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スタジオSZ8(鈴八)のぬるめの日常

クリスマスエクスプレス4号車(92年版、吉本多香美主演)を考える

2023-03-04 | 映画、ドラマ、テレビ
まさか、本当に「クリスマスエクスプレス」シリーズの考察を続けるとは思わなかった。

第2回目は、第四弾(4号車)。 シリーズ最終回である(復刻版除く)。
主演は吉本多香美、音楽はもちろん山下達郎「クリスマスイブ」(紹介はもう必要ないか?)

「深津絵里版じゃねえのかよ!」(第零弾、0号車と、ここでは区別していいる)
と突っ込まれるかもしれないが、実は第四弾は「脚本、演出」に関してはシリーズ1だと思っている。
だから、こちらを選んでみた。
いやいや、「好き」で言えば、ダントツで一番なのが第一弾であることは変わらない。
脚本演出にしたって、負けず劣らずなのだが、第一弾が世界が広がっているのに対して、こちらはきっちりと1分間でまとまっている。閉じている。と書くと否定的に取られるかもしれないが、作品としての完結度(そんな言葉あるんかいな?)からすると、第四弾が上である。
事に演出の妙は、教科書になるような手堅さと、それでいてちゃんと色を出している。見事だ。
岡田斗司夫さん、ありがとうございます。あなたの動画でガンダムを通じて演出の初歩を学びました。
それがなかったら、第四弾の演出のすごさはわからなかったでしょう。

まず、簡単にストーリーを追う。今回はすべて60秒バージョンを述べている。
冒頭、「チーズ」との声とともに証明写真の機械で笑顔の写真を撮る女の子(以下彼女)。
そして定番の音楽が始まり、(その途中男性とぶつかりそうになるのは、第一弾のセルフオマージュか?)新幹線に乗り込む。

移動する新幹線車内。彼女は何か書き物をしていたかと思うと、しきりに自分の笑顔を鏡や窓に映る像でたしかめる。
目的の駅に着くと彼(彼氏)が遅れてやって来る。
その姿に、あれほど練習した笑顔を出せず、ついに泣いてしまう彼女だった。

というストーリーだ。

では、考察を進めていこう。

これまでの作品と違い、第四弾で初めてのことが2点ある。
第一が、彼女に「セリフ」がある事だ。
歴代のヒロインにはセリフはなかった。明らかに意味がわかる言葉を言っている場合はあるが、あくまでもサイレントだった。
「チーズ」だけだが、これが有効に使われる。
第二に彼女が新幹線に乗る。という点。
いままでは、全員「待つ」側だった。
冒頭の明るい笑顔。ぶつかりそうな男性をかわした時のおどけたような表情。そして自分から動く側。
ショートヘアも相まって、短時間で、彼女が明るく快活で、行動的、元気な女の子だという描写がきっちりされている。

さらに演出が上手いと思うのはここらで、証明写真のボックスを出てから、新幹線に乗り込むまでは、画面正面に向かって彼女は走ってくる。正面から見た絵だ。 ここで、奥から手前に。という点を覚えていただけると嬉しい。
ところが、新幹線から乗り込んで以降は、画面右から左に画面の流れが統一される。上手から下手、だ。
彼女の視線。新幹線の向き。それだけなく演出上の小道具に過ぎない車掌まで右から左に歩いている。
実に徹底されている。
これが駅に着き、降りるまでしっかり続く。

ところがだ。ここで問題が起きる。

のちに登場する彼氏も右、上手から現れるのだ。カメラ自体は正面寄りだが、背景のホームの位置から右から左の流れとなるのだ。
これではまずい、流れが同じもの同士が出会うというのは。
「え?」と思われるかもしれないが、細かな演出の技法など知らなくても、これに反すると本能的に人間というのは違和感を感じるものなのだ。だから演出技法が確立したとも言えるのだが。
「じゃあ、左(下手)から登場させればいいじゃない」
その通りなのだが、それでは彼氏が彼女より下になってしまう。強者は上手から現れるのだ。
制作陣は、彼氏も、彼女と同等の立場に置きたかったのだ。
彼女にとって、とても大切な彼氏なのだ。引き立たせてあげたいのだ。

ではどうする?

まず彼女を正面カメラで、手前から奥に流れる人の波に置く。
これで一旦、右から左の流れを変える。しかも手前から奥へ。だ。冒頭の流れの反対だ。うーむ、手が込んでいる。
このあと人がまばらなホームのカットを入れ、流れというものを完全に止める。
そして彼女の表情を画面左側に置き、彼女の視線を、今度は左から右、下手から上手へ移動させる。
これで彼女の配置換えは終わった。
安心して上手から登場する彼氏を迎えられる。

見事である。基本に忠実、演出の教本みたいである。
前述の岡田斗司夫さんは、「演出を学びたかったらガンダム(1St)を見ろ」と仰る。
全く異論はないが、初歩の初歩ならこの60秒フィルムでもしっかり得られるのではないか?
そんな見事さだ。名作中の名作の第一弾でも、この徹底ぶり(頑固さとも言える)にはさすがに及ばない。

基本に忠実なら凡庸じゃないか?
いやいや、60秒のショートフィルムに、そんな手の込んだ演出をする暇なんかあるわけないじゃないか!?
・・・と言いたいところなのだが、しっかりと手の込んだことはしている。
CMでそこまでやるか?という事を。
クリエーターというものは、何かやっぱり色を出したくなるものなのだ。

それは新幹線の車中。コンパクト(これには古さを感じるのだが、こういうメイク道具、今でも使われているものなのか? さっぱりわからんのです)を見るシーンがある。
この時、彼女の顔はほとんど映らない。
これに気が付くことが出来るだろうか? もちろん気が付く人はいるだろう。
だが、多くの人は気が付かない。気が付かないよ、普通。

基本、CMなんてものはいつ流れるかわからない。提供番組があったとして、その中でもいつ放送されるかは一般の人にはわからない。
そこで、いきなりCMをじっくり集中して見れる人が、どれだけいる事やら。
偶然、ビデオ(!?)に録画してるか、提供番組を狙い撃ちしない限り、自宅で繰り返し見る方法はない。
ネットは普及し出していたが、今のように動画なんてとてもとても。
事実、僕もネットで繰り返し見れるようになって初めて気が付いたのだ。

ただ、この「なんで顔が映らないんだ?」という疑問を抱くことが出来れば、だれでも同じ結論にたどり着ける。
もう、笑えないのだ。
少なくとも、それまでの、ほがらかな、天真爛漫な笑顔を作れないのだ。
彼氏に会えるうれしさ、今までの募る思い。そんな色々なものがこみ上げて来て、もう笑えないのだ。
それが自分でわかるから、彼女はそっとコンパクトを閉じるのである。
判らないよ。1回や2回見たって。
しかも、その前の段階で何か物を書く姿のカットが入っているのだ。同じ手元のアップでも意味合いが全然違うのに、ぱっと見の絵柄は一緒。
かなり計算してこの演出をしていることがわかる。

みんな同じ結論と言ったが、実のところそれは大げさかもしれない。しかし、少なくともこちらの方も同じ結論に至ったようだ。

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人生いきていく上で、およそ無くても生きていける“ムダ動画”をいろいろ編集してはアップしている、台湾とカナダとオーストラリア、そして日本が大好きな気まぐれ気ままな昭...

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こちらの方は、クリスマスエクスプレスシリーズをいろんな言語に吹き替えしておられる。
オリジナル版ではこのシーンで「チーズ」と言っているのだが、この方の英語版ではその言葉はカットされている。きっとここで「チーズ」というのは不自然だ。無い方が良いし、意味は通じる。と判断されたのだろう。

さんざん練習していた笑顔が出せない彼女。
しかし、定刻通り新幹線は到着する。
新幹線を降りる時の彼女のその表情は、役者さんの力量で魅力が上がった。
かろうじて、笑顔っぽい表情をしているが、それは何となく顔に張り付けたような不自然な表情に見える。
前の段階で、彼女の心情が分かっていればなおさらだ。
そして、最後に耐え切れず流す涙。
明るさ、元気、からこの落差に心が揺さぶられる。ツンデレの逆だ(違うか)
この辺の落差も見ごたえがある。
この演技力がなければ、この作品は成り立たなかったかも知れない。少なくとも魅力は数段落ちていたことだろう。
ただニッコリ笑って、かわいいタレント。というわけでないのが分かる。

演出、主演の演技力。が素晴らしいが、脚本もしっかりまとまっている。
前作、第三弾(91年版)が「もうストーリーは、割り切りました」という作品だったが、今作はちゃんと「チーズ」というセリフと、「写真」という2本の柱をしっかり通している。
「チーズ」というセリフはすでに述べているが、彼氏に会ったら笑顔で迎えようと思っていたが、感極まって涙顔になる。
というストーリーが、しっかり出来上がっている。
「写真」に関しては、その脇を固める形でストーリーが進行している。
現在では写真を撮ることのハードルは低い。何気ない写真でも簡単にとることが可能だ。
だが、この放送当時、写真を撮ることは結構大変だった。フィルムから現像してプリントするという時間もかかるし、料金もバカにならない。
そんな時代に一枚だけ写真を撮る。という場合、冒頭の証明写真(これは今でもある)を利用するというのは、まったく自然な流れだ。
この写真をどうするのか?
見ている側に、そんな疑問が生まれるのは自然なことだ。
作中、これが説明されてないのだ。
ラストから逆算すると、何か物を書いているシーンで「クリスマスカード」を作っている。と判るのだけど、時系列順に見ている段階で、写真と、書くという行為が直結しない。
この辺の演出も凝っているというか、見方を変えると、ちょっと意地悪だ。

物語のラスト。涙で笑顔になれない彼女に変わり、写真の彼女が笑っている。
という2本の柱が、ちゃんとここで合流している脚本。
こんなショートフィルムで、見事だ。

ここまで今作の、脚本、演出を見てきた。
第一弾と違って、物語を広げる、想像の余地というものがほとんどない事がわかる。
ただ、彼氏がなぜ、遅れてやってきたか?(なんで、いつも男が遅れるんだか)どこからどうやって来たか?と思われるかもしれない。

実はこれもちゃんと説明されている。
彼氏が現れる時、左から右、下手から上手に消えていく新幹線が映し出される。彼女の乗ってきた新幹線とは逆の流れだ。
彼氏はその陰から現れる。
新幹線は、下手から上手にはけていくが、彼氏は上手からやってくる。この辺もうまい演出だ。
そう、彼氏も新幹線に乗ってきたのだ。
おそらく、お互い反対方向から新幹線に乗って、途中の駅で合流する約束だった。
だから、彼女は一定方向しか見ていない。彼氏が来る方向が分かっているのだ。
遅れる理由は、彼氏は列車の端の車両に乗っていたに違いない。
若い二人だ。切符は当然自由席だろう。自由席ってのは、大抵、新幹線車両の端っこに設定されている。
しかも空席が最後まで残るのは1号車だったりする。
経験のある方ならわかるが、そこから歩いてくるのは結構時間がかかる。彼氏はこれでちょっと遅れてしまったのだ。
うーん、スキがない。
説明がされてない部分が他の方には見えているかもしれないが、僕には見つけられない。
非常にすぐれた作品として出来上がっている。


だけど、一つだけ、鉄成分を含む僕には、ちょっとな。という部分がある。
彼女がホームを移動しない限り、これでは新幹線が右側通行をしてしまうことになる(笑)。
ホームを移動する描写をする時間はないだろうし、そこに気が付く人も、そうそう、いないだろう。
まあ、しょうがないかな?



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