好奇心全開!!遊行期を遊ぶ

 遊行期も今から上り坂、やっと命の不思議に目覚めたような感じです。
 玄牝の門を敲きます。

『 回想の重層回廊燃やせ夏 』青のくさみ575交心zqv0906

2019-05-09 15:49:50 | 青のくさみ
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★ 青のくさみ575交心zqv0906

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 回想の重層回廊燃やせ夏

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 > 本居宣長が『石上私淑言』という論文の中で、「悲しいときには悲しい、悲しいと心の中で思え」と書いています。悲しいことをごまかしていると、いつまでも心にそれがわだかまって消えないから、今、自分は悲しいんだ、悲しい、悲しいと思えと。そして、それを人に語れと。声に出しても悲しいといえ、といっているのです。
 では、相手がいないときはどうするか。
 丘の上に立って大きな声で「俺は悲しい」とおらべと。四国や九州の方言で「叫ぶ」ことを「おらぶ」というのですが、そのように自分の気持ちを閉じ込めておかないで、吐き出すようにして表現することは大事なのです。
 叫ぶ行為が、歌のはじまりだと言われれば、なるほどと納得します。   。。。五木寛之『続孤独のすすめ』p129

 回想の重層回廊燃やせ夏   仁
 言葉踊れば命共振


★ 再録はじめ 筑紫風575交心zsq3004
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脚下に友の灯明鹿の声
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> 山里の灯点しごろや鹿の声   お遍路はぐれ
 自ずと鳴ける鹿うらやまし   旅仁

 鹿の鳴く里山の風情、好いですね。
 散歩で鹿の声を聞ける!

 友に誘われて泊まったロッジで、鹿の声を聞きました。
 そのとき、はじめて聞いたことを想い出します。
 もういちど、聞きに行きたいけれど、その友は、もう居なくなりました。

 追憶の友蘇る鹿の声   旅仁
 光陰消えて時の止まりぬ

☆☆☆ お遍路はぐれさんの『 俳句 野分過ぎ鹿の初鳴き 』 への交心です。 ★★★

 鹿の声友も交えて今一度   旅仁
 青きままにて集える一夜

 予期せぬことだったけれど、友は、独りで、さっさと、逝ってしまった。
 友の非在は、やがて来るぼく自身の非在を知らしめる。ぼくはぼく自身の非在を、ぼくの内部に、大きく抱え込むことになる。

 脚下に友の灯明鹿の声   旅仁
 月も出ぬ夜の宵待ち草よ

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★★★ 青のくさみ交心rs1201『 緑陰や友逝き吾の昭和尽 』 へどうぞ!!! ★★★

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☆☆☆  湖風さん   2016年09月30日 22:26

旅仁さん、こんばんは^-^

追憶の友蘇る鹿の声   旅仁

 鹿の鳴き声にお友達を追憶するなんてすてきですね。
 良い句ですね。

★★★  青柳仁   2016年09月30日 22:48

 湖風さん、
 交心ありがとうございます。
 日が経つにつれて友が身近になっていくのを感じます。自然が形見となるのでしょうね。
 友の死は愛の偏在となって再生されていくのかもしれません。再生は、また、友との新しい関係の創生にもなっていくようです。
 愛も友愛もエンドレスなのでしょうね・・・

 心象の光明ゆらぐ月見草   旅仁
 言葉はなくも魂交じり合う

☆☆☆  湖風さん   2016年10月01日 08:05

 旅仁さん、おはようございます^-^

 >心象の光明ゆらぐ月見草   旅仁

 この句も「光明ゆらぐ月見草」はこちらに迫るものがあり、すてきです。
 ただ「心象の」も具象化されていると読む人の胸に迫りましょう。
 「心象の」では、どうしても「image」と読みますものね。 

 >心象の光明ゆらぐ月見草   旅仁
 ↓
 >>畦道に光明ゆらぐ月見草
 読んでいて、お友達とお二人で行く「畦道」をなぜか浮かびました。
 ↓
 >>海道に光明ゆらぐ月見草
 これも、海伝いの道を友人と歩いている姿が見えてきます。

 旅仁さんがこの友と歩いた道はどこなのでしょう。
 少なくとも「心象」つまり、心の中だけよりも、読む人をさらに引ひきずり込む
はたらきがあると思うのです。

 旅仁さん、気にいらなければ、ばっさりと削除なさってください。湖風

☆☆☆  湖風さん   2016年10月01日 08:21

 追伸:「脚下」は、読み方「きゃっか」でよいのでしょうか?
 「広辞苑」では意味として「足の下」「あしもと」「脚下にひれふす」と書いてあります。「あしもと」と読ますなら「足下」「足元」「足許」でないと。
 どう読ますのかなと気になります。
 これまた、気にいらなければ、ばっさりと削除なさってください。湖風

★★★  青柳仁  2016年10月02日 00:50

 湖風さん、
 重ねての交心感謝します。
 その上、俳句にもならぬ575言葉あそびに添削ご指導までいただきありがとうございます。忙しい身の貴重なお時間を割いていただいて心傷みます。
 文芸の素養もなく、無才不作法、自堕落に余命を楽しませてもらっています。学生の頃までは好奇心旺盛で、文芸の道も夢のうちの一つでしたけれど、記憶力も集中力もないことを思い知り、断念、わが身にあったあそび心のひとつで自足しています。
 当時ドロップアウトのスタンスが流行っていましたので、ぼくも真似して表街道から落ち零れてしまいました。落ち零れスタンスのままで、自分なりのわがままを押し通して、気がついたら半生を終了していました。歌の文句じゃないけれど、振り返っても、ただ風が吹いているだけ・・・
 残る余生も、風の吹くままを命の手綱に、極楽とんぼをあそんで往生・・・と念っています。

 友が亡くなって、見えるものをどう見るかが、見えないものをどう見るかに、意識が変容していくのを感じています。学生時代以来、不思議な縁で、年二度の一泊の旅をつづけて50年を迎えようとしていました。学生時代、気がつけば地下の喫茶で煙草を吹かしていた気分で、50年一泊の旅に隠ってきたのでした。この夏の旅は、6人だったのに、5人の旅になっていました。けれど話題はどうしても亡くなった友のことに戻ってしまいます。いなくなってはじめて、友の内面に入り込んでいくのでした。それは友との新しい巡り合いになっていくのです。今まで語られなかった、あるいは見えていなかったものが、語られ、見えてくるのです。透明人間になって、夏の旅に参加しているような念がみんなの中で共有されていくのを感じます。
 その出会いの再生を言葉あそび575でスケッチして楽しもうと念っています。
 亡くなった友のスケッチは、真似をすれば、<風景やみんなといっしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です>という言葉あそびです。

 月に観ん青い照明月見草   旅仁
 浮かび上がりて降りてくる友

 俳句は観念の説明ではない、といわれますので、ぼくの575は俳句の舞台には昇れません。ぼくは観念の言葉あそびを楽しませてもらっています。575は調子がいいので、言葉あそびには重宝なんです。

 脚下に友の灯明鹿の声 の「脚下」は、やはり真似観念あそびですが、「看脚下」を真似して、読みは「あしもとに」と5音で読んでもらいたいと念います。大切なものはいつでも脚下に在るんだよ、大切な友はいつでも脚下にいてぼくを見守り、ぼくの道標を照らしだしてくれている、と言葉あそびしました。夜鳴く鹿の声を聞いたことがないというぼくの言葉を覚えていて、友は求菩提山で遊んだ後、椎田の谷の奥の暗い暗い林道を登りつめた所にあるロッジに宿をとって、ここで鹿の鳴き声を聞くことができるよ、と教えてくれました。耳をすまして待つと、鹿の鳴き声を聞くことができました。その友が亡くなったのですが、日が経つにつれて、その存在が大きくなっていくのを感じています。

 聞き耳を立てれば聞こゆ鹿の声   旅仁
 友に誘われネアンの旅路

 ご教示感謝します。
 俳句の王道を歩けず、やっぱり外道の観念あそび575で、友の再生を楽しませてもらいます。
 笑って、ご寛容ください。

☆☆☆  湖風さん  2016年10月02日 07:42

 旅仁さん、おはようございます^-^
 
 聞き耳を立てれば聞こゆ鹿の声   旅仁

 この句は素晴らしい俳句ですね。俳句一句、どこを切り取っても具象的で読む人の心の中に、す~~っと入ってきますね。
 亡くなられた方も、これだけの思いで俳句詠んで戴ければきっとあの世で喜んで居ることでしょう。
 やがてはお友達の所に逝く身なのです。
 それまで、大いに、「言葉遊び」を楽しんでください。
 俳句は所詮ことば遊びなのですから。お友達に合掌・・湖風 

★★★  青柳仁  2016年10月03日 23:18

 湖風さん、
 お心配りとご寛容のこころに重ねて感謝します。
 > 聞き耳を立てれば聞こゆ鹿の声 への賛意もいただき、ぼくの言葉あそびを笑ってご寛容くださる俳人さんにめぐり会えてHappyです。
 俳句の心にも季語のこころにも、作法や意味の深さなど、知らない世界、感じとれない心を学ばせてもらって、感動が溢れるような余生を味あわせてもらっています。
 なによりも無邪気に言葉あそびに熱中させてもらえることがいちばん嬉しく念います。
 ありがとうございます。

 時空超え人つなぎたる鹿の声   仁
 言葉の宿すいのちとこころ

☆☆☆  研人さん   2016年10月01日 12:28


 遊仁さんは友を偲び
〈鹿の声友も交えて今一度〉

 鴎外は当時の世相に慷慨して
 〈踊る影障子にうつり三味線の鳴る家の外に鹿ぞ啼くなる)と詠む

 八一は夜の奈良の街に鹿の鳴き声を聞いて
 〈かすがの の よ を さむみ か も さをしか の まち の ちまた を なき わたり ゆく〉

 鹿の鳴き声にそれぞれの思いを託しています。
 鹿はどう鳴くのか・・・芭蕉は「ぴいと啼尻声悲し夜の鹿」

 旅仁さんが聴いた鹿の鳴き声は?

☆☆☆  青柳仁  2016年10月03日 21:43

 研人さん、
 いつもご教示と啓発ありがとうございます。
 鴎外さん八一さん、そして翁と大御所さんたちの鹿の声に人の思いの陰翳が交叉して人生模様が織り込まれていくような気がしてきます。
 鄙隠り凡愚仁の及びもつかない深い世界ですけれど、小さな世界にも小さいなりの人間模様が、それぞれに、明滅しているのを感じます。
 友に連れて行ってもらったところは、それはそれはおどろおどろしたところで、後にぼくらは「注文の多い料理店」とそのロッジを呼ぶようになっていました。
 其の夜も、泊まり客はぼくらだけで、雨模様でしたけれど、静かに更けて行きました。夕食後に、静けさも静まりかえった中で、遠くで、心細いような、ピィー~ッという鳴き声を聞きました。間を置いて三回ほど鳴きました。
ぼくの聞いた鹿の声は、想像していたような牝恋いの切ない情は感じさせない、哀しい響きのものでした。芭蕉さんの「尻声悲し」の情感がまだよくわかりませんが、あえていうなら「存在の哀しみ」のような感じです。
 ぼくの人を恋うるこころは、パッションの共有ではなく、あわれの共振のようなものですけれど、鹿の鳴き声にもあわれを感じるようになっているのかもしれません。

 あわれわれ鹿なるひとにつのる恋   旅仁
 失いし日々蘇る時

 再録 終わり

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 甦る季を踊らん朱い夏

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 > 良寛歌谷1212 いざ歌へ我立ち舞はむひさかたの今宵の月にい寝ねらるべしや > 良寛歌谷1214 風は清月はさやけしいざともに おどり明かさむ 老の名残りに

 美しい月を見て、じっとしておれない良寛さんがいた。
 晩年の良寛さんは木村家に寄寓して、死病となる直腸癌を患っていた。良寛さんは死を前にしても、普段の自分を鼓舞して、村の人びとと暮らしを共にし、悲しみも喜びもいっしょに分かち合うスタンスを失うことはなかった。
 真似良寛さんの道標のひとつである。

 甦る季を踊らん朱い夏   仁
 青のまんまにはだか魂


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