も赤良も先輩として尊敬していた蔦重
 *仲間割れみたいで、やるせないが
 *蔦重はこの天明の狂歌ブームに商売のチャンスを見出していた

⛳『万載狂歌集』の爆発的ヒットに商機を見た蔦重

 ☆大ヒットした赤良の『万載狂歌集』の版元は須原屋
 *須原屋は江戸時代初期からの江戸の版元
 *須原屋は丸の内地域に居住していた武士を対象に
 *旗本・大名の名鑑である「武鑑」の出版を一手に引き受けていた
 *仏書・儒書・医書など公的な書物を多く手掛ける硬派の版元で
 *須原屋は、狂歌など遊びの文芸にはあまり興味を示さなかった
 ☆蔦車にとってこれはチャンスだった
 *蔦重の周りには、第一級の才能を持つ文人墨客が多数いた
 *吉原という磁場が多くの才能を引き寄せていた
 *その発生の場の中心に蔦重はいた、ラッキーな男だった
 「吉原は重三(蔦童)、茂兵衛は丸の内」にいわれるようになる

⛳花の日本橋に「耕書堂」が進出

 ☆蔦重が目を付けたのが
 *吉原で「おもてなし」をしていた文人墨客とのネットワークだった
 *やがて葛飾北斎と並び称される北尾政美
 *同じく弟子の北尾政演、のちに江戸琳派の祖となる酒井抱一
 *美人画で大ヒットを飛ばす喜多川歌麿、そうそうたる絵師たち
 ☆蔦重にとって大きかったのは
 *狂歌界最大のネットワーカー四方赤良(大田南畝)との出会い
 *赤良、菅江、恋川春町、蔦重の総勢四人で吉原の大文字屋で遊んでる
 ☆星の如き才能を目の前にして蔦重は思った
 *吉原で構築した文人墨客たちとのネットワークを生かして
 *狂歌絵本や戯作、浮世絵の出版へとつなげることがオレの使命だと
 ☆蔦重は、流版元が軒を連ねる日本橋の通油町の地本問屋の店舗を
 *買い取り、そこに新たに「耕書堂」をオープンした
 * 『花のお江戸に耕書堂あり』と高らかに宣言した
 ☆田沼時代のど真ん中、蔦重も24歳、バリバリの男盛りだ
 *「時代と寝る男、蔦重」の真価を発揮するときが、いよいよやって来た
                         (敬称略)
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⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』




『万載狂歌集』『日本橋耕書堂』『大田南畝』
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