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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『イエズス会』『ローマ教会は新大陸』『キリスト教のローカライズ』

2025年07月11日 | 宗教
🌸資本王義の原型をつくった予定説5

⛳対抗の宗教改革と新大陸進出
 ☆宗教改革に対してローマ教会内部からもカウンターの動きが勃興
 *対抗宗教改革(反宗教改革)でローマ教会の教義を再確認し
 *教会内部の改革を進めることが決まる
 *聖職者の教育の強化や、教会の腐敗の是正などが行われた
 ☆対抗宗教改革のなかでとくに重要な役割を果たしたの
 *新しく創設されたイエズス会
 *パリ大学に学んでいたフランシスコ・ザビエルら7人の若者が
 *「貞潔、清貧、世界への宣教」という3つの誓いをたてた
 *イエズス会は、プロテスタントとの神学的な論争で
 *ローマ教会の立場を擁護する
 ☆ヨーロッパ諸国はアメリカ大陸への進出を本格化させていた
 *「コロンブス」がアメリカ大陸に到達して以来
 *スペインやポルトガルを中心とする国々
 *新たな領土の獲得と資源の搾取をめざして積極的に海外進出を行う
 *新大陸進出はヨーロツパ諸国にとり、新たな富と力の源泉となる
 ☆スペインはレコンキスタ達成後に商業活動の中核にいた
 *ユダヤ人やムスリム商人を追い出すなど
 *失策が続いて国内経済はすでに沈みかけていた
 *新大陸進出は現地の先住民に対する過酷な支配を伴うものだった
 *先住民の文明、文化、伝統を破壊し、多くの人々を奴隷化した

ローマ教会は新大陸へ進出
 ☆ローマ教会は。ルター派などの新教諸国で失った陣地を
 *取り戻す機会と見なした
 *イエズス会をはじめとする宣教師たちは新大陸の先住民を
 *キリスト教に改宗させる活動を精力的に行う
 ☆新大陸での布教活動は、現地の人々との軋蝶も生む
 *スペイン人による搾取に対し、ドミニコ会の人々
 *先住民の人権擁護を訴える一方で
 *多くの宣教師たちは植民地支配の一翼を担う
 ☆イエズス会っはフランシスコ・ザビエルらの
 *インドや日本などアジアでの布教活動で知られている
 *ザビエルの活動は、その後の日本における
 *キリスト教の広がりの起点となった
 ☆イエズス会のザビエルらの適応主義的な布教方法は
 *現地の文化や習慣を尊重しながらキリスト教を広める
 *新たなアプローチを生み出した
 *中国では商(殷)以来の先祖崇拝を慣習として容認し
 *日本でもザビエルたちは、キリスト教神を「大日」と訳していた
 ☆キリスト教のローカライズ
 *偏狭なドミニコ会などから批判されて典礼論争を巻き起こす
 ☆プロテスタント諸国も新大陸進出に乗り出す
 *連合王国やネーデルラントは
 *北米や東南アジアに植民地を建設した
 *スペインやポルトガルとの競争を繰り広げた
 *宗教的な対立が新大陸に持ち込まれ
 *植民地支配にも影響を与えた
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』




『イエズス会』『ローマ教会は新大陸』
『キリスト教のローカライズ』
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『十字軍=一攫千金の夢が』『聖年』『ルターの宗教改革』

2025年07月10日 | 宗教
🌸資本王義の原型をつくった予定説4

⛳「宗教戦争」の見方だけで片付けられない十字軍
 ☆11世紀末から13世紀末十字軍遠征が行われた
 *当時、セルジューク朝トルコがエルサレムを含む聖地を支配
 *キリスト教徒の巡礼が困難になっていた
 *これらの状況を背景に、ウルバヌス2世は聖地解放を呼びかけ
 *参加者には罪の許しを約束した
 ☆エルサンムは聖書の記述に基づいて
 *「乳と蜜の流れる地」と豊かさが謳われたため
 *宗教的な情熱からというより
 *当時のヨーロッパの社会的、経済的な状況とも相まって
 *「一攫千金の夢があるぞ」と大きな反響を呼んだ
 *宗教的情熱を持って参加した人たちもいましたが
 *十字軍と在地勢力の争いを単純に「宗教戦争」と見ることはできない
 ☆襲われたシリアやパレスチナの人々からすれば
 *戦いの前に何の通告もありませんでしたし
 *そもそも何をしに来たのかもわかりませんでした
 *いきなり大群衆がやってきて略奪や殺戮が行われた
 *イスラームの人々には、十字軍という考え方自体が理解できなかった
 ☆テンプル騎士団
 *聖ヨハネ騎士団を撃破、クレツソン泉の戦いでエルサレムを奪回し
 *ヒッテイーンの戦いで十字軍の主力を壊滅させた
 ☆第4回十字軍
 *この十字軍は当初エジプトをめざしていましたが
 *途中で方向を変え、キリスト教国である
 *東ローマ帝国の首都を攻撃し略奪を行う
 ☆第6回十字軍 (破門十字軍)
 * ローマ教皇グレゴリウス9世、ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門
 ☆十字軍の遠征
 *東方世界におけるキリスト教徒とイスラーム教徒の関係悪化につながる

⛳現代まで続く聖年(せいねん)の起源
 ☆ローマ教会には「聖年」
 *「ローマ巡礼者に特別の赦しを与える」とする年がある
 *この制度は1300年に始まる
 *十字軍の時代が終わり、教会の権威が揺らぎ始めていた時期
 ☆教皇たちは新たな方法で信者たちの信仰心を高め
 *同時に教会の財政を立て直す必要があった
 ☆最初の聖年を宣言したのは教皇ボニフアテイウス8世
 *フランス王フィリップ4世、イングランドと戦争を始め
 *その戦費調達のために教会への課税を行い
 *フランスの教会からローマヘの送金を止めさせていた
 *これによって教皇庁の財政が圧迫されていた
 ☆ユダヤ教には「ヨベルの年」という慣行があった
 *ヨベルの年は50年ごとに行われる特別な年で
 *借金の帳消しや奴隷の解放などが行われていた
 *ボニファテイウス8世は、この「ヨベルの年」にヒントを得て
 *聖年を制定したと言われている
 ☆聖年には、ローマを訪れる巡礼者に
 *特別な贖宥(罪の赦し)を与えるという特典が設定された
 *こうすればローマ教会の総本山に信者がたくさんやってきて
 *みんな喜んで寄付してくれるだろう
 *実際、聖年には予想を上回る巡礼者がローマを訪れ
 *期待以上のマネーが転がり込み 一大観光事業のできあがり
 *この成功を受けて、聖年は定期的に行われるようになる
 ☆聖年は教会の財政難解決の手段として始まりましたが
 *現代ではローマ教会が社会に対して新しい姿を打ち出し
 *存在感をアピールする機会にもなっている
 *本年2025年もちょうど聖年

⛳ルターの宗教改革

 ☆16世紀のヨーロッパで起こった大きな宗教的・社会的変革
 *ルターはヴイッテンベルク城教会の扉に「95か条の論題」を掲示
 *贖宥状の販売を含む教会の慣行に対する批判を列挙したもの
 *聖書のどこにそんなことが書いてあるのか、搾取やないか
 *ルターの主張は、新しい印刷技術によって急速に広まる
 ☆彼の考えは、聖書だけが信仰の源泉であるという
 *「聖書のみ」の教義や、信仰によってのみ救済されるという
 *「信仰のみ」の教義などを中心としていた
 *ルターの改革はローマ教会の強い反発を招く
 ☆ルターは聖書をラテン語からドイツ語に翻訳し
 * 一般の人々が直接聖書を読めるようにした
 *ルターの改革は、ドイツのみならず周辺諸国にも大きな影響を与える
 ☆ルターの政治的な保守性を認識した領主階級
 *ローマ教会を通じて支配体制を強化するカール5世への対抗から
 *ルター派を支持するようになっていく
 ☆ドイツ国内でのルター派の公認が決まる
 *「領主の宗教がその領地の宗教」という原則が確立し
 *ドイツの諸侯は自らの領地内で宗教を選択する権利を得た
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』




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『崇る草薙剣とヤマトタケル』『ヤマトタケル尾張の祖・タニハ連合代表』

2025年07月10日 | 宗教
🌸尾張氏(熱田神宮)2

⛳崇る草薙剣とヤマトタケル
 ☆熱田神宮(名古屋市)は、尾張氏を祀る神社
 *その主祭神は熱田大神、すなわち草薙剣
 *熱田神官で祀られるのは、ヤマトタケル
 ☆ヤマトタケル
 *父である景行天皇に東征を命じられると
 *伊勢に住む叔母・ヤマトヒメのもとを訪ね、草薙剣をもらい受ける
 *ヤマトヒメは、最初に伊勢で「天照大神」を祀った女人
 ☆草薙剣
 *スサノプが八岐大蛇の尾を割いたとき見つけたもの
 *その後、アマテラスに献上され
 *天孫降臨に際しニニギが持ち、代々天皇家に伝えられた
 ☆ヤマトヒメが「天照大神」を伊勢に移し祀ったとき
 *草薙剣も所持した
 ☆ヤマトタケルと草薙剣の共通点は「祟る」ということ
 *どちらも「天武と持統の時代」に、祟って出ている
 *天武天皇は「草薙剣の祟り」で発熱した
 *草薙剣は都に留めおかれていたので熱田社に送られた

持統天皇は崩御する直前、東国行幸を敢行
 ☆「老骨に鞭打つ」行幸であり、その1カ月後に亡くなっている
 *ヤマトタケルの霊を慰めるための行幸であった
 ☆持統が、「ヤマトタケルの祟りを恐れた」理由
 *ヤマトタケルは、ヤマトヘの帰還を夢みて没したが
 *魂は白鳥になって西に向かったという
 *その執念が、祟りと何か関わっているのだろう
 *持統天皇は、ヤマトタケルに対し、やましい気持ちがあった
 ☆ヤマトタケル説話は、『日本書紀』の創作ではない
 *ヤマトタケルの生涯のなかに隠されているので

⛳ヤマトタケル説話とヤマト建国の密接な関係
 ☆ヤマトタケルの生涯は、ヤマト建国の経緯そのもの
 *イツモに立ち寄り、イヅモタケルをだまし討ちにしている
 *ヤマトに戻ると、今度は東征を命じられ
 *「言向け和平す」という方法で、まつろわぬ者どもを平らげた.
 ☆「ヤマト」が「クマソ(九州)」や「イヅモ」を潰した
 *ヤマトは、東国にも影響力をおよぼした
 *「ゆるやかな連合体」となった
 *ヤマトタケル説話の概略は、考占学の示す
 *ヤマト建国の経緯と、よく似ている
 *ヤマトタケルは、「ヤマト建国の経緯をひとりで演じている」
 *それは「ヤマト建国の悲劇性」をも同時に表現している

 ☆「悲劇性」は、「タニハ連合の敗北」を描写したものではない
 *「ヤマトタケルこそ、尾張氏の祖」という事実が
 *古代人にとって「暗黙の了解」だったからだ
 *それゆえに、その妻だったミヤズヒメを祖としたのである
 ☆ヤマトタケルは、尾張氏の祖で、タニハ連合の代表だった
 *タニハ連合によって生みだされた前方後方墳
 *北部九州の佐賀県神埼郡まで伝播していた
 ☆『日本書紀』は、タニハ連合の歴史を抹殺する代わりに
 *ヤマトタケルやタケミカヅチらの活躍を暗喩に用い
 *神話や説話のなかに
 *ヤマト建国の「裏側」を隠してしまった
 ☆ヤマト建国前後の日本海側の動きは
 *ヤマトタケルと無関係ではない
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『崇る草薙剣とヤマトタケル』
『ヤマトタケル尾張の祖・タニハ連合代表』
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『大シスマ』『ローマ皇帝の資金力』『耳聴告自制度』

2025年07月09日 | 宗教
🌸資本王義の原型をつくった予定説3

⛳東西の教会の大分裂(大シスマ)
 ☆東西のキリスト教会の大分裂
 *大シスマは、キリスト教史上もっとも重要な出来事のひとつ
 *分裂は原因は長い歴史の中で徐々に積み重なってきたもの
 *大シスマの背景には、ローマ帝国の東西分裂がある
 *ローマ帝国最後の統一皇帝死後、帝国は東西に分割された
 *この政治的な分裂は、やがて教会の分裂にもつながる
 ☆東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノープル
 *「新しいローマ」として栄え、その教会も大きな権威を持つ
 *西ローマ帝国が滅亡した後も
 *西のローマ教会は独自の権威を主張し続けた
 *ローマ教会は、使徒ペテロの後継者としての特別な地位を主張した
 ☆東と西の教会の対立は、聖像破壊運動(イコノクラスム)で表面化
 *東ローマ皇帝たちが聖像崇拝を禁止した
 *ローマ教会はこれに強く反対した
 ☆この対立も単なる神学的な問題ではなく
 *皇帝の権威と教会の自由という政治的な問題でもあった
 *ブルガリアの布教権をめぐる争いが起こる
 *新たにキリスト教に改宗したブルガリアの支配権の
 *影響力拡大をめぐって対立した
 ☆教皇の権威についても意見の相違があった
 *ローマ教会は教皇の首位権を主張しましたが
 *東方教会は受け入れませんでした
 ☆対立が積み重なるなか、東西教会の大分裂(大シスマ)のきっかけ
 *ローマ教皇とコンスタンティノープル総主教、相互破門
 ☆分裂には、東西の文化的な違いも関係している
 *東方教会、ギリシャ語を使用、ギリシャ哲学の影響を強く受けていた
 *西方教会はラテン語を使用し、ローマ法の影響を受けていた
 ☆大シスマは、その後の世界史にも大きな影響を与えている
 *第4回十字軍では、西欧のキリスト教徒が
 *コンスタンティノープルを攻撃し、略奪する事態が起こる
 *キリスト教徒同士で戦っている
 ☆ローマ教皇とコンスタンティノープル総主教、相互破門を解除
 *これによって形式的には大シスマは終結した

ローマ教会を特徴づける領土・資金・情報
 ☆数あるキリスト教組織のなかでも
 *ローマ教会は領土、資金、情報という3つの要素を巧みに活用し
 *強大な影響力を築き上げていく
 *これらの要素は、ローマ教会がほかの宗教団体とは
 *異なる独特の性格を持つ要因となり
 *歴史的な発展と現代における影響力の源泉となっています
 ☆3つの要素がどのように関連し合い、ローマ教会の特徴となる
 ①「領土」

 *ローマ教会が実質的な領土を持つようになったのは
 *フランク王国の実権を握つたピピン3世
 *ローマ教皇の要請を受けて、イタリアに侵攻のランゴバルド族を撃退
 *イタリア中部の広大な土地をローマ教皇に寄進した
 *これが「ピピンの寄進」と呼ばれる出来事
 *ローマ教皇は単なる宗教的指導者から
 *領土を持つ「君主」としての地位も得ることになる
 ☆教皇領の存在によって
 *ローマ教会は世俗の権力とも渡り合える政治的実体を持つ
 ☆19世紀のイタリア統一運動のなかで教皇領は縮小され
 *最終的にはローマが占領されて教皇領は消滅する
 *現在のバチカン市国はラテラノ条約によって成立した小国家です
 *ローマ教皇はいまでも独立国家の元首としての地位を保っている
 ➁「資金」
 *領土を持つことでローマ教会は安定した資金源を手に入れる
 *領内からの税収に加え、ヨーロッパ各地の教会からの献金も集まり
 *財政基盤が強化されていく
 ☆現代のローマ教会の財政
 *主に信者からの献金や投資収益によって支えられています
 *バチカン銀行は、 ローマ教会の資産運用を担う金融機関
 *一般の企業や団体とは比較にならないほど巨額を扱っている
 *ローマ教会の資金力は布教のみならず慈善事業を支える力となっている
 ③「情報」
 *ローマ教会は、情報の収集と管理においても卓越した能力を発揮
 *13世紀に導入された「耳聴告自制度」は、その代表例
 *この制度は信者が定期的に司祭に罪を告解することを義務付けるもの
 *同時に教会が民衆のさまざまな情報を得る手段ともなった
 *これが民衆の支配、監視ツールとして機能する

「領土」「資金」「情報」の3要素は相互に作用し合う
 ☆ローマ教会の力を増大させていく
 *豊富な資金を背景に、ローマ教会は広大な土地を買い集める
 ☆各地の修道院や教会を通じて得られる情報は
 *領地の効率的な管理や政治的な判断に活用された
 ☆「カノッサの屈辱」と呼ばれる出来事
 *ローマ教会が世俗の君主とバチバチに渡り合えるほど強大化していた
 ☆現代においてもバチカン市国というかたちで
 *領土を持ち続け、世界中の信者からの献金を集め
 *独自の情報網を持つローマ教会の姿には
 *その長い歴史が反映されているといえる
                     (敬称略)
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『尾張氏』『纏向』『継体天皇』

2025年07月09日 | 宗教
🌸尾張氏(熱田神宮)

⛳『日本書紀』が記さなかった重要な事実

 ☆尾張氏は、古代史のなかでも特異な位置に立っている
 *その重要性に比し尾張氏は 「何もかも無視されている」
 *『日本書紀』が、「尾張氏や東海地方の歴史」を隠蔽してしている
 ☆東国とヤマトとをつなぐ大動脈があって
 *そのヤマト側の玄関国が纏向だった
 *弥生時代後期は戦乱の時代で
 *ヤマト建国で混乱は収拾されたが
 *いくつもの地域の首長がヤマトに集まり
 *新しい体制を模索している最中東南の隅に
 *国の中心をつくろうとしたのが誰なのか
 ☆纏向は、争乱が起きれば、東国に逃げられ
 *東国から援軍を受けいれることができるのが、纏向の利点なのだ
 *纏向は、「東」の勢力が主導してつくりあげた都だ
 ☆東海地方と近江地方を中心とする勢力
 *日本海のタニハ(丹波を中心とする文化圏)から先進の文物を受けとり
 *「前方後方墳」に代表されるような、新しい埋葬文化を創案し
 *各地にネットワークをつくりあげようとしていた
 *イヅモやキビは、この動きに動揺し
 *ヤマトに乗りこんだというのが本当のところだろう
 ☆ヤマト建国のきっかけをなしたのが、オハリであった
 *『日本書紀』は、ヤマト建国時の「東の動向」を無視している
 ☆尾張氏は、古代最大の争乱である壬申の乱でも大活躍していながら
 *『日本書紀』は、記事を残していない
 ☆壬申の乱
 *天智天皇の弟・大海人皇子と、天智の子・大友皇子が
 *皇位継承権を争い、勝てるはずのなかった大海人皇子が
 *逆転大勝利をおさめたという戦争だ
 *『続日本紀』が、尾張稲置に功田を下賜するという記事がある
 *尾張稲置は、熱田神宮大宮司家の祖となった
 ☆『続日本紀』によると、尾張大隅は自宅を掃き清め
 *大海人皇子の行官とし、軍資を提供したといい
 *その功績はじつに重大だとしている
 *壬申の乱最大の功労者は、尾張大隅といっても過言ではない
 *しかし『日本書紀』が、この事実を記録しなかった


敵視される継体天皇の故郷
 ☆『日本書紀』が、「東」とオハリの活躍を抹殺してしまった
 *それには何か深いわけが隠されている
 ☆6世紀初頭、応神天皇五世の孫
 *北陸地方から連れてこられて、継体天皇となる
 *継体は、「タニハ連合の亡霊」ではないか
 *天皇擁立を強力に後押ししていたのが、尾張氏である
 ☆継体天皇は、その系譜が怪しいということで
 *「これは三朝交替に他なるまい」とする意見が強かった
 *疑惑は晴れたわけではないのだが「尾張系の天皇」が誕生した
 ☆「コシ」から天皇が出現
 *後押ししていたのは、東海の雄族、尾張氏だった
 *6世紀のヤマトに、「東の政権」が生まれていたという事実
 ☆第26代継体天皇崩御の直後
 *第29代欽明天皇がすぐに即位した
 *両天皇に挟まれた「尾張系の天皇」は、どうなるのか
 *旧王家と尾張氏のあいだに軋礫が生まれていた
 ☆継体天皇から今上天皇に至るまで
 *王家の血統は続いたというのが今日的解釈だ
 *天皇家の故地は「東国のコシ」ということになる
 ☆8世紀以降、平安時代にかけて、朝廷はなぜ
 *「東」を必要以上に警戒していく
 *越前国愛発関(福井県)不破関の先にある「オハリ」
 *安閑・宣化天皇を生んだ尾張氏の拠点
 *愛発関の先にある「コシ」は、継体天皇の故郷である
 ☆天皇を輩出し、後押ししていた地域が
 *仮想敵だったかのようなあつかいだ
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⛳出典、『神社が語る古代12氏族の正体』




                      (奈良県桜井市)

『尾張氏』『纏向』『継体天皇』
(『神社が語る古代12氏族の正体』記事より画像)
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『Q資料』『グノーシス主義』『ミトラス教・イシス教』『帝国の国教へ』

2025年07月08日 | 宗教
🌸資本王義の原型をつくった予定説2

4つの福音書と注目されるQ資料
 ☆キリスト教は少しずつローマ帝国内に広まる
 *文書にまとめようという動きが起こって
 *新約聖書が書きはじめられた
 *最終的には新約聖書の27の文書の集合体として完成した
 *現在の27文書が教会で正式に認められたのは4世紀の終わり
 ☆27文書は、4つの福音書、使徒言行録、パウロの書簡など
 *21の書簡(手紙)黙示録からなる
 *「福音」とは「良い知らせ」という意味です
 *27文書以外に関わる異本は「外典」と呼ばれて正典とは分けられる
 ☆キリスト教の中心的な教えは
 *新約聖書のなかの4つの福音書に記されている
 *福音書はマタイ、 マルコ、ルカ、ヨハネによるものとされ
 *それぞれイエス・キリストの生涯と教えを描いている
 *使徒言行録は、イエスの弟子ペテロやパウロたちの伝道の記録
 *黙示録はキリストの再臨と地上の王国の滅亡を描いている
 ☆聖書研究で注目されているのが「Q資料」(「源」の意味)
 *マタイとルカの福音書に共通して見られるが
 *マルコには含まれていない部分の元とされる資料をさす
 *しかし、Q資料そのものは発見されていない
 *その内容は主にイエスの語録集であったと考えられている
 ☆新約聖書を正典化する過程に
 *グノーシス主義と呼ばれる思想が生まれた
 *イエスの神性だけを認め、十字架の上の死などの人間的な生は
 *「仮象」に過ぎないという考えに基づいたもの
 *グノーシス主義がマニ教に影響を与えている

⛳ローマの宗教をうまく布教に利用した初期キリスト教

 ☆ローマ帝国のローマでキリスト教団が布教を始めた頃
 *ローマの支配階級はストア派の哲学を信奉していた
 *ギリシャ神話の神様たちのことはあまり深く信仰していなかった
 ☆庶民に人気の宗教が2
 *ペルシャ起源の太陽神ミトラスを崇拝するミトラス教と
 *エジプト由来のイシス教
 ☆初期キリスト教は、当時のローマ帝国の宗教的・文化的状況を
 *利用し、ミトラス教やイシス教から巧みに要素を取り入れた
 ☆キリスト教はミトラス教の儀式を模倣し
 *パンとワインを用いた聖餐式を取り入れた
 *イエスの最後の晩餐を再現するものとされた
 *ミトラス教の信者にとっては馴染みのある儀式であり
 *キリスト教への移行を容易にしたと考えられる
 ☆イシス教からは母性のイメージを借用した
 *イシスは夫オシリスの死体を復活させ
 *息子のホルスを育てた女神として崇拝された
 *キリスト教は、イシスの姿を聖母マリアのィメージに重ね合わせた
 *イシス教の信者たちにとり、キリスト教が親しみやすいものとなった
 ☆キリスト教は、ギリシヤ神話の最高神ゼウスの姿を
 *イエスの表現に取り入れた
 ☆ローマ帝国の国境線は破られ、治安が悪くなりました
 *天候もかんばしくないため、飢えが拡大していきます
 *不安が蔓延するなかで
 *「イエスの言葉を信じれば、最後の審判で天国に行けます」と説いた
 *キリスト教の教えは民衆の心に刺さる
 *いつ誰が亡くなってもおかしくないような、死が身近だった時代に
 *「死後どうなるのか」は人々のきわめて重要な関心事だった
 ☆テオドシウスー世
 *キリスト教が布教活動のためにローマ帝国全域に敷いた教会組織を
 *帝国の統治機構として使おうと考えた
 *当時、北方からの諸部族の侵攻によって
 *ローマ帝国の街道や軍の拠点が断ち切られていた
 *これに対抗するために教会の力を借りるには
 *国教化してほかの宗教を禁じるのが一番だった
 ☆キリスト教が拡大するとともに
 *教義をめぐる論争も激しくなっていく

⛳正統派をめぐる論争
 ☆キリスト教の正統派を巡る論争
 *初期キリスト教会の歴史において重要な出来事だった
 *この論争を通じてイエス・キリストの本質や三位一体の教義など
 *キリスト教の根幹をなす信仰の内容が確立されていった
 ☆キリスト教が誕生して間もない頃には
 *さまざまな解釈や教えが存在していた
 *何が正しい教えであるのかを決定する必要が出てきた
 ☆問題となったのは、イエス、キリストの神性と人性の関係
 *イエスは神なのか、人間なのか、それとも両方なのか
 *問いに対する答えは、キリスト教の本質を決定づける重要な要素
 ☆アレクサンドリアの司教アタナシウス、アリウス
 *イエスは神によって創造された存在で完全な神ではないと主張
 *神様は唯一の存在なのだから、イエスは神そのものではない
 *神がつくった被造物で、神様とイエスは別物だという考え
 *「神は神、イエスは人の子だ」
 *イエスの神性は否定しませんが「神そのものではないよ」と
 *けれども人間であるお母さんのマリア様から生まれたイエスが
 *神のように全人類を救ってくれる
 ☆アレクサンドリア教会では
 *教皇をはじめ多くの人たちがアリウスを批判し破門した
 *「イエスは人の子」だなんてとんでもない
 *「イエスは神の子」だ、と考えたからです
 *ただアリウス流の考えは理解しやすいものでした
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『Q資料』『グノーシス主義』『ミトラス教・イシス教』
『帝国の国教へ』
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『最高裁判決』『中絶は権利』『聖書の一読の勧め』

2025年07月08日 | 宗教
🌸福音派が大きな影響力を持つ米社会3(最終回)

⛳最高裁判決めぐり2分する全米

 ☆アメリカの連邦最高裁判所
 *「中絶は憲法で認められた女性の権利」とした49年前の判断
 *覆す判決を下し中絶に反対する保守派は大歓迎する
 *中絶は女性の権利だと主張するリベラル派は猛反発
 *全米各地で、それぞれの立場の人たちが集会を開く
 ☆アメリカは、人工妊娠中絶の是非をめぐって国論が2分する国家
 *実はここにも宗教の考え方が背景となっている
 ☆連邦最高裁判所の判事は全部で9人
 *多数決で判断を下す仕組みになっている
 *判事は終身制で、死亡するか、自ら退任した場合のみ
 *大統領が後任を指名するシステム
 *現在の顔ぶれは、保守派6人、リベラル派3人と
 *保守派が多数で、過去の判例を覆してしまった
 ☆今回、中絶の権利を制限することに賛成した6人の判事のうち
 *5人は敬けんなカトリック教徒
 *カトリックは人工妊娠中絶に反対の立場をとっていて
 *判事の判断に宗教が影響している

⛳「中絶は権利」と認めた判断
 ☆近年、特に共和党の支持者が多い地域で
 *女性の自らの身体についての選択よりも
 *宿った命こそが大切だとして
 *人工妊娠中絶を厳しく規制する法律が相次いで成立していった
 ☆今回の判断は、ミシシッピ州の法律
 *妊娠15週以降の人工妊娠中絶を原則として禁止しているため
 *州内の中絶をするクリニックが、「憲法に違反する」と訴えていた
 *中絶規制の是非、有権者と、選挙で選ばれた代表に委ねるべきだとした
 *今後は中絶に関しては各州の判断に委ねられることになる
 ☆アメリカの憲法では中絶の権利が認められているわけではない
 *だからといって中絶を禁止するわけでもなく
 *各州がそれぞれ決めればいいことだという判断なのだ
 ☆南部のルイジアナ州では、強姦や近親相姦など
 *女性本人が望まない妊娠でも中絶は認めない州法が発効した
 ☆今回の連邦最高裁の判断
 *アメリカ国内のカトリツクやプロテスタントの福音派にとり勝利だった
 *キリスト教の影響が、社会にここまで浸透していることがわかる

🌸おわりに

⛳ロシアによるウクライナ侵攻という衝撃的な出来事
 ☆プーチン大統領は『聖書』を引用して正当化する
 *ロシア正教のキリル総主教が軍事侵攻について
 *「祝福」したというニュースも衝撃的だった
 ☆この発言、他のキリスト教の関係者から非難の声が上がる

キリスト教の歴史と『聖書』の精読のお勧め
 ☆十字軍の昔から、宗教改革以降の
 *カトリックとプロテスタントの紛争など
 *血なまぐさい出来事が多く発生してきた
 *本来、宗教とは人々が幸せになるためのもののはずなのに
 ☆筆者はクリスチャンではないが、しかし『聖書』については
 *世界に通用する教養として一読することをお勧めする
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『聖書がわかれば世界が見える』



『最高裁判決』『中絶は権利』『聖書の一読の勧め』
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『物部』『尾張』『三輪氏』『持統天皇太陽神』

2025年07月08日 | 宗教
🌸 三輪氏、大神神社(おおみわ)2

⛳天皇家を呼び寄せたのは、物部氏と尾張氏
 ☆神武天皇、 一度ヤマト入りに失敗したあと、紀伊半島を迂回している
 ☆物部氏の祖のニギハヤヒが、ナガスネヒコを裏切り、神武を迎えいれ
 *王位を禅一譲している
 *神武を迎えいれた最大の功労者は、「物部と尾張」だった
 *「イヅモいじめ」に走っていたのも、「物部と尾張」である
 ☆「出雲の国譲り」神話のなかで、イヅモを追いつめるのは
 *物部系のフツヌシと尾張系の夕ケミカヅチだ.
 ☆尾張氏の祖は、天皇家と血縁関係にあったと『日本書紀』はいい
 *物部氏と尾張氏は同族だったと記す
 *天皇家、物部氏、尾張氏は、関係が深い
 ☆天皇家の祖神と出雲神が同一とするならば
 *出雲神は 物部と尾張に王位を禅譲したことで、天皇家が始まった
 *ここに、ヤマト建国の大まかな筋書きを見れる

⛳三輪氏が6世紀以降に頭角をあらわした新興氏族
 ☆「オオタタネコ=神武」とするなら
 *三輪氏は、天皇家とも同族ということになり、由緒はあなどれない
 ☆戦後の史学界は、「ヤマト建国来続いた名族」たちの素性
 *徹底的に疑ってかかり、その最たるものは天皇家
 *「今日まで血統が続いているはずがない」と考えることが
 *「進歩的」という風潮があった
 *諸豪族も、5世紀ごろに勃興したと考えるのが、常識的な判断
 ☆ヤマト建国時から続いていた氏族など、存在しないことになる
 *筆者は、三輪氏も物部氏も尾張氏も蘇我氏も
 *みなヤマト建国の混乱と騒擾の因縁を長く引きずっていたと考える
 *三輪氏は目立たない存在だが、ちょこちょこと歴史に登場している
 ☆三輪は、物部守屋らとともに
 *排仏派として仏寺を焼いてしまおうと考えていた
 *穴穂部皇子のご乱心によって
 *三輪氏は、味方だったはずの物部守屋に滅ぼされてしまう
 ☆三輪氏はオオモノヌシを祀るためにヤマトに呼ばれ
 *神祗祭祀の中心的存在をつとめていたのだから
 *物部氏とともに排仏派に回るのは、当然のことだった
 ☆三輪氏は、壬申の乱で大海人皇子に荷担したことで
 *順調に出世したようだ

⛳持統6年の行幸に隠された意味
 ☆三輪氏は、物部氏と並び
 *ヤマトの神祗祭祀の中枢に立っていた氏族だ
 *崇神天皇の恐れた祟り神を鎮めたのがオオタタネコであり
 *その末裔が三輪氏だと『日本書紀』にもある
 ☆6世紀の段階で、三輪氏は仏教導入に反発したのだろう
 ☆持統天皇は、伊勢神宮を整備し
 *みずからを「偉大な神」に仕立てあげようとしていた
 *その節目が持統6年の行幸だった
 *「神道」は、「天武・持統朝」から奈良時代に改変された
 *そのきっかけこそ、「持統6年」であった
 ☆『日本書紀』は、持統天皇が大抜擢した藤原不比等が
 *権力者の座についたあとに編纂されたが
 *持統天皇を伊勢神宮に祀られる「太陽神・天照大神」になぞらえている
 *なぜ、持統天皇は「太陽神」にならなければならなかったのか
 *このことが、古代史における最重要のポイントでもある
                     (敬称略)
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⛳出典、『神社が語る古代12氏族の正体』

『物部』『尾張』『三輪氏』『持統天皇太陽神』
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『資本王義の原型予定説』『パウロの国際語での布教』

2025年07月07日 | 宗教
🌸資本王義の原型をつくった予定説

⛳カルヴァンの予定説が、資本主義の原型をつくった
 ☆ロビンソン・クルーソーが無人島を開拓し
 *自らの力で文明を築いていく姿は
 *当時のヨーロッパの植民地主義や帝国主義的な精神を象徴している
 *とも解釈できます
 ☆彼が原住民である黒人のフライデーを「文明化」する姿勢には
 *ヨーロツパ中心主義的な世界観が如実に表現されている
 ☆『ロビンソン・クルーソー』は
 *プロテスタンテイズムの倫理観、資本主義精神、植民地主義という
 *18世紀初頭の連合王国の社会の特徴を反映している
 ☆カルヴアン派とは
 *カルヴァン派はピユーリタン(清教徒)と呼ばれました
 *メイフラワー号に乗らて北米に渡った102名
 *ピルグリム・ファーザーズもピューリタンです
 *『ロビンソン・クルーソー』にも影響が感じられる
 ☆カルヴァンの予定説は
 *個人の救済という宗教的な問題から出発しながら
 *結果的に近代社会の経済システムに大きな影響を与えるとした

イエスの教えを広めたパウロの国際語での布教
 ☆イエスは当時のユダヤ教上層部の堕落を批判し
 *戒律を杓子定規に守ることよりも
 *その戒律が説いていた精神に即して考えるべきだと捉え
 *また人々が生きる現実に即した解釈を唱えていきました
 ☆彼自身が文書を遺したわけではありません
 *死後に教えがまとめられたこともあつて
 *実際のところ、のちに新約聖書として書かれたもののなか
 *どこまでがイエス自身が説いた内容なのかは、よく分かっていない
 ☆イエスは30代でゴルゴタの丘で礫にされて亡くなり
 *その後、弟ヤコブや弟子らによりエルサレムを中心に布教が行われた 
 ☆イエスの教えを体系化して発展させ
 *初期キリスト教を拡大させるなかで
 *パウロの果たした役割はきわめて大きいものでした
 *パウロは当初エルサレムで教えを説こうと考えましたが
 *すでにヤコブらが活動していました
 *かってイエスの教えを迫害していたパウロを
 *ヤコブたちは受け入れませんでした
 *パウロはアナトリア半島の西部やエーゲ海周辺部の都市
 *ローマ帝国の領域にまで足を延ばして布教活動を行った
 ☆パウロの布教戦略の特徴は、その柔軟性にあった
 *形式的に律法を守るユダヤ人だけを神が救うという考えはおかしいとし
 *これは当時のユダヤ教の閉鎖的な姿勢とは対照的でした
 *パウロは、イエスの教えは誰もが救済の対象になると説く
 *パウロはギリシャ語を用いて布教を行っている
 *これによってパウロはユダヤ人だけでなく
 *ギリシャ人やローマ人などにも
 *キリスト教の教えを広めることができた
 *パウロは、キリスト教がユダヤ教の枠を超えて
 *普遍的な世界宗教となる道を開いた

パウロはイエスの言葉として下記の内容で布教している
 ☆神が天地万物をつくり
 *人間はエデンの園で幸せに暮らしていたが
 *神の教えを破って禁断の知恵の実を口にしたことで原罪を背負った
 *イエスは全人類に代わって罪をあがない
 *十字架にかかつて刑死したが、復活した
 *イエスこそが救世主メシア(キリスト)なのだ
 ☆パウロはAC65年頃に死去したようですが
 *パウロの書簡は新約聖書の重要な部分を占めている
 *これらの書簡を通じてパウロはキリスト教の教義を体系化し
 *初期教会の組織化に大きく貢献しました
 *彼の教えは、のちのキリスト教神学の基礎となっている
                     (敬称略)
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⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』





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『福音派と米国大統領』『トランプ、イスラエル寄り』『福音派保守右派』

2025年07月07日 | 宗教
🌸福音派が大きな影響力を持つ米社会2

⛳大きな影響力を持つ「福音派」
 ☆最近のアメリカでは、福音派が大きな影響力を持つようになる
 *保守的な白人に多いプロテスタントの福音派
 *中南米や中東からの移民の増大で
 *自らが少数派に転落しつつあることに危機感を募らせている
 *中南米からのヒスパニックはカトリック教徒
 *中東からの移民はイスラム教徒
 ☆「アメリカは白人のプロテスタントが建国した」思いが強い人たち
 *自分たちの「あるべき」姿を政治において維持しようとしている
 ☆福音派
 *『聖書』とは「神の霊感」によって書かれたもので
 *内容は一字一句すべて誤りのない神の言葉であると信じている人たち
 *アメリカの福音派は、プロテスタントの長老派やバプテスト派、
 *メソジスト派など、ほぼすべての宗派に存在している
 ☆福音派の力を最初に見せつけたのは
 *共和党のロナルド・レ―ガン大統領を当選させた
 *共和党のジョージ・W・ブッシュ大統領を押し上げた
 ☆大統領選挙で共和党から出馬したジョン・マクイン候補は
 *極端な保守派ではなく、福音派からの支持を得ることができずに
 *民主党のオバマ候補に敗北した

⛳トランプ、イスラエル寄りの方針
 ☆大統領選挙でドナルド・トランプ候補福音派からの支持を得るべく
 ☆選挙公約で
 *イスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに
 *移転すると表明し、当選すると、大使館を移転させました
 ☆福音派は、『聖書』の独特の解釈から
 *世界の終わりに際し、エルサレムをユダヤ人国家
 *イスラエルが、守っていてこそキリストが再来すると信じている
 ☆エルサレムはユダヤ、キリスト、イスラムの三つの宗教の聖地
 *どこの国家にも属さない「国際管理都市」にした
 *このためイスラエルは地中海沿いのテルアビブを首都にして建国した
 *世界各国の大使館もテルアビブに設置されました
 ☆第二次中東戦争でイスラエルはエルサレムを占領
 *各国の大使館は相手国の首都に設置することになっている
 *イスラエルの行為は国連決議に反することなので
 *アメリカも日本も世界各国は大使館をテルアビブに置いたまま
 ☆トランプ大統領がアメリカ大使館をエルサレムに移転
 *トランプ大統領は、選挙での福音派の支持を得るために
 *こういう外交方針を取った

⛳福音派は保守右派
 ☆地方都市には保守的な人が多く、都市部にはリベラルな人が多い
 *多くの国で、こうした傾向はみられる
 *アメリカも例外ではない
 *中西部や南部には、共和党を支持する保守的な人たちが多く住む
 *牧師の多くは福音派で、家族の大切さや
 *同性婚反対、妊娠中絶反対、国家への忠誠心などを説く
 *彼らの多くがカルヴァンの考え方を継承し勤勉さを重視する
 ☆神から認められていれば勤勉に働くことができ、裕福になれる
 *低所得者は神から救済されない存在で、勤勉でないから貧しい
 *自己責任論になり、低所得者のための社会保障強化に反対する
 *共和党の保守派に多いのも、こうした自己責任論にもとづくもの
                     (敬称略)
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
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『福音派と米国大統領』『トランプ、イスラエル寄り』
『福音派保守右派』
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『 三輪氏』『大神神社』『祭祀権を放棄』『崇神天皇と神武天皇』

2025年07月07日 | 宗教
🌸 三輪氏、大神神社(おおみわ)

⛳祭祀権を譲った天皇
 ☆大神神社(桜井市)
 *ヤマトを代表する霊山・三輪山を御神体山とする
 *大神神社には、本殿はなく、三輪鳥居を通して
 *拝殿の背後にある三輪山を拝む
 *拝殿には「鶏卵」のお供え物が並ぶ
 *それは三輪山の神であるオオモノヌシの正体が蛇だからだ
 ☆西側山麓の扇状地に、ヤマト建国の地、纏向遺跡が広がる
 *三輪山と大神神社は、ヤマトの中心といってよい
 ☆ヤマトにいちばん乗りしたのは
 *三輪山の神であるオオモノヌシだ
 *三輪山に祀られる神は出雲神に他ならない
 *ヤマトの王家は、この山の神を恐れ、敬い、丁重に祀っていく
 ☆天皇が出雲神に震えあがるきっかけとなったのは
 *第十代崇神天皇の時代のできごとがあったからだ
 *最初の天皇は、崇神天皇と考えられているから
 *この事件はヤマト建国の黎明期に起きていた
 *崇神五年、疫病がはやり、国の人口が半減する事態に見舞われた
 *天皇は政務に励み、天神地祗に罪を謝りたいと請うた
 ☆三輪山のオオモノヌシが神託を下した
 *国が治まらないのはオオモノヌシの意思であることを述べた
 *オオタタネコを捜し、彼が神託どおりに行動すると
 *世は平穏をとりもどした
 *オオタタネコの末裔が、三輪氏とされている
 ☆祟り神を鎮める力が崇神天皇にはなく
 *祟り神の子を連れてきて祀らせたというが
 *これは「祭祀権を譲渡した」ことになる
 *「祭祀をつかさどる者が古代の王」と定義できるのなら
 *この説話は、王権そのものを禅譲したことを示している
 *天皇家自身が、「祭祀権を放棄する」という場面は、信じがたい

⛳建国後のヤマト朝廷
 ☆イヅモに使者を送り神宝を検校させている
 *神宝を「よこせ」、祭祀権を奪うことに他ならない
 *土地の首長たちから、つぎつぎと祭祀権を奪っていく
 ☆気になるのは
 *崇神天皇が実在した初代王と考えられている
 *神武天皇と崇神天皇が「同一人物」ではないかと疑われている
 *神武天皇の時代、ヤマトの地で
 *王位はニギハャヒから神武天皇に禅譲されていたという
 ☆筆者は、崇神天皇と神武天皇は
 *同一人物ではないが、「同時代の人物」ではないかと見ている
 *ニギハヤヒは崇神天皇で、オオタタネコが神武天皇であり、
 *崇神(ニギハヤヒ)は神武(オオタタネコ)に
 *王位を禅譲したのではないかと疑っている

⛳三輪山に何故天皇霊が祀られているのか
 ☆大神神社の御神体は三輪山だが
 *三輪山と太陽信仰がつながっている
 *「日向」は「東」の意味で、太陽信仰の神だと考えられている.
 *日向からやってきた童子(鬼)を
 *三輪山において丁重に祀っていたのは神武天皇だったから
 ☆三輪山は出雲神オオモノヌシの山ではない
 *天皇の祖神と出雲神が「鏡で映した表と裏」ならば
 *出雲神オオモノヌシは、天皇家の祖神でもある
 *三輪山の「御子」はオオタタネコであり、神武天皇と考えられる
 ☆『日本書紀』の描く神武東征も
 *「強い英傑の征服戦」ではなかった
 *神武天皇は、敵を呪い、敵の裏切りと禅譲で、王位についた
 *神武は神託を得て、敵を呪って負けない身体になった
 *神武が勝ったのは、霊的な力が強かったからである
 ☆ニギハヤヒが神武に王位を譲り渡したのは
 *神武が「よく祟る、恐ろしい御子」だったから
                     (敬称略)
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                         三輪山
 
                       (大神神社)

『 三輪氏』『大神神社』『祭祀権を放棄』『崇神天皇と神武天皇』
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『ユダヤ人迫害』『シオニズム』『土地の争い』『オスロ合意』

2025年07月06日 | 宗教
🌸宗教がアメリカの政治で絶大な影響力を持つわけとは3

⛳ユダヤ人追放
 ☆アメリカのキリスト教福音派はユダヤ教徒にシンパシーがある
 *キリスト教ではユダヤ人を「キリストを裏切った」存在として捉え
 *金融業などで経済的に成り上がった者という偏見が長くあった
 *宗教というより人種・民族という観点からのユダヤ人差別もあった
 *ナチスドイツの「ホロコースト」組織的な絶滅政策
 *600万人に及ぶとも言われる迫害と虐殺の加害経験ゆえ
 *ドイツでは第二次世界大戦後
 *反イスラエル=反ユダヤ主義者と見なされている
 ☆スペインからも、 ユダヤ人は追放されている
 *イベリア半島からイスラーム勢力を追い出し
 *レコンキスタを達成した「カトリック王(スペイン王)」
 *「異教徒」ムスリム、ユダヤ教徒の追放を始めた
 ☆ハプスブルク君主のマリア・テレジアは反ユダヤ感情の持ち主
 *プラハに住む1万以上のユダヤ人へ追放令を出した
 ☆20世紀初頭にかけてロシア帝国でに起きた
 *ユダヤ人を対象とした商店襲撃や略奪、虐殺、強姦などの襲撃事件
 *政府の命令ではなく、草の根で起こった迫害

⛳ユダヤ人の「シオニズム」
 ☆エルサレム旧市街の南西端にあるシオンの丘
 *ユダヤ人にとってのパレスチナの象徴
 ☆「シオニズム」とは「イスラエルの地に帰ろう」という
 *ユダヤ人の「民族」主義運動
 ☆シオニズムは、「宗教」的な情熱に基づいた運動ではない
 *ユダヤ人のための故郷をパレスチナに建設するために生まれた
 *ナショナリズム運動だ
 ☆イスラエル国家の設立の後
 *シオニズムはユダヤ人国家としてのイスラエル国の発展と
 *保護を支援するためのイデオロギーとなっている
 ☆シオニズムの背景のひとつには
 *18世紀末以降、明確な領土、共通の言語、文化、歴史を持つ
 *「国民」が主権を有する政治体制、「国民国家」という概念が
 *主にヨーロツパで発展していつたことがあります
 ☆シォニズムは離散した民族の再結集をめざし
 *新たな土地(パレスチナ)への移住を伴う特殊性があった
 *パレスチナにはすでにたくさんの人が住んでいます
 ☆エルサレム一帯に国を造れば、争いになることは明白
 *パレスチナ地域は長らくオスマン帝国の支配下に置かれていた
 *第一次世界大戦中、大英帝国のバルフオア外相
 *ユダヤ人の大富豪ロスチャイルド家に対し、
 *パレスチナの地に「ユダヤ人の民族的郷土を認める」と明言した
 *この宣言は、敵対するオスマン帝国打倒のための
 *財政援助を求める目的もありました
 *これが、 ユダヤ人国家建設への道を開く重要な一歩となる
 ☆バルフォア宣言は、大英帝国の「三枚舌外交」の一部でもあった
 *同時期に、アラブ人にも独立を約束し
 *フランスともパレスチナの分割を密約するなど
 *複雑な外交政策を展開していた
 *この三枚舌外交が今日まで続くパレスチナ問題の一因です
 *連合王国の委任統治が終了すると同時に
 *ユダヤ人はイスラエル国家の独立を一方的に宣言
 *独立宣言に反発したアラブ諸国が侵攻し、第一次中東戦争が勃発
 *アメリカのバックアツプを受けイスラエルが圧勝する
 *その後も中東戦争続く
 ☆イスラエルとパレスチナの紛争
 *「ユダヤ教とイスラーム教の宗教紛争」ではない
 *基本的には民族紛争であり、土地をめぐる争い
 ☆メシアが現れなければ
 *真のユダヤ国家は実現できないがメシアは現れていない
 *現イスラエルは真のユダヤ国家ではない
 ☆イスラエルもパレステナも
 *宗教的・思想的にも政治的にも
 *一枚岩ではない点は認識しておく必要がある

⛳挫折したオスロ合意と現在の対立
 ☆イスラエルとパレスチナ解放機構のあいだで結ばれたオスロ合意
 *パレスチナ問題を解決する糸口になると期待されていた
 *イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として
 *相互に承認する
 *イスラエルは占領した地域から暫定的に撤退し
 *5年にわたって自治政府による自治を認める
 *その5年のあいだに今後の詳細を協議するという内容
 ☆この合意はアメリカのビル・クリントン大統慎の立ち会で
 *イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長によって調印された
 ☆この合意は実現に向けて進展する前に挫折した
 *イスラエルの右翼過激派によってラビン首相が暗殺され
 *和平プロセスに大きな打撃となった
 *イスラエルにおいて右派政党ネタニャフが首相に就任すると
 *和平交渉は停滞してしまう
 ☆パレスチナ側では、有力組織である
 *ファタハとハマスの対立が深まるという新たな問題生じた
 ☆イスラエルは入植地をどんどん拡大した
 *イスラエル軍はパレスチナ人の土地に戦車や重火器で
 *武装したトラックで乗り込んで町を破壊し
 *ブルドーザーで更地にしてユダヤ人を入植させた
 *さらにはパレスチナ人とユダヤ人の居住地とのあいだに
 *巨大な壁を築き、緩衝地帯を作るようになる
 ☆難民となったパレスチナ人たち、故郷に自由に立ち入れなくなり
 *仕事を奪われ水道や電気もまともに使えなくなる
 *イスラエルに生殺与奪を握られる状態に追い込まれた
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『ユダヤ人迫害』『シオニズム』『土地の争い』『オスロ合意』
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『蘇我氏大臣の世襲』『乙巳の変』『蘇我氏滅亡』

2025年07月06日 | 宗教
🌸蘇我氏(そがうじ)1

蘇我氏の歴史と起源
 ☆蘇我氏の出自諸説あるが
 *孝元天皇の孫(ひ孫)を始祖としている
 *しかし、これは創作の可能性も指摘されている
 *渡来人(大陸からの渡来者)との関係も深く
 *彼らが持つ先進技術や文化を取り入れ勢力を拡大した
 ☆蘇我氏の本拠地
 *現在の橿原市蘇我町周辺を本拠地としたとする説が有力
 *大阪府南河内郡周辺を本拠とする説もある
 ☆蘇我氏の職掌と勢力拡大
 *6世紀前半に活躍した蘇我稲目の頃から、大和朝廷の財政を掌握した
 *渡来人系の技術者集団を支配下に置く
 *土木技術、織物技術、仏教などの大陸文化を積極的に取り入れ
 *これを政治的基盤とし軍事貴族大伴氏や物部氏と並んだ
 *又はそれ以上の権力を手中に収めた

⛳蘇我氏、仏教受容と物部氏との対立
 ☆蘇我氏、崇仏派の代表
 *欽明天皇の時代に百済から仏教が伝来すると
 *蘇我稲目らは仏教の受け入れを推進した
 ☆排仏派との対立
 *日本古来の神々を尊ぶ物部氏
 *仏教が疫病を引き起こすなどとして、両者は対立した
 *これは、朝廷における政治的覇権を巡る争いでもあった
 ☆丁未の乱(ていびのらん)
 *蘇我氏と物部氏の対立は、天皇の後継者争いとも絡み合い
 *最終的に丁未の乱と呼ばれる大規模な武力衝突に発展しました
 *物部守屋(もののべのもりや)は大連として排仏派を率いた
 *蘇我馬子(そがのうまこ)が崇仏派を率いた
 *激戦の末、物部守屋は戦死し、物部氏は蘇我氏により滅ぼされた
 *蘇我氏は朝廷内で絶大な権力を握る

⛳蘇我氏の全盛期
 ☆蘇我氏大臣(おおおみ)の世襲
 *蘇我稲目以来、蘇我馬子・蝦夷・入鹿と代々「大臣」の職を世襲し
 *皇室を凌ぐほどの権勢を誇る
 ☆聖徳太子との協調
 * 蘇我馬子は、聖徳太子(厩戸皇子)と共に
 *推古天皇のもとで政治を主導した
 *十七条憲法の制定や冠位十二階の制定など
 *国家体制の整備に尽力し、飛鳥文化の興隆を支えた
 ☆蘇我氏氏寺の建立
 *蘇我馬子は、日本初の仏教寺院である飛鳥寺建立
 *法興寺、元興寺も建立した
 *蘇我氏の氏寺であり、当時の最先端技術を結集して造られた

⛳蘇我氏滅亡(乙巳の変)
 ☆蘇我氏の専横の増大
 *蘇我入鹿は父・蝦夷に代わって大臣となり、権勢をさらに強めた
 *有力皇族である山背大兄王を滅ぼすなどその専横は
 *天皇中心の政治を目指す勢力から反発を招いた
 ☆乙巳の変(いっしのへん)
 *中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが謀り
 *飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺し、これを「乙巳の変」と呼ぶ
 ☆蘇我本宗家滅亡
 * 入鹿の父である蘇我蝦夷も自邸に火を放って自害し
 *ここに蘇我氏の宗家は滅亡しました
 *この事件をきっかけに、中大兄皇子らは
 *「大化の改新」と呼ばれる一連の政治改革に着手し
 *律令制国家の建設を進めていく

⛳蘇我氏のその後
 ☆蘇我氏の本宗家は滅びたが、引き続き大臣を務めた
 *蘇我氏の傍系も存在した
 *天武天皇の時代には、蘇我氏の一部が「石川氏」に改姓し
 *その後も貴族として存続した
 ☆蘇我氏は、外来文化の導入に積極的で
 *古墳時代から飛鳥時代への転換期において
 *日本の国家形成と文化の発展に大きな影響を与えた重要な氏族
 *彼らの栄枯盛衰は古代日本の権力闘争と
 *社会変革のダイナミズムを象徴するもの
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
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⛳出典、『神社が語る古代12氏族の正体』

『蘇我氏大臣の世襲』『乙巳の変』『蘇我氏滅亡』
(ネットより画像引用)
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『バビロン捕囚』『タナハ』『選民思想』『救世主』『民族結束』

2025年07月05日 | 宗教
🌸宗教がアメリカの政治で絶大な影響力を持つ2

⛳ユダヤ人が世界に散らばるきっかけとなったバビロン捕囚
 ☆バビロン捕囚は、ユダヤ人の歴史的な転換点となった出来事
 *メソポタミアを征服した新バビロニア王国
 *エルサレムを首都とするユダ王国を制圧する
 *ユダ王国が新バビロニア王国に反乱を起こたので鎮圧した
 *ユダヤ人の民は独自の神様を信じ、理屈っぽくて、反抗的だった
 *新バビロニア王国は、ユダ王国の指導者層をバビロンヘ強制移住させた
 ☆移住させられたユダヤ人たち
 *約60年間にわたってバビロンで生活する
 ☆新バビロニア王国がペルシャに征服されて滅ばされる
 *ユダヤ人たちは解放された
 *エルサレムに帰ってもいいし、バビロンに残ってもいいとした
 *多くのユダヤ人はエルサレムに戻らず、バビロンに留まる
 *この出来事が、 ユダヤ人のデイアスポラ(散在)の始まり
 ☆エルサレムに戻ったのは主に祭司階級の人々
 *彼らは第二神殿を再建し
 *ユダヤ人のアイデンテイティを守るために、  
 *ヘブライ語聖書「タナハ」の編纂を始めた
 *このタナハがいわゆる「旧約聖書」の原典
 *タナハとキリスト教徒が「旧約聖書」と呼ぶものは
 *多くの部分で重なりますが、中身は同一ではない
 ☆バビロン捕囚とその後の展開
 *ユダヤ教の発展に大きな影響を与えた
 *タナハ、モーセが伝えた「口伝律法」を収めた文書群
 *ユダヤ教徒の生活。信仰の基となった「タルムード」を通じて
 *ユダヤ教の体系がほぼ完成し
 *「選民思想」や「救世主」(メシア)の概念が生まれた
 ☆バビロン捕囚はユダヤ人に悲劇的な「離散」のイメージですが
 *ユダヤ人が自らの意思で世界の大都市に散在していく契機となった

⛳ユダヤ民族結束のためにつくられた旧約聖書
 ☆タナハは、バビロン捕囚後の
 *ユダヤ民族のアイデンテイテイ維持と結束を目的として創作された
 *エルサレムに帰還した主に祭司階級の人々は
 *デイアスポラによってペルシヤ帝国の中に埋没し
 *自分たちが民族として消滅する危機を感じていた
 ☆タナハの記述は必ずしも史実に基づいているわけではない
 *必然的に多くの部分が創作になっている
 *ゼロからお話を作るのはたいへんですから
 *バビロンで聞いた古代メソポタミアの伝承や神話を
 *モチーフとして取り入れている
 ☆「ノアの方舟」の物語
 *メソポタミアの大洪水伝説を基にしている
 ☆「エデンの園」の「エデン」は、メソポタミアの地名
 *神が最初の人間アダムとイブを創造し、住まわせたものの
 *蛇にそそのかされて禁断の実を食べたふたりが追放された
 ☆完成したタナハは、 ユダヤ人に選民思想を説き
 *苦難のなかでメシァが現れて救ってくれるストーリー
 *希望を与え、民族の誇りと結束を強化する役割を果たした
 ☆ペルシャのアカイメネス朝に対して
 *「俺たちユダヤ人も立派な歴史を持つ優秀な民族なんや」と
 *主張する意図もあった
 ☆タナハ、真実であるかのよう祭司たちが書いたおかげで
 *長年信じられ、タナハはそのような力を持っていた
 *タナハは「宗教書」として見るのでなく
 *民族の存続をかけてつくられた文化的、政治的文書でもあった
 *離散したユダヤ人たちに共通のアイデンティティを提供し
 *民族としての一体感を維持する役割を果たした
                     (敬称略)
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⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』




『バビロン捕囚』『タナハ』『選民思想』『救世主』『民族結束』
(ネットより画像引用)
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『サラディン』『第4回の十字軍』『ローマ教皇の謝罪』

2025年07月05日 | 宗教
🌸イスラム世界との対立招く十字軍3

⛳相次いで失敗する十字軍
 ☆1回目の遠征でエルサレムを奪い取ったキリスト教徒
 *イスラム教徒の軍勢によって奪い返された結果
 *続けて2回、3回と十字軍を送り込む
 ☆度重なる十字軍の攻撃を受け、イスラム勢力の指導者サラディン
 *「ジハード」(聖戦)を宣言する
 *第3回の十字軍はサラディンの前に敗れる講和条約が結ばれる
 *エルサレムに関してはサラディンの主権を認め
 *キリスト教徒はサラディンから通行証をもらって
 *聖墳墓教会で祈ることが認められた

⛳十字軍により繰り返される虐殺
 ☆第4回の十字軍
 *彼らはエルサレムを目指さず、 味方のはずの
 *ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルを攻撃して占領する
 *これは、十字軍の輸送を請け負ったベネツィアの商人たちの企み
 *商人たちは、コンスタンティノープルを占領して
 *東方貿易を独占しようという野心を持っていた
 ☆十字軍の軍勢はコンスタンティノープルを占領し
 *ビザンツ帝国の教会や修道院の財産を強奪し
 *そこに住む人たちの虐殺を繰り返した
 ☆当初は十字軍の行いに激怒したローマ教皇
 *軍勢を破門してしたが、最終的には、この行為を承認
 *破門を解き、十字軍を祝福してしている
 *ギリシャ正教のカトリックに対する反感は憎悪にまで発展した

エルサレムでキリスト教とイスラム教の共存した過去
 ☆第5回の遠征を率いたのは神聖ローマ帝国の皇帝
 *彼はイスラム教とキリスト教が共存していたシチリア王国で育つ
 *彼はローマ教皇から十字軍を組織するように求められていましたが
 *当初はこの命令に従わなかったため、ローマ教皇から破門されている
 ☆彼は、武力を使わず、外交交渉による平和的な解決を試みた
 *アラビア語で書いた手紙を送るなど、粘り強い交渉を続けた結果
 *翌年、平和条約を結んでエルサレムを譲り受けることに成功した
 *イスラム教徒もまた、エルサレムでの行動の自由を確保した
 *10年間、両者の平和共存が実現した
 ☆第6回、第7回の十字軍の試みも結局は失敗に終わる
 *20世紀までエルサレムはイスラム勢力の支配下に置かれた

ローマ教皇の謝罪
 ☆十字軍の振舞いをローマ教皇が謝罪したのは
 *2000年から2001年にかけだった
 ☆ヨハネ・パウロニ世
 *ユダヤ人への差別や十字軍の犯した罪について謝罪した
 *十字軍がコンスタンティノープルを占領も謝罪した
                     (敬称略)
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                       ヨハネ・パウロニ世
『サラディン』『第4回の十字軍』『ローマ教皇の謝罪』
(ネットより画像引用)
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