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<漢字の学習の大禁忌は作輟なり> <一跌を経れば一知を長ず>
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級190点台復活(あわよくば200点満点) ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ☆☆☆
★★★今年のスピリット:<百尺竿頭一歩を進む>&<百里を行く者は九十を半ばとす> ★★★
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(この記事は初合格をめざすための方向けの記事でありません。)
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松陰全集第6巻~第8巻から・・・
●「不逮(フタイ)」
・己の不能は愚者の不逮・・・不逮:及ばないところ。ふつつか。
・身の不逮・・・不行き届き
*この熟語自体は論語(里仁第四) 「子曰。古者。言之不出。恥躬之不逮也。」 にある言葉のようだ・・・
*通釈では「子曰(いわ)く、古者(いにしえ)、言の出ださざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥ずればなり。」
*ネットで『現代語訳 論語』( 宮崎市定、岩波書店)では、
(訓) 子曰く、古は、之を言わんとして出ださず。躬(みずから)の逮(およ)ばざるを恥ずればなり。
(新) 子曰く、古語に、之を言わんとして出ださず、とあるのは、実行が言葉に及ばぬことを恥ずるという意味だ。
という解説が載っていたけど・・・
*「古、言を出ださざるは躬(み)の不逮(フタイ)を恥じれば也」なんて故事成語になるかもしれない・・・
(注)過去問で、「躬(み)」の訓読みは出ましたね・・・
(注)なお、ブログにも掲載してある、同音異義の「不退(フタイ)」と混同しないように注意・・・
-ブログ掲載内容(抜萃)-
不退(ふたい)の土・不退の浄土 *不退:極楽浄土のこと。ここに生まれれば再び穢土(えど)に退転しない。
フタイ(不退)の土:極楽浄土のこと=不退(ふたい)の浄土
フタイの土(ど)に往生する *極楽浄土のこと
(広辞苑):不退:(仏)修行において退歩しないこと。また、すでに得た功徳を失うことのない境地。不退転。
●「膏沐(コウモク)」
・豈 膏沐無からん、誰を適(あるじ)として容(かたち)を為さん・・・出でては冶容なく、入りては廃飾なし・・・
(全集)膏沐:紅をつけたり、髪を洗ったりすること。みだしなみ。
姿を飾らない。化粧しない。つまり、外出の時は飾らず、家にある時は美しくしているということ。
(注)“適(あるじ)”とルビが振ってあったので気になったので調べた・・・勿論、「適」の現行訓には“あるじ”なんて読みは無い・・・大字源に、「適」字の意味の中に「あるじ。主人。」という意味が掲載されていた・・・。
・この書簡は、松陰がご母堂経由婦女たちへ当てた書簡文の一部・・・ただし、この文章そのものは後漢の班昭(女性)・・・ある意味有名な女性・・・班超・班固(「漢書」の著者)の妹・・・の著作「女誡」にある一篇からの引用・・・
(参考1)
「『詩経』に「豈、膏沐無からん、誰を適(あるじ)として容を為(つく)らん」とか申す二句、曾て何心なく読みおり候所、後に曹大家(そうたいこ)『女誡』専心の篇を見候えば、上下の文ありて、中に「出でては冶容無く、入りては飾を廃すること無し……これ則ち心を専らにして色を正すと謂う」とあり。」
「依って相考え候は、詩の語も徒に夫の居らざるを嘆くの事に非ず、膏沐は偏に夫に事うる礼にて、他人へ見せものに致すにはこれ無き筈にて、詩語乃ち礼意かと存じ奉り候。」(吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著))
(参考2)
この班昭という女性、全集の中では「曹大家(そうたいこ)」と書き読み。ネット上にもいろいろと出ているが、
班昭:中国、後漢の文人。班固・班超の妹。曹世叔に嫁したが、夫の死後、和帝の詔により、兄の「漢書」編纂を引き継いで八表と天文志を完成した。「女誡」7編、「東征賦」を著す。曹大姑(そうたいこ)。生没年未詳。
班昭(はんしょう、45年? - 117年?)は、中国・後漢の作家。中国初の女性歴史家。兄に班固,班超がいる。夫の曹世叔の死後,和帝に召されて皇后や女官たちの教育に当たり,曹大家(そうたいこ)とよばれた。〈大家〉は宮中で行われた女性の尊称。班固が書きのこした《漢書》の表と天文志を執筆し,また《漢書》の難読の句を馬融に教授した。婦女子の日常生活の心得を説いた《女誡》は《女論語》などとあわせて〈女四書〉とよばれ,旧中国社会で尊ばれた。
*昔(中国古代から江戸末期ま)も今も、婦女子の意識・行動ってのは変わらないんですねえ(笑)
👍👍👍 🐕 👍👍👍
<漢字の学習の大禁忌は作輟なり> <一跌を経れば一知を長ず>
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☆☆☆今年のテーマ:①漢検1級190点台復活(あわよくば200点満点) ②好きな古代史の研究深化(古田説の研究) ☆☆☆
★★★今年のスピリット:<百尺竿頭一歩を進む>&<百里を行く者は九十を半ばとす> ★★★
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(この記事は初合格をめざすための方向けの記事でありません。)
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松陰全集第6巻~第8巻から・・・
●「不逮(フタイ)」
・己の不能は愚者の不逮・・・不逮:及ばないところ。ふつつか。
・身の不逮・・・不行き届き
*この熟語自体は論語(里仁第四) 「子曰。古者。言之不出。恥躬之不逮也。」 にある言葉のようだ・・・
*通釈では「子曰(いわ)く、古者(いにしえ)、言の出ださざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥ずればなり。」
*ネットで『現代語訳 論語』( 宮崎市定、岩波書店)では、
(訓) 子曰く、古は、之を言わんとして出ださず。躬(みずから)の逮(およ)ばざるを恥ずればなり。
(新) 子曰く、古語に、之を言わんとして出ださず、とあるのは、実行が言葉に及ばぬことを恥ずるという意味だ。
という解説が載っていたけど・・・
*「古、言を出ださざるは躬(み)の不逮(フタイ)を恥じれば也」なんて故事成語になるかもしれない・・・
(注)過去問で、「躬(み)」の訓読みは出ましたね・・・
(注)なお、ブログにも掲載してある、同音異義の「不退(フタイ)」と混同しないように注意・・・
-ブログ掲載内容(抜萃)-
不退(ふたい)の土・不退の浄土 *不退:極楽浄土のこと。ここに生まれれば再び穢土(えど)に退転しない。
フタイ(不退)の土:極楽浄土のこと=不退(ふたい)の浄土
フタイの土(ど)に往生する *極楽浄土のこと
(広辞苑):不退:(仏)修行において退歩しないこと。また、すでに得た功徳を失うことのない境地。不退転。
●「膏沐(コウモク)」
・豈 膏沐無からん、誰を適(あるじ)として容(かたち)を為さん・・・出でては冶容なく、入りては廃飾なし・・・
(全集)膏沐:紅をつけたり、髪を洗ったりすること。みだしなみ。
姿を飾らない。化粧しない。つまり、外出の時は飾らず、家にある時は美しくしているということ。
(注)“適(あるじ)”とルビが振ってあったので気になったので調べた・・・勿論、「適」の現行訓には“あるじ”なんて読みは無い・・・大字源に、「適」字の意味の中に「あるじ。主人。」という意味が掲載されていた・・・。
・この書簡は、松陰がご母堂経由婦女たちへ当てた書簡文の一部・・・ただし、この文章そのものは後漢の班昭(女性)・・・ある意味有名な女性・・・班超・班固(「漢書」の著者)の妹・・・の著作「女誡」にある一篇からの引用・・・
(参考1)
「『詩経』に「豈、膏沐無からん、誰を適(あるじ)として容を為(つく)らん」とか申す二句、曾て何心なく読みおり候所、後に曹大家(そうたいこ)『女誡』専心の篇を見候えば、上下の文ありて、中に「出でては冶容無く、入りては飾を廃すること無し……これ則ち心を専らにして色を正すと謂う」とあり。」
「依って相考え候は、詩の語も徒に夫の居らざるを嘆くの事に非ず、膏沐は偏に夫に事うる礼にて、他人へ見せものに致すにはこれ無き筈にて、詩語乃ち礼意かと存じ奉り候。」(吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著))
(参考2)
この班昭という女性、全集の中では「曹大家(そうたいこ)」と書き読み。ネット上にもいろいろと出ているが、
班昭:中国、後漢の文人。班固・班超の妹。曹世叔に嫁したが、夫の死後、和帝の詔により、兄の「漢書」編纂を引き継いで八表と天文志を完成した。「女誡」7編、「東征賦」を著す。曹大姑(そうたいこ)。生没年未詳。
班昭(はんしょう、45年? - 117年?)は、中国・後漢の作家。中国初の女性歴史家。兄に班固,班超がいる。夫の曹世叔の死後,和帝に召されて皇后や女官たちの教育に当たり,曹大家(そうたいこ)とよばれた。〈大家〉は宮中で行われた女性の尊称。班固が書きのこした《漢書》の表と天文志を執筆し,また《漢書》の難読の句を馬融に教授した。婦女子の日常生活の心得を説いた《女誡》は《女論語》などとあわせて〈女四書〉とよばれ,旧中国社会で尊ばれた。
*昔(中国古代から江戸末期ま)も今も、婦女子の意識・行動ってのは変わらないんですねえ(笑)
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