人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

またしても災難

2019年03月13日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

昨日3月12日は、半年ぶりの定期検査が、豊岡病院の泌尿器科で行った。最近は体調に異変を感じる事も無く、穏やかな日々を送っていた。

何時もの様に8時に会社に出勤して、8時30分からは当日の給食弁当の事務作業に当たっていた。10時の診察予定だったので、9時30分に事務作業を終えて豊岡病院へと向かった。相変わらず駐車場は満車で空スペースを探すのも一苦労であるが、そこは慣れたもの。目星をつけていた場所に向かうと幸い空いていて、比較的スムーズに駐車する事が出来た。

受付を済ませてから指示通りにCT検査に向かった。最初の膀胱がんと前立腺がんの手術から、昨年の3月で3年が経過していた。その間の定期検査は3カ月に1度であったが、それ以降は半年に1度の定期検査になり、昨日が半年検査の2回目である。

一方の兵庫医科大学病院での悪性胸膜中皮腫の手術からは、まだ2年数か月で最終の抗がん剤治療からは1年半ほどしか経過していないので、現在も3カ月に一度は兵庫医科大に通院している。勿論これまでの定期健診で疑いを持たれた事は無く、順調に回復しているとの診断結果を貰っていた。豊岡病院での検査結果も同じくだ。

豊岡病院での腹部のCT検査は一年ぶりで、主治医の先生から進められて、久しぶりに受けた次第である。順番を待つこと数十分。ついに名前を呼ばれて、検査室に誘導されたのだが、何時もの検査室と違う検査室に案内された。意味があったのか無かったのかは不明であるが、患者は私一人で少しおかしいなとは思っていたが、検査自体は何時もの検査で意味は無かったのかも知れない。

その後、尿検査の為に中央治療室に向かい、検尿検査の準備をした。私の場合は、ストーマと言う人口膀胱を付けている為に、自分の意志とは無関係にストーマの栓を抜くだけで排尿できる。便利なのか何なのか分からないが、排尿に困る事は無い。

兵庫医大は、西宮と言う事もあり、妻と二人で出かけるが、豊岡病院は会社から車で5分の所にあり、最近は一人で出かけている。自分自身も家族も会社の人も、何時もの様に何事も無かったかのように送り出してくれる。

そして、診察室へと向かったのだが、待機していると看護師さんから、「本日は込み合っていて予定の診察が大幅に遅れています。」とのアナウンスがあり、「これは待ち時間が長いぞ」と思い、長時間の待合を覚悟した。ところが比較的早くに名前が呼ばれて診察室に入ったが、何となく何時もの穏やかに主治医の先生とは様子が違う事を直感したが、これまでの何十回となる定期健診では異常がなく、今回もそれほど気にしていた訳では無かったのだが・・・・・・

一通りの挨拶を済ませると、CT検査の画像の説明が始まった。何と新たに「胆嚢ガンが見つかった」と言う事である。穏やかに日々を送り、仕事も精力的にこなしていただけに、思いもよらない診断結果に画像を疑ってしまった。確かに説明通りに腫瘍が見て取れる。「何という事だ」「一難去ってまた一難」とはこのことである。ガンと言う病は、「忘れた頃に転移や再発がある」とは聞いていたが、これだけ順調に回復していたので、「まさか自分も」の心境である。

数年前に女優の川島なお美さんが53歳で亡くなったのが、この胆嚢ガンである。怖い怖いその後の説明では、「膀胱がんや前立腺がんでの転移は考えにくく、転移だとすると中皮腫からか、単独の新しいガンの可能性が高いと思います」との事。その時に頭を過ったのが、兵庫医科大の主治医の先生からの術後の当時の説明で、一部取り残した腫瘍が有りますが・・・・」である。

いずれにしても泌尿器科の先生なので、「兵庫医科大とも相談して、場合によっては生体検査を行い、今後の治療の相談をしましょう」との事であった。私は出来る事なら「地元の豊岡病院での手術を希望します」とは伝えたが、中皮腫からの転移であれば、兵庫医科大でも仕方がないと思っている

初めてのガン手術から丁度4年目の災難である。早速、一週間後の来週3月18日に相談日が決まり、今後の治療方針が示されるのでは・・・・・腹腔鏡手術になる可能性が高そうな説明でもあったが、まだ、決まった訳では無い。

この4年間の闘病生活で4度の手術と8度の抗がん剤治療を受け、生死を彷徨う辛い苦しみも体験しているので、今回の検査結果に動揺する事は無いが、「またか」との思いである。

病院を後に車に戻り、妻や子供達、兄弟、会社の幹部に検査結果をラインで伝えた。面白いのは店長からの返信で、「冗談でしょう。早く帰ってきてください。次の仕事が待っています」「冗談では無く本当です」と返して帰社すると、私の仕事が無くなっていた。

弟のユラクの副社長や兄の会長も心配して、会社に見舞いに来てくれた。まだ、何も決まっていないので私は何時もの仕事を今日も淡々とこなしている。入院も手術も死の恐怖も少しは慣れて来た様に思う。自分でも落ち込むことも無く、普段と変わりない心境である。

19時に帰宅すると妻の様子がいつもと違う。心配して気遣ってくれる様子が、手に取るように分かるが、そこまで大袈裟にしてくれなくても・・・・・結果が出ていないので、義母には話す事は先送りにすることにした。

18日までに少し時間も有るので、パソコンで胆嚢ガンを勉強して、治療の説明が理解しやすい様にしなくてはならないが、浅はかな自分の知恵を振りかざさずに、基本的には主治医の先生の方針に沿って治療を受けたいと思っている。代替え治療や先進医療など数多くの情報が埋もれているが、私には選択できる知識や能力が無いので、標準治療を中心に主治医の先生に任せるつもりだ。

それにしも、膀胱ガンに始まり、前立腺ガン、悪性胸膜中皮腫、胆嚢ガンと4箇所目のガン治療となる。そう考えると、家族や親せき、社員などでは無く、慣れている私で良かったと思っている。人間は慣れると恐怖心や不安も大違い少ない。ほとんど平常心に近い心境である。

また、乗り越えなければならない壁が出来てしまったが、主治医を信頼して頑張るしかない。

 

では又ね

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コメント (3)
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