活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

追悼 大浦みずき  タカラヅカ歳時記

2009-12-26 23:59:21 | 活字の海(新聞記事編)
記:小池修一郎(タカラヅカ歌劇団演出家)
2009年11月28日(土) 毎日新聞夕刊3面 夕刊ワイドより
コラムタイトル:タカラヅカ歳時記
サブタイトル:⑧追悼 大浦みずき
見出し:傑出した才能と感受性


※ このコラムの原文は、こちらで読めます


書いた人の。
想いが溢れ出すような文章と出会うとき。

その内容に拠らず、心は共振を覚える。

僕に取っては、今回読んだコラムが正にそうだった。


取り上げられた人は、大浦みずき。
宝塚歌劇団花組のトップスターとして活躍し、ダンスの花組
と呼ばれる一時代を築いた。

その後。
2009年11月14日に。
肺がんのため、永眠。
享年53歳。

筆者のいうとおり。
「早過ぎる帰天」であろう。


寡聞にして、僕は宝塚の舞台を殆ど観たことが無い。
大浦みずきの名前すら、このコラムを読むまでは存じ上げて
いなかった。

それでも。


このコラムに籠められた、筆者の大浦みずきに向ける想いは
紙という媒体に書かれた活字を通じて尚。
僕の心に響き、共振を起こす。


それは、筆者の文章力の上手さもあるだろうけれど。

何よりも。
筆者の、大浦みずきに対する感情の迸(ほとばし)りが。
読む人の心を熱くするのだと、思う。


前述したように、僕は大浦みずきを存じ上げない。
だから、彼女が。

どのようなタレントの持ち主だったのか。
どのような踊りで、観客を魅了して言ったのか。
どんな風に周囲と直接、間接に接した結果、その追悼式に
3000人も集まる
程に人々の心を魅了したのか。

そうしたことについて、何も知らない。


それでも。
筆者の、このコラムを通じて。

筆者が、どのように彼女の踊りを愛していたのか。
そのことの片鱗をうかがうことは出来る。


コラムに拠れば。
最初に、筆者が大浦みずきと組んだ舞台にて。

筆者は。
故障上がりのためか体調を壊した大浦みずきに対して、
十全な稽古も出来ないままに稽古場を出て、舞台稽古を迎える
こととなってしまった。

稽古場では、まともに通し稽古も出来なかったと言うから。
演出家としては、気が気でなかったことは想像に難くない。


にも関わらず。

「稽古場では、振りも歌詞も完璧ではなかった大浦が、
 完全に出来上がっていた。」

と、筆者は驚愕する。

そして、その後に語られたこの言葉。

「舞台空間の中で立った瞬間にすべてを成立させる。
 これこそ天才だと思った。」


その意味を、少し考えていた。

不躾(ぶしつけ)、かつ非礼であることを承知の上で、
敢えて言えば。

質量ともに、十分に準備を重ねて。
不安な要素を全て潰した上で。

更に、舞台ではプラスアルファの輝きを放つことこそが。
プロとしての所作なのだろうとは思う。


それでも。
恐らくは、様々な要因によって稽古場ではその準備の累積を
十全に行えなかった大浦が。

舞台稽古という、本番寸前の段階でいきなり光彩を放つという
この激性はどうだ。

それこそ、まるで。
ドラマか芝居でも観ているような展開ではあるが。

恐らく、それを実現するには。

24時間の全てを。
その舞台を仕上げるという、そのただ一点を見つめて練り上げて
いくことが出来なければならないのだろう。

稽古場以外での、あらゆる日常の所作が。
その芝居の完成度を高めていく稽古となっていくことで。

「舞台空間の中で立った瞬間にすべてを成立させる。」

ということを、実現する。

それには。
稀代の才能と。
稀代の努力が、必要なのだと思う。


そこまでの人が、同時代に生きていながらも。
リアルに接することなく終わってしまったことを、惜しむ。


もっとも。
そんな事例は、枚挙に暇がないこともまた事実である。


だからこそ。
今、自分が持ちえた縁は。
大切にしたい。

慌しい年の瀬に、そう思う。


Ooura Mizuki 大浦みずき TRIBUTE


(この稿、了)


バック・ステージDIARY
大浦 みずき
小学館

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