スタジオSZ8のブログ

スタジオSZ8(鈴八)のぬるめの日常

クリスマスエクスプレス1号車(89年版、牧瀬里穂主演)を考える

2023-03-02 | 映画、ドラマ、テレビ
何で今更?
と思われるだろうけど、JR東海の新キャンペーン「会いにいこう」のフルサイズ版がyoutubeに上がっていて、これがものすごく感動してしまった。泣いてしまうほど。
「ああ、やっぱりJR東海のCMは、ハマると効くなあ」
と思い、勢いで過去のCMをYoutubeで掘り起こしてた。
「N700Sデビュー」も良かったし、「アンビシャスジャパン」(あややちゅーやー)も良かった。

だけど、やっぱり「クリスマスエクスプレス」シリーズが効く。
それぞれ良さがあるが、個人的には「牧瀬里穂のクリスマスエクスプレス」がぶっちぎりで良い。
このシリーズに限らず、過去見た全CMの中でもダントツの一番である。
30年以上の前に放送されたもので、物心ついてない世代も考えれば人口の約半分は、リアルに体感していないだろう。
だが、いまだにYoutubeでパロディ(オマージュ)動画が作られるほど多くの人が触発される作品なのは間違いない。
それは考察にもおよび、こちら↓
’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった - さくマガ

’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった - さくマガ

1989年にテレビCMとして放送されたJR東海のクリスマスエクスプレスのCM。 このCMには現代人が失った大切なものが多数含まれるような気がしたのだ。

さくマガ

 

のように熱く語る方もおられる。
この方の考察が深く、感動した部分はかなり共通しているし見事なものなのだけど、僕とは全くとらえ方が違う部分もあって、ならば実際に書き連ねようと思った訳だ。
(この方の考察は本当に読みごたえがあり、まずはこちらをお読みください。
時代背景とか、シリーズが生まれた経緯も説明されているので、先方で満足されたら、こちらに戻ってくる必要はありません。)

さて、初めに語っておきたいのは今作が「クリスマスエクスプレス」と銘打った第一弾。と言う事。
当時をご存じの方は「あれ? 深津絵里版は?」と思われるかも知れない。上記のリンク先にも記述されているが、実はこちらは「ホームタウンエクスプレス」というシリーズのクリスマスバージョンなのだ。
こちらが事実上の第一弾で、JR東海も公式に認めているのだけど、明確にしたいので、こちらを第零弾(0号車)とする。
こちらも深津絵里の可憐さ可愛さ、ストーリーともに素晴らしく、これがなければ「クリスマスエクスプレス」シリーズは生まれなかった名作である。こちらもいずれ(気力と時間があれば)考察しようと思う。

さて、前年の第零弾の好評を受け、JR東海は新たに「クリスマスエクスプレス」シリーズとして立ち上げたのだと思わるその第一弾。
主演は牧瀬里穂、音楽は引き続き山下達郎「クリスマスイブ」
その冒頭は、明らかにそれとわかるプレゼントを抱え、画面奥から走ってくる、華やかに着飾った女の子(以下彼女)の映像から始まる。
その直後、列車(新幹線)から降りる、男と思われる足。ほかの乗客が普通に歩く中、彼(以下彼氏)だけは降りた後、一度足を揃えてわずかに立ち止まる。
これだけでこの足の持ち主、彼氏が重要な人物だとわかる演出がなされている。
この間、7~8秒。(60秒バージョン、以下同様)
彼女が、この彼氏に会うために急いでいるのだと、このわずかの間に見る側に説明している見事な冒頭シーンだ。
身支度を整え、改札に向かう彼氏。ドアを抜け、連絡通路を走る彼女。これが23秒あたりまで交互に映し出される。

しかし、24秒あたりでアクシデントが起こる。
彼女が、すれ違う男性と肩がぶつかり、大事に抱えていたプレゼントが飛び地面に落ちる。
見る側はここで「あっ!」と思う。
アクシデント自体は些細なものだが、彼女にとっては重大事件だ。とにかく彼女は急いでいた。彼氏はもう列車を降りている(彼女はそれを見ていないが、到着の時刻はわかっているはずだ)、ここで時間を食えば待ち合わせに間に合わないかもしれない。それは見る側にも分かった。
彼女はどうするのか?と。
僕はこのCMを初めて見た時のこの瞬間の事を、いまだに鮮明に記憶している。それほど印象深いシーンなのだ。
彼女は落ちた大切なプレゼントには一瞥もくれず、すぐさま振り向き、ぶつかった男性に90度以上体を曲げ最敬礼で詫びるのだ。選びに選んであろう帽子も飛んでしまうほどに。
これで見る側は、彼女が純真、まじめ、一途、と言ったキャラクターを感じる事ができる。実はこの作品を決定づける最重要シーンだ。
相手男性は不満はあるが「しょうがねえな」という表情で立ち去る。

これが現在なら「CM上の演出です」というテロップが表示されるだろう。下手をすれば「駅構内は走らないでください」と付け加えられるかもしれない。
無粋である。実に無粋だ。
彼女も自分が悪い事は分かっている。男性も自分が悪いとは思ってない。だから彼女だけが謝ったのだ。見る側も分かってる。ちゃんと説明されているのだ。

話を元に戻そう。
しっかりと謝罪した後、やっと彼女は帽子とプレゼントを拾い再び走り出す。その時にようやくプレゼントの無事をちらりと確認して。
32秒あたり。待ち合わせ場所と思われる改札口付近で、不安そうな表情であたりを見回す彼女。なぜ不安そうなのか?については改めて考察する。
改札に現れる彼氏を映した後、再び彼女が映し出される。
相変わらず不安げな表情の彼女だったが、彼氏の姿を見つけた瞬間、破壊力と表現すべき全開の笑顔になる。僕の稚拙な表現力では、この笑顔のすばらしさはとても言葉にできない。これは僕だけではない。断言する。
当時の大概の男は、この笑顔にヤラれたのだ!
この文章を読んでる数少ない方(苦笑)、リアルタイムで見てない方、もし、身近に50歳前後の男性がおられるなら聞いてみるといいです。
同様の意見を言うと思われます。少なくとも「ああ、あれね」という確率が高いです。
なぜ、この時の彼女はこんなに魅力的なのだろう?
もちろん、彼女役の牧瀬里穂の魅力は大きい。悪くとられると思うが、スポーツでも芸能でも最高に輝く瞬間がある、間違いなく牧瀬里穂が最高に輝いた瞬間が、まさにこの時だった。
そして、それに加えるなら前述の彼女のキャラクターの描写がハマったからだろう。
男性にぶつかるシーンが、ここで生きてくる。このシーンがなかったら、ここまでの破壊力が生まれたかどうか?
牧瀬里穂の魅力にさらにドライブがかかったのだ。
一途に、まじめに一所懸命に彼氏のことを想い、会いたくて会いたくて募る思いを一気に爆発させた笑顔だと言う事が、見る側に強烈に伝わったのだ。僕はそう信じて疑わない。
「ああ、よかった。出会えた」
と、見る側も幸せな気分になれたのだ。

彼女は、彼氏の姿を認めるとコンコースの柱の陰に隠れる。落とした帽子を頭にポンと乗せ、彼氏にサプライズを仕掛けようとしたのか、先ほどの笑顔にいたずらっぽさを加え、目を閉じる。
彼氏が彼女の姿を探そうとした時、エンディングを迎え、
「ジングルベルを鳴らすのは帰ってくるあなたです」「クリスマスエクスプレス」
という、これまた名コピーとともに「JR東海」のジングルでCMは幕を閉じる。

こう書いていて目が潤んで来るほど、名作である。
いまだに語り継がれるのも無理もない。この作品によって牧瀬里穂はスターダムを駆け上がり、「クリスマスエクスプレス」はシリーズ化される。
ついでに言えば、クリスマスを恋人と過ごす文化さえ生まれるきっかけとまでなった。(本場からは奇異な目で見られるらしい)
今では伝説級とまで語られる名作となった。
「クリスマスエクスプレス」「牧瀬里穂」で検索すれば、すぐに見つかります。
未見の方一度、ご覧ください。

さて、ここまで作品そのものに触れてきたけど、この作品を語るうえで欠かせないのが「見る側の想像にゆだねる部分」が多い作品だと言う事だ。
それゆえに余韻が残り、世界が広がる作品となった。

なぜ、彼女は待ち合わせに遅れたのか?
なぜ、彼女は不安そうな表情なのか?
二人は、このあとどうするのか?
彼女の服が、あまりにも華美なのはなぜなのか?
プレゼントは何か?
待ち合わせ場所はどこか?
そもそも待ち合わせはあったのか?
など、考察部分が多いのだ。冒頭に述べたが、人によって捉え方が違ったりする。
それもまた、この作品の魅力なのだ。

これを書いていこうと思うのだが、とは言え、決まった正解があるわけではない。人それぞれに正解があり、それでいいのだけど、前述のリンク先の方の考察があまりに深いので、
「こういった見方もありますよ」
という程度のものだ。前述のリンク先の反論とは言えないが、まあ、それを読んでから以下の部分は読んでほしい。

例えば、待ち合わせそのものがなくて、これは彼女のサプライズだった。という考察は意外で、しかも否定しがたく、非常に面白い。
ただ、僕は、待ち合わせはあり、待ち合わせ場所は、まさしくラストシーンのあの場所(改札を出たところ)辺りだと確信している。
なぜか?
それは彼氏の行動でわかる。
60秒バージョンでは、彼氏がホーム上で、バンダナを頭に巻く最後の部分が映し出されている。バンダナは都会から巻いていたのではなく、この駅で巻いたのだ。
なんで、わざわざホーム上でバンダナをまく必要があったのか?
それは、この後にまとめて説明する。
仮に、ただ単に乱れたバンダナを整えただけ。だとしても、この説には矛盾しない。
次に、本当のラスト、彼女が柱に隠れている場面を見てほしい。
どうしても彼女に目を奪われてしまうのだが、彼氏はその奥で妙な動きをしている。
改札から歩きながら、自分の腹辺りに目を落とし、ジャケットの前の合わせの部分をスッと引っ張って伸ばしているのだ。
偶然? アドリブ?
いや、そんなはずはない。これはれっきとした意味のある演出だ。
少なくとも偶然ではない。アドリブだとしても、それが意味ある、良いと認められたから映されているのだ。
主人公は彼女なのだ、背景である彼に余計な動きをさせるわけがない。
それに60秒しかないのだ。余計なシーンに半秒も使う余地はない。


これは何を意味するのか?
答えは、彼氏も彼女と同じように、自分の精一杯かっこいい姿を見せたいのだ。
バンダナもこれがかっこいいと思い、わざわざホームで着けた。
仮にそれまで着けたままだったとしても、それが乱れていたのなら絶対に整える。
ひょっとしたら髪形を失敗したのかもしれない。それを隠すためのものかもしれない。
ジャケットにしても、一番目立つ前の部分がよれたりしていたら話にならない。ピッと伸ばして整えるだろう。
繰り返す。彼女が彼のために精一杯、キレイな自分を見せたいと思い、彼氏もまた同様に彼女のために、かっこいい自分を見せたいのだ。

彼女がいない駅で、そんな事をするだろうか?
待ち合わせ場所が、この辺りだという説明も、これまでの仮説を補強する。
ラスト、本当に半秒もないが、彼氏の動きに注目すると、明らかに歩くスピードが落ちている。
最後までは時間切れになるが、このまま数秒あれば、おそらく1.2歩で立ち止まるスピードまで。
そして本当に終了間際、彼氏は自分から見て左。画面の右側に視線を向ける。この時の視線は、僕には人を探す視線にしか見えない。
彼氏が彼女を探すのは、ここからだと思ってる。
二人は待ち合わせていた。何日も前から約束していたのだ。

次に、彼女の持っているプレゼントだが、直前に慌てて買う。というのは、これはさすがに無理がある。というか考えにくい。
彼女のキャラクターから考えれば、当日まで彼氏のためのプレゼントを用意しないとは、どうしても思えない。
仮に、翌日以降、一緒にお揃いのものを買うとしても、彼氏のために考え抜いて用意するはずだ。
それに包装も、百貨店で、その店内で買えば、ちゃんと包装してくれる部門がある(所を選んだ)。
有料オプションで、どれだけでも豪勢にできる事もできる。彼女はこれを利用したはずだ。
ただ、そのプレゼントが「カレンダー」という推察には恐れ入った。中身を考えたこともなかったが、これに対する対案は全く浮かばない。
カレンダーで決まりだろう。

あと、書いていて気が付いたのだが、このシリーズに珍しく、「彼」をしっかり表現、演出をしている作品だと思う。唯一ではないか?
顔もしっかり映っているし。ほかの作品はこれほど綿密に「彼」はフューチャーされてない。
これも深みを増す一因なのかも知れない。


そんな訳で、つらつらと書き連ねてきたけど、ここで一応の区切りとさせていただきます。
この名作が、いつまでも人々の心に残るように願います。


ただ、疑問を提示しながら、いくつかについて語っていません。
それは、これ以降に書いていこうと思うのですが、妄想というか曲解した見方、邪推ともいえるもので、おそらく制作側はそんなことは考えてもいなかったろうし、途方もない考察だと思います。
人によっては不快にすら感じるかも知れないので、そういうのが嫌な方はこの辺で終了してください。
こんな長文に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。



では、ここから先は、本当に物好きな方(失礼)へ向けて書いていきます。

僕がこの作品を見た回数は、それこそ三桁は下らない。下手をすれば三桁後半は繰り返して見ているかも知れない。
だけど、そのうち、大きく2点、どうしても違和感を感じるようになった。

まず一点は、彼女の着ている服が華美に過ぎるという事だ。
もちろんこれは、彼女が彼氏に精一杯自分をキレイに見せたいという心情を表す、演出上のディフォルメとして、ちゃんと説明はつく。
だが、それにしても。だ。

時刻はすでに夜の10時。
一緒にいられる時間はそう多くないだろう。
これが第零弾の彼女(役、深津絵里)のような服だったら、なんとも思わない。
だが、数時間のために? この服を?・・・・・・・


そう、数時間じゃないのだ。
これから二人は、一夜を共に過ごす。それも初めての。
言い出したのは彼女だ。

当時、彼女役の牧瀬里穂は17歳。作中もこの年齢だとしたら、けしからん事この上ないが、これはあくまでもCM、ドラマなのだ。
設定で彼女の年齢は22歳や25歳なら、問題はない。
実際、その是非はともかく、当時、この夜を二人で過ごす男女は多くいた。
彼女と彼氏も、そのうちの一組となるのだ。

言い出したのは彼女の方と述べたが、無論、彼女に浮ついた気持ちは微塵もない。
これは「距離に試される」二人の絆を確かめる、神聖で重要な儀式なのだ。
華美に過ぎる服も
「その時は一番きれいな自分で迎えたい」のである。
女性心理など完全な専門外な僕でも、それぐらいはわかる。


我ながら大胆な考察だが、こう考えるといろんな事の辻褄があってくる。

まず、彼女の姿をもう一度見てほしい。
なんとも軽装である。それも財布ですら持っているかどうか? というレベルだ。
一応バッグは下げているが、重さを全く感じない。
しかもプレゼントはむき出し。
そうでない可能性は十分あるが、これでタクシーや地下鉄といった公共交通を利用したのだろうか?
僕は、ちょっと否定したい気分だ。
親族や友人に送ってもらった。なんてのは論外。

そもそも、この姿のまま、自宅(寮、宿舎等)を出てきたのか?
それもどうだろう?

僕が一番しっくりくるのは、普段着(今でいう就活スーツぐらいは着たかもしれない)で出掛け、途中で着替えてから駅に来た。だ。
どこで? もちろんホテルだ。

ホテルで着替えて、余分な荷物は部屋に置き、徒歩で駅に向かったのだ。
新幹線が停まる駅なら、近くに立派なホテルはいくつでもある。

これで彼女が、待ち合わせに遅れそうになった理由も説明がつく。
当初、僕は、わざわざタクシー乗り場という表示を背後に見せた冒頭シーンから、タクシーが渋滞にはまって(それも年末、クリスマスの大渋滞)遅れた。
と思っていた。
もちろん、これで説明はつくのではあるが、今ひとつしっくりこなかった。
それすら彼女は計算して(調べて)余裕を持って出かけるのではないか? この土地に長く住んでいれば、こういう情報は見聞きするのではないか?と

このプランを提案したのは彼女、という事はすでに述べた。
部屋を予約したのは、彼女、彼氏、どちらかはわからないが、チェックインしたのは間違いなく彼女だ。
ご存じの方もおられると思うが、この時代、この日のホテルは大混雑になる。
当たり前だがオンラインチェックインなんてものはない。
当人がフロントに行ってアナログ処理をしなければいけないのだ。
彼女はこんなに混むなんてことは知らなかった。
悪いことに混み合う時間に出くわしたのだろう。
長蛇の列は遅々として進まない。

余裕を持ったはずの時間はどんどん削られ、ようやくチェックインを済ませ、着替え、メイクをしていけば、あっという間に時間ギリギリだ。
彼女は慌てて走り出す。
…自分でも驚くほど腑に落ちる。

「派手な服ひとつでそこまで妄想を膨らませるか?」
と思われるだろう。

もちろん、別の根拠(妄想する理由)がある。同時に「彼女から言い出した」根拠にもあたる。
それがもう一つの違和感だ。

それは彼氏の表情だ。
終始、彼氏の表情が硬いのだ。
これは、この仮説を立てるずいぶん前から違和感を感じていた。
彼女に会えることを差し引いても、久しぶりの、まとまった休暇だろう。
ニコニコしろとは言わないが、もう少し柔らかい表情であるはずなのではないか? と。
僕はこの彼氏の表情を一言で表現出来なかった。むろん、その違和感を説明できる仮説もなかった。

だが、この仮説を立てて彼氏の表情を一言で説明ができた。
ずばり
「緊張」
である。

この日の約束を組む段階。彼女からその事を告げられる。当然、婉曲な表現を使うだろう。
例えば
「その日は、私、帰らないから」
と言われたとしよう。

付き合いをしているなら、どんなアホな男でもその意味は分かる。
と同時に、事の重大さも理解した。彼氏は、重圧を感じたに違いない。
覚悟と責任を求められたと思ったはずだ。
それがあの表情だ。

これが色欲に流されニヤニヤするような男だったら、彼女が好きになるわけがない。
そうなのだ。
彼氏もまた、純真でまじめ、一途な青年なのだ。
これは状況証拠や、僕だけの推論ではない。
彼氏の性格は、ちゃんと作中で映されて(演出されて)いる。

彼氏が改札の駅員に切符を渡そうとする場面。
彼氏は、駅員の顔を見ながら「お願いします」と言うようにコクリと会釈する。
なんなら本当に「ありがとうございました」とか言い出しそうな勢いである。
真面目とか純真、という資質がなければ出ない行為だ。
「えー、さすがにそれはこじつけでは?」
と思われるだろう。
だが、繰り返しになるが60秒しかないのだ、意味のないシーン、演出、演技をしている余裕はないのだ。
このシーンにもちゃんと意味があってのことだ。
こう言った細かな描写の積み重ねは、労力の割にはなかなか気が付かれない。
だが、こういった制作側の熱意や魂は、その力が強ければ強いほど、そうと分からなくても見る側には伝わる。
「神は細部に宿る」のだ。
都会の色に染まり、それっぽいファッションに身を包みはしてるが、三つ子の魂百まで。
そうそう性格が変わるわけがない。
そんな青年なのだ。

「いいのか? 本当に?」
彼氏は自問自答を駅に着いても繰り返しただろう。
彼女のことは大事にしたい。
でも、それを言い出した彼女は、どんなに勇気を振り絞ったか? と言うことも手に取るようにわかった。
彼氏もまた、彼女を一途に想い考えているのだ。


そして、その彼氏を探す彼女の不安げな表情。
この仮説の前でもちゃんと説明はついていた。
この列車で来る。と分かっていても、何らかのアクシデントで彼氏が乗れなかったら?
このまま会うことが出来なくなるかもしれない。
そしてそれを知る術は、今の彼女にはないのだ。
その姿を見るまで不安を消せないのは、当たり前の事だ。

だが、これまでのことを考慮してみると、その意味合いは全く変わってくる。
もし、彼が来られなくなったら? 少ない可能性だが、大事に思うあまり、口実をつくり彼氏自身の判断で来なかったら?
そうなれば、ただ会えないだけではない。今までの準備、覚悟、決心といったすべてが無駄になるのだ。
なんとも切ない話だ。
その上でのあの笑顔。破壊力の種類もまた変わってくる。

かのように二人はお互いを思いあっているのだ。
なんとすがすがしく、初々しく、いじらしい二人なのだろうか?



・・・勝手に妄想膨らませておいて、おじさん目頭が熱くなってしまったよ。



この二人が、この後、どうなるか、それこそ想像の外です。
でも、この輝く美しい物語に触れられたことは、ある意味、人生においての喜びの一部であった事は紛れもない事実として残りました。



最後になりますが、これが正解、真実なんて事は微塵も思ってません。
皆さんそれぞれの想像力におまかせいたします。

本当に本当に、長く拙い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。繰り返しお礼申し上げます。

気力と時間があれば、このシリーズのほかの作品も考察してみようと思います。いつになるかわかりませんが。
お暇があれば、しばらくしたら、また覗きに来ていただければ嬉しいです。
それでは。




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