猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

確かに「運」というものはある。

2009年12月31日 | Weblog
毎年、大晦日には自分のこれまで辿ってきた人生を振り返ることにしている。

今年は「自分の運の良さ」」というものを、ことのほか強く感じた年であった。

自分は生まれてすぐ、肺炎を患って死ぬ寸前であった。
この時代は抗生物質などはなくて、頼るのは生まれ持った体力と運しかなかった。母親の話によると、重湯が唯一の薬であったようだ。

その後小学校一年生の時、静岡で米軍の本土空襲にあい、焼夷弾が降ってくる中を辛うじて病弱の母親と一緒に裏山に避難して助かった。

また、一昨年末には思いもよらなかった心臓の大動脈弁の置換手術をして助かった。自分は子供の頃から体力に自信はなく、大きな手術をしたら、生きて戻ることはないだろうとずっと思っていた。それが助かったのだから、そういう「運命」にあったのではないかと思っている。

これまでの人生を振り返ってみると、自分はなんと運の良い人生だろうかと思わざるを得ない。
親・兄弟・医師・友人たちに恵まれたということも間違いないと思う。
周りの人たちに恵まれたことも「運」だと言えるが、「自分にはどうしようもない何かがそうさせている」ということだと思う。

運が良かったのか悪かったのかというのは、長い間生きてきて初めてわかる。
自分の人生を振り返って「運の良い事実」があったなら、「自分は運が良い人間だ」と思いこむことで、「本格的に運が向いてくる」のではないかと思っている。

「運」というものは「自分は運が良いと信じてこそ、初めて運がついてくるのだ」と信じることだと思っている。